20.香子先輩の嘘

 今日の体育館は女子バスケ部の貸し切りである。

 他校を招いての練習試合が行われるためだ。


「その準備になんで男子バスケ部おれらが駆り出されるんだ」

「成績のいい部が優遇されるのは仕方ないよ。世知辛いけど」


 僕たちは2階の通路で観戦中だ。

 粟木のグチに応じつつ、真下で行われている試合を眺める。県予選の直前ということもあって、本番さながらの緊迫した戦いが繰り広げられていた。


「かわいい子いねーかな」

「そういう見方はよくない。何かのハラスメントに引っかかるよ」

「瀬川先輩さえいればいいお前に注意されてもな……、お、ウチのAチームが出てきたな」

「待ってました」


 香子先輩のいる伯鳴高校Aチームと、強豪校レギュラーチームの対戦は、本日の目玉だ。館内がざわつき、コートに注目が集まる。僕も手すりから身を乗り出す。笛が鳴って試合が始まる。


 そして、開始1分で違和感を覚えた。


「……なんか、おかしくない?」

「なんかってなんだよ」

「いや、うまく言えないんだけど。瀬川先輩が……」

「ダブルチーム付かれてるからな、そう簡単には抜けねーだろ」

「それもあるんだけど……」


 それだけではない気がする。

 が、少なくとも粟木はおかしいとは感じていないらしい。

 

 違和感の正体を探して僕はコートの隅々に視線を走らせ、そして考える。

 相手チームのポジショニングから想定される戦術。

 各選手、何が得意で何が苦手なのか。対する味方はどうか。

 マッチアップする相手との力量差は。

 味方側で気になったのは、ミドルからロングのシュートが多いということだ。相手のディフェンスの外から勝負する作戦だろうか。だけどウチの女バスは遠めのシュートが得意な選手は多くなかったはず。思ったとおり成功率は低い。また外れた。そもそもパスが少ないし外一辺倒だから攻撃が単調になっている。だんだん点差が開きだした。香子先輩は何をしているのか。その思考に至って、気づく。


 香子先輩が、全くとまでは言わないが、ほとんど何もしていないことに。


 どうしてそんなことになっているのか。

 確かめようと改めて香子先輩に注目する。


 相手のマークを振りほどこうとしていた先輩の動きが、不意に止まった。

 その場で少しかがみ込んで、足首の辺りに触れる。

 それから何歩か歩いて、キュッとバッシュを鳴らす。


 それは足の状態を――主に痛みの有無を確かめる動作だ。


 香子先輩は顧問に向けて小さく首を振ってから、歩いてコートを出た。

 注目選手の退場に、館内が少しざわつく。

 

「なんだ、瀬川先輩、足やったのか?」

「みたいだけど……」


 香子先輩はしばらく一人で歩いていたが、やがて駆け寄ってきた女バスの一年に肩を借りて体育館を出ていった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



「香子先輩、大丈夫ですか」


 試合はまだ続いていたが、僕は体育館を抜けて保健室へやってきた。


「……ああ、島津君。来てくれたの?」


 室内にいるのは香子先輩だけだ。ベッドに腰かけて、足をぶらぶらさせている。その右足首には湿布が貼られていた。

 しかし、こんなときだというのに僕は、先輩のケガよりも、薄手のユニフォーム姿で保健室にいるという非日常感の方が気になっていた。あまりマジマジと見ないよう、微妙に視線を逸らしつつ向き合う。


「心配させちゃったわね」

「でも見た感じ、あまり酷い状態じゃなさそうですけど」

「ええ、テーピングをするほどじゃないわ。あくまで練習試合だから、大事を取って、ってところよ」

「そうですか。いつ痛めたんですか?」


「試合が始まってすぐ、ダブルチームに付かれたでしょ? だからそれをブチ抜いて驚かせてやろうと思って、ちょっと張り切りすぎちゃったのよ」


 自らの失敗を明かしつつ、苦笑いを浮かべる香子先輩。


「ブチ抜いてとか、そういう言葉はちょっと……」

「いいじゃない、たまに使うからインパクトが出るのよ」

「確かにちょっとびっくりしましたけど……」

「でしょう?」


 先輩の無事を確かめて、ちょっとした雑談で笑い合う。

 二人きりの保健室はおだやかな雰囲気を取り戻しつつある。


 だけど僕はそれを壊さないといけない。





「――でも、嘘ですよね」





「え?」


 先輩は笑顔のまま固まって、


「なんのこと?」


「その足」


 僕は湿布の貼られた足首を指さす。


「怪我なんてしてませんよね」


 香子先輩は右足を引き上げて、湿布の貼られた足首に触れる。それは嘘を隠そうとする所作にも見えた。


「試合が始まってからずっと見てたんです。だから気づいた。香子先輩は試合中に、一度も味方からパスを受けていません」


 香子先輩は押し黙る。


 我慢比べみたいな沈黙の中、体育館でボールが跳ねる音がここまで届いた。

 笛の音や歓声、指示を出す声――

 香子先輩が居なくてもゲームは進んでいる。


 やがて、右足をそっと下ろすと、


「……今日のチームってね、ウチのベストメンバーなんだけど」


 香子先輩は皮肉っぽく口元をゆがめた。


「わたし以外の4人中3人が、わたしをけっこう嫌ってるのよ。それ自体は別にどうでもいいんだけど……、まさかその感情を試合に持ち込んでくるとは思わなかった」


「ああ、それで……」


 媛宮から聞いた女バスの内情を思い出す。

 香子先輩を敵視しているという数人の3年生。

 それが集まった結果、最悪のチームワークが生まれてしまったわけだ。


「香子ちゃんが嫌いだからパスあーげない、とか想定外にもほどがあるでしょ。小学生じゃないんだから」


 おどけた口調でそう言って笑う香子先輩。

 しかし、僕はそのノリに合わせない。


「でも先輩は、その人たちをかばいました」

「……どうしてそう思うの?」


 敵対者をかばったという不自然な指摘にも、香子先輩はそれほど驚いていない。

 逆にその考えに至った理由を、興味深そうに問いかけてくる。


「先輩がもう少しだけ――あと2・3分長くコートに立っていたら、みんな気づいたはずです。香子先輩にパスが回ってない。チーム内でトラブってる、って。


 だけど先輩はそうしなかった。


 怪我をしたと嘘をついて自分がゲームから抜けることで、パスを回さないメンバーがいたことを覆い隠した。証拠隠滅したんです」


 説明を終えてジャッジを待つ。

 香子先輩はゆっくりと首を縦に振った。


「……正解」


「今度はこっちが聞きたいんですけど……、自分に敵意を向ける人を、どうして助けたんですか」


「助けたというより、結果的に助けるような形になっただけよ」


「結果的に」

 

 と僕は繰り返す。

 つまり本来の目的は別にあったということだ。


「せっかくの練習試合が、ダサい理由で台無しになるのが嫌だったの」


「ダサい……、ですか」


「恥ずかしいし、腹立たしいし、悔しいし……、そういうもろもろの感情を全部ひっくるめて、いちばんしっくりくる一言でしょ」


 そんな風に、置かれた状況の割にはおだやかにしゃべっていた香子先輩が。


 不意に痛みをこらえるように顔をゆがめた。


「――先輩?」


「あぁぁぁぁ……もうっ……!」


 うつむいて唸りだす。僕には唐突に見えたその異変は、いわゆる我慢の限界というやつだった。髪の毛をくしゃくしゃと掻きながら唸り続けて、



「――ふざけないで!」



 やがて、爆発した。



「あんたたちにとって、バスケってその程度なの!? あんなに練習したものを、そんな簡単に捨てられるわけ!? ……何よそれ」



 天井に向けて吐き続けていた叫びが急に静まり、



「……だったらせめて、黙って消えてよ」



 香子先輩は力なくうつむいた。



「わたしは譲るつもりないから、そっちが消えなさいよ……」



 高明先輩と別れたときの比ではない。


 初めて目の当たりにする香子先輩の激情に圧倒されて、僕は、話しかけることはおろか、身動きすら取れなかった。

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