18.香子先輩と積極性

「あれはやっぱり、言い過ぎだったと思いますよ」


 香子先輩と二人の帰り道。

 やがて話題は自然と、体育館での一件へと移っていった。


 先に吹っ掛けてきたのはOG側だったとはいえ、香子先輩の反論は相手を叩き潰さんばかりに過剰だったし、加えて神経を逆なでするような煽りもふんだんに盛り込まれていた。止めに入らなければ暴力沙汰になっていたかもしれない。


 ところが香子先輩はまるで堪えた様子がない。


「ほーう、キミはわたしに反省を促しちゃうの? 年上には大人しく従いましょう、長いものにはぐるんぐるんに巻かれましょうって?」


「やったらやり返されるっていう話ですよ。適当に聞き流しておけばいいのに、あれじゃ余計な恨みを買うだけじゃないですか」


「理屈はわかるわよ、そりゃあ、わたしだって」


 ……でも、と表情を引き締める。


「やっぱり腹が立つじゃない。こっちが一生懸命、目標を達成するために努力してるっていうのに、それに対抗するために自分も頑張るんじゃなく、足を引っ張って目標から遠ざけようとするなんて。


 しかも、自分だけならまだしも、あいつはみんなの敵だ、みたいな雰囲気を作って周りを巻き込むのよ? 扇動する人も、される人も、うんざりだわ。


 そんな人たちは負けたくないの。

 退いてなるものかって、思う」


 夕闇の奥を鋭く見据える、その横顔を見ながら改めて感じる。

 香子先輩の価値観の真ん中には、やはり勝ち負けという基準があるのだ。


 試合での勝敗はもちろんだが、自分を否定しようとする相手との対立でも。あとは恋愛においても、高明先輩を先に落とす勝負という風に見ていた節がある。


「先輩は強いですね」

「よく言われるわ」


 辿り着いた駅舎の前で、香子先輩が振り返って笑う。


 二人きりの時間はあっという間だ。

 もう目的地に着いてしまった。

 

「それじゃあ、僕はここで――」

「――佐木先輩たちへの言葉は本心だし、言ったことを後悔もしてない」


 別れのあいさつが遮られる。

 香子先輩の話は唐突で、そして素直だった。


「でも、あの人たちの敵意を向けられて、ちょっとだけ怖かった。……ちょっとだけよ?」


 心臓の位置を確かめるように、目を伏せて胸に手を当てる。


「さっきの話をしただけで、動悸が速くなってる。夜道も心細かったの。だから、ありがとう。キミが一緒に帰ってくれて、ほっとした」


 こちらと目を合わせずに、途切れ途切れの話を終えて。

 僕の反応を確かめるように、ちらりと上目遣いを向けてくる香子先輩。


 言葉に詰まる。

 中身は別人なんじゃないかと疑ってしまうレベルのしおらしさだった。


「そっ、そういうことだから、それじゃ――」


 きっとポカンとしているに違いない僕を見て、香子先輩も自らのらしくなさ・・・・・に気づいたのだろう。焦った様子で、小さく手を振りながら駅舎へ入っていく。


 いつもの僕なら、遠ざかる背中をただ見送っていただろう。


 しかし今日は違った。

 妙な勢いがあった。

 

 香子先輩を追いかけて列車に乗り込み、すぐ横に立つ。


 車内はそれなりに混雑していたものの、詰めなければならないほどではない。

 それでもすぐ真横の吊り革をつかむ何者かに、不審げな顔を向ける香子先輩。


「――えっ、島津君? どうして?」

「もうちょっとだけ送って行きますよ」


 さわやかな笑顔を意識しつつ、さらりとそう言ってみる。

 しかし返されたのは、邪魔者を見るようなジトッとした視線だった。


「……空気の読めない後輩」

「そんな」

「……ねえ、あそこでお別れだと思ってたからああいうことを言ったのに、ついて来られたら、ちょっと恥ずかしいんだけど」


 ふいっ、と顔を背ける香子先輩。

 その髪の毛からのぞく耳が赤くなっている。


 そんなつもりではなかった。


 めずらしく不安を口にする香子先輩が気がかりだったから、一緒に居られる時間を引き延ばすために、積極的になってみただけなのだ。意図しなかったその行動が、先輩を恥ずかしがらせてしまうなんて。結果オーライである。


「なんかすいません」


 謝るのと同時に発車ベルが鳴り、ぷしゅ、とドアが閉まった。


「でも、もう手遅れみたいなので」


 動き出しの揺れで先輩と肩が触れたが、すぐに離れる。騒々しい車内では話もしづらいので、このつかず離れずの緊張感が、先輩の降りる駅まで続くのだと思っていた。


 ところが、


「まあ、乗ってしまったものは仕方ないとして……、ねえ、キミってスマホで音楽聞いてる?」

「え? はい、通学中に……」


 脈絡のない質問に戸惑いつつも答えていると、


「じゃあイヤホン持ってる?」

「はい」

「ちょっと出して」

「はい」

  

 差し出された手に片方のイヤホンを置くと、香子先輩はそれを自分の耳に挿した。僕の(イヤホンの)突起が先輩の(耳の)穴に……。


「変な顔してないで、音楽かけて」

「あ、はい……」


 アプリを起動すると、朝の通学中に聞いていた曲が途中から再生される。


「ほら、キミも、反対側のイヤホン挿して」

「え? あ、はい」


 言われて僕も残りのイヤホンを自分の耳に挿した。

 さっきから指示に従ってばかりだ。

 先輩を追って列車に乗り込んだ当初の勢いは、完全に失われていた。


 イヤホンを片方ずつ分け合って同じ音楽を聴く。

 この行為にいったい何の意味があるのか。

 尋ねようとした先輩の肩越しに、学生服を着た男女が見えた。


 二人は肩を寄せ合い、僕たちと同じようにイヤホンを片方ずつ分け合っている。そこには周りの目を気にしない彼氏彼女の、二人だけの世界が出来上がっていた。


「気づいた? あれ、恥ずかしいでしょう」


 香子先輩は得意げに口元を上げる。


「僕らも同じことしてるんですけど……」

「もちろんそれが狙いよ」

「意味がわかりません」

「わたしに恥をかかせたキミは、同じように恥をかくべきなのよ。羞恥の等価交換ね」


 香子先輩は何を言っているのだろう。


 確かに今、僕はとても恥ずかしい状況にある。

 照れくさくて顔が熱い。服の中は汗でかゆみすら感じるほどだ。

 だけど、


「これ先輩も同等の羞恥くらってると思うんですけど」


 この場がプラマイゼロなら、仕返しにならないのでは。

 先輩側は初めの羞恥が丸々残っているのだから。


「……わたしはこのくらいじゃ何も感じないから」

「顔真っ赤ですよ」

「今日のキミちょっと生意気じゃないかしら!?」


 僕からすれば今日の先輩が隙だらけ過ぎるのだが、もちろんそれは黙っていた。言えば余計に騒がしくなるだけだ。もうすでに僕たちはそこそこ騒々しかったようで、周囲から険しい視線を向けられていたから。


 そんなわけで。

 反省した僕たちは、それきり目的の駅まで大人しくしていた。


 イヤホンから流れてくる音楽に集中しつつ。

 ときどき隣の先輩の横顔を盗み見たりして。

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