35.香子先輩は観戦する
ウインターカップの地区予選が始まっていた。
女子バスケ部の方は無事に今日行われた2回戦を突破。
その試合が終了したあと、媛宮はチームメイト数名とともに、男子の2回戦の観戦に来ていた。
「男バス勝てると思う?」
「きついんじゃない、第一シード相手じゃさすがに」
「だよねぇ、がんばってほしいけどさ」
そんなやり取りをしながら試合開始を待っていると、対面の観客席によく知った顔を見つけた。尊敬する先輩である。ぜひあいさつをしておかなきゃ、と媛宮は席を立つ。
それにしても、あの人がどうしてこんなところにいるのか。
まあ、理由なんてひとつしかないか。
そんな風に自問自答しつつ、歩み寄って声をかけた。
「こーこ先輩」
楚々とした私服姿の瀬川香子は、一瞬身体を硬直させたあと、ゆっくりと振り返った。
「……媛宮さん」
「男子の試合、見に来たんですか?」
「女子の方も見たわよ。3回戦進出おめでとう」
「ありがとうございます。……じゃあ
「ええ、そうよ」
「島津が出るからとかは関係なく?」
「……もちろん、関係ないわ」
香子の返事は遅く、目は泳いでいる。
わかりやすい。内心で苦笑する。
こんなに反応がわかりやすい人だっただろうか。
以前の瀬川香子は、心の
この人を変えたのは、かつての彼氏だった倉知先輩ではなく、きっと――
そんな思索は試合開始のブザーによって打ち切られる。
媛宮たちは眼下のコートに目を向けた。
第二クォーターに入っても一方的な展開が続いていた。
格上である相手チームに押し込まれて、パスもシュートもやられ放題。特に相手のエースに1対1で対抗できる選手がいないことが致命的だ。わかっていたこととはいえ、同じ学校の男子バスケ部が一方的に押されている試合というのは、見ていて気分のいいものではない。
そんな中、香子がぽつりとつぶやいた。
「島津君、ずいぶんボールを持つようになったのね」
「えっ? ああ、そうですね……、前はスリーポイントの一つ覚えって感じでしたけど」
「相手チームもシューターとしては警戒してるけど、それ以外の、中へ切り込んでいったり、パスの中継役としてのプレーはほとんどマークしてないみたい」
「あいつが要になってるってことですか」
「おかげでまだギリギリ、追いつけないことはない、っていう点差で踏み止まっているわ」
「でも、このままじゃどうにもなりませんよ」
「一方的な展開って、言葉を変えればワンパターンってことだから。ちょっとした工夫で反撃の糸口になる――かもしれないわ」
第三クオーターで、香子の言葉どおり流れが変わった。
前半とはうって変わって、島津がスリーポイントを連発するようになり、しかもよく決まったからだ。
それにつられてマークが薄くなると、パスに切り替えて味方をアシスト。
点差は開かなくなり、むしろじりじりと追い上げる展開になる。
選手たちのプレーにときどき口をはさんでいた香子だが、いつしか押し黙って両手をきつく握り、コート上のただ一人を見つめるようになる。それはきっと無意識の所作なのだろう。
そんな香子を見ていると、媛宮の中でいたずらの虫が
「成長した姿を見せたいって言ってましたよ」
「――えっ?」
「一回目の告白のときより成長した自分で、二回目の告白をしたい――だそうです」
目を丸くしてこちらを向いた香子だが、すぐに表情を落ち着かせて、コートへと視線を戻す。
「そう。仲がいいのね。そんなことまで話すなんて」
拗ねていることがはっきりとわかる口調だった。
歳上なのに、 かわいい、と思ってしまう。
もっと動揺させたくなってしまう。
「どうして振っちゃったんですか? あいつ、こーこ先輩のためならけっこう無茶なこともやってくれると思いますよ」
「わかってるわ。……だからダメなのよ」
「そうですか? 好きにさせればいいのに」
首をかしげる媛宮に対して。
遠距離恋愛を否定するつもりはないけど――そう前置きして、香子は語る。
「恋愛って、始まるときは近距離からでしょ? それが離れるとなると、関係を維持するための労力も多くなる。会えない時間をつなぎとめる精神的な意味でも、遠い距離をつなぐための金銭的な意味でも」
「はい。そういう苦労はよく聞くし、想像もできます」
「わたしたちが遠恋をしたら、島津君はきっと関係を維持するために自分にばかり負担をかけて、しかもそれをまったく気づかせないように振る舞うと思うの。わたしの方は、向こうにいる限りバスケ優先だから、きっと彼の献身に甘えてしまう。
そうやって片方だけが努力して取り繕う関係を、真っ当な恋愛と言えるのかしら」
香子の告白を、媛宮は驚きをもって聞いていた。
問いかけへの答えは持っていない。
香子の言葉の端々から感じる、島津への好意に、ただただ驚いていた。
この人はこんなにあいつのことが好きだったのか、と。
「それってつまり……、島津だけに負担をかけるのが目に見えてるから、だから振ったんですか? あいつのために身を引いた、みたいな……」
「改めてそう言われると、すごく健気な女みたいだけど、そんなご大層なものじゃないわよ。それに……」
「それに?」
「島津君は、わたしが特待生の話を受けることを、すごく喜んでくれたわ」
不満そうな口ぶりの香子に、媛宮は首をかしげる。
「いいことじゃないですか」
「だって、わたしは島津君と一緒にいることよりも、バスケを優先したのよ。それなのに彼は、自分よりもバスケを選ぶのか――みたいな嫉妬心をぜんぜん出さないから。それって、わたしへの執着が薄いんじゃないかって不安になるし」
自分は何を聞かされているのだろう。
媛宮は本格的に怖くなってきた。
この二人は想像以上だ。
思っていたよりもずっと、香子は島津に入れ込んでいる。
島津の恋慕はよっぽどだったが、香子の思慕も相当のものだ。
「……あの、執着が薄いってことはないと思いますよ」
「そう?」
「あいつにとって、香子先輩がやりたいことを応援するのは、先輩が思ってるよりもずっと自然なことなんですよ、たぶん」
これを明かせば、きっともう取り返しがつかなくなる。
だけど、この事実を黙っていることは罪だと思った。
知らずにすれ違っている二人を、そのままにしておくなんて。
その罪悪感には耐えられそうにない。
媛宮は意を決して口を開いた。
「覚えてますか? インハイ前の練習試合のときに、先輩たちのあいだでちょっとトラブったじゃないですか。あのときなんですけど、あいつ――」
島津から口止めされていた一件を語り始めると。
同時に始まった第四クオーターそっちのけで、香子はその話に聞き入っていた。
試合が終了すると、香子は別れのあいさつもほどほどに、慌ててどこかへ行ってしまった。行き先はだいたい見当がつくが、あとはもう二人の問題だよね、と傍観者を決め込んで、媛宮はチームメイトと合流する。
「あ、ひめみー。どこ行ってたの」
「んー、ちょっとね」
「男バス惜しかったね、あたしもちょっとウルッときちゃった」
媛宮はその言葉にふと違和感を覚える。
「……あたし〝も〟って?」
チームメイトは首をかしげて、
「だってひめみーもでしょ? そんな泣きそうな顔して」
「――え」
言われて目を見開くと。
ぎりぎりまで溜まっていた涙が、一筋だけ流れて落ちた。
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