09.香子先輩と運行停止
土砂崩れで線路が塞がったため、途中の駅で降りることになってしまった。
駅員さんに聞いた話では、今日中の復旧は難しいそうだ。
「どうやって帰ればいいのかしら」
鈍色の空を見上げて香子先輩がため息をつく。
降りしきる雨のせいで、駅舎から出るのもままならない。
ひとまず僕はスマホで家までの移動手段を調べてみる。
「まだ道路は通行止めになってないですけど、直通の路線バスがありませんね」
「じゃあ高速バスは?」
「近くに停留所がないです。あ、高速の方は通行止めですね」
「もしかして乗り換えなしで行けるのってタクシーくらい?」
「……はい。ただ、ここからだと帰るのに三万円くらいかかるみたいで」
「さんまん!?」
香子先輩の声が今まで聞いたことのないトーンになる。
「田舎で放り出されると、こんなことになるのね」
「土砂崩れはともかく、高速道路の通行止めはそんなに続かないと思いますけど」
「それを待つのもしんどいわ。タクシーだって大雨の中を行くのは不安だし。移動にそんな大金は使いたくないし」
「ですよね……」
「なんか疲れちゃったわ。もう今日は動き回りたくない。近くで泊まれる場所を探しましょ」
香子先輩からその結論が出たことにホッとする。
僕も今日中に家へ帰るのはあきらめていたが、こちらから宿泊を提案するのは下心があると疑われそうで嫌だったのだ。まあ実際あるかないかで言えばあるのだが。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「キミの方が歩幅が大きいんだから、わたしに合わせて歩くように」
「もちろんです」
「じゃ、行くわよ」
「はい」
タイミングを合わせて、二人同時に雨の中へと踏み出す。
この雨は思いもよらない恩恵をもたらしてくれた。
相合傘である。
雨の勢いが弱まるのを待って、売店で大きめの傘を買って駅の外へ出た。
荷物の少ない僕が傘をさして香子先輩をエスコートする。
傘の下の先輩は、なんだか小ぢんまりとしていた。
雨に当たらないようにバスケットを抱き、背中を丸めて歩いているからだろう。ふだんはシャキッと背筋を伸ばして凛々しい感じなので、今のように可愛らしさを感じる先輩というのは新鮮だった。ところどころ濡れて重そうな服や、頬にひとすじ張り付いた髪の毛からは、繊細で弱々しい印象を受ける。
僕は気づかれないように少しずつ、先輩の方に傘を寄せた。代わりに右肩に雨が当たるが、先輩を守るためなら安いものだ。ささやかであっても確実に先輩の役に立っている。それが実感できるから。
歩調を合わせて雨の街を歩く。
目的は宿探しだ。
「ネットカフェは却下ね。お風呂に入れないから」
途中下車したこの町を香子先輩は田舎と評したが、決して何もないわけではない。商業施設は駅の周辺に固まっており、中心街から少し離れると田んぼや山林が広がっている、いわば陸の孤島みたいな町だった。
「でも、ホテルに泊まったら結局高くつくわね」
「素泊まりなら五千円くらいでありますよ」
「な、は? 島津君? まさかそれって」
香子先輩が素っ頓狂な声を上げて立ち止まる。
ワンテンポ遅れて僕も足を止めるが、一歩分、香子先輩が傘から外れてしまう。
慌てて戻りつつフォロー。
「いや愛の宿じゃないですよ」
「何よ愛の宿って」
「ええっと、ラブホテル」
「じっ、じゃあ最初からそう言えばいいじゃない」
「すいません」
「そうやっておかしな別称を使う方がもっといやらしいわ」
「あ、やっぱりラブホテルって単語にはいやらしさを感じるんですね」
「いちいち言わなくていいから」
香子先輩の横顔は少し赤くなっていた。前々から思っていたが、この手の話が苦手らしい。いつも堂々としているのに特定の話題では動揺するとか、最高ですよね。
しかし、あまり踏み込んで本気で機嫌が悪くなっても困るので、名残惜しいが今は話を変えることにした。僕もあまり得意じゃないし。
「ところで先輩が言ってたホテルって?」
「家族旅行のときに泊まるところよ。わたし、そこくらいしか知らないから」
話を聞いてみると、有名なテーマパークに併設された、ハイグレードなホテルのことだった。両親がファンだそうで、年に一度は泊りがけで旅行しているらしい。
「今日泊まるところには、ルームサービスとかないと思いますよ」
「わかってるわよ。キミ、わたしを世間知らずのお嬢さまみたいに思ってない?」
「そんなまさか」
「あ、ちょっと待ちなさい」
追及から逃れるように再び歩きだすと、香子先輩は傘からはみ出ないよう、トトトッと小走りで距離を詰めてくる。
僕が進めば進むほど、香子先輩は離されまいとついてくる。まるで一匹狼の浪人と、それに付き従う弟分のような距離感である。
ぞくり、と鳥肌が立ったのは雨で冷えたからじゃない。
この瞬間、僕は相合傘の真実を理解した。
相合傘においては、傘を持つ者が主導権を握っているということを。
持たざる者は持つ者の行動に身をゆだねるしかない。
両者の間には圧倒的な格差が生まれているのだ。
そして悲しいことに、人は権利を得た途端、謙虚さを失ってしまう。僕自身が証人だ。ついさっきまで香子先輩を雨から守ると意気込んでいたのに、今はもう香子先輩をコントロールする快楽に酔ってしまっていた。
先輩が濡れないようにゆっくり歩いていた初心を忘れ、かわいい小走りが少しでも多く見られるように、ギリギリのスピードを攻める浅ましい男、それが僕だ。
しかし幸か不幸か、相合傘の魔法もそう長くは続かなかった。
少し歩くとすぐにビジネスホテルが見つかったからだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
香子先輩にはロビーの椅子で待ってもらい、フロントには僕一人で向かう。
「いらっしゃいませ」
「予約してないんですが、空いてますか? 土砂崩れで列車が止まっちゃって……」
「はい、大丈夫ですよ。大変でしたね」
品のよさそうなフロントの男性が、苦笑いをしつつそう言ってくれる。
香子先輩の方をちらりと見て、
「お部屋はどうされますか?」
「えーと、ツインの2人部屋をひとつ。あとすいません、僕ら姉弟なんですが、未成年で」
「ではご本人様を確認できるものはございますか? 学生証などでかまいません」
「あ、はい、あります」
「それと、お家の方へ確認のお電話をさせていただいてもよろしいでしょうか」
「はい。電話番号は――――です。じゃあ先に、電話がかかってくること、親に伝えますんで」
そう断ってスマホを耳元に当てる。
「あ、もしもし、そう、泊まれるところ見つかったから。んで、ホテルから確認のための電話がかかってくるから、知らない番号でもちゃんと取ってよ。うん、大丈夫、うん、それじゃ」
そうして宿泊の手続きを済ませ、鍵を受け取ってから、香子先輩と一緒にエレベータに乗り込んだ。
扉が閉まって上昇し始める軽い浮遊感の中、香子先輩が冷めた目を向けてくる。
「キミって意外と悪いやつね」
「親の電話番号と偽って粟木の番号を伝えたことですか?」
本当に親へ確認を取られたら姉弟という嘘がバレてしまうので仕方がない。
嘘に付き合ってくれる友達がいないというつらい理由から、香子先輩は当てにできなかったし。
「それもあるけど、さっきのフロントでのやり取りよ。いつもは挙動不審なくせに、嘘をつくのに慣れてる感じがしたから」
え? 挙動不審? 僕が?
……うん、まあ、聞かなかったことにしようか。
「いやいや、内心ヒヤヒヤでしたよ」
「ふぅん」
「もう心臓バックバクで」
「へぇえ」
なんか変な疑惑を持たれている気がした。
「実は何度かライブで遠出したことがあって、泊まりも初めてじゃないんですよ」
「そう、経験豊富なのね」
「その言い方ちょっとアレですね」
「そう感じるキミの心がアレだわ。……っていうか、ライブとか行くんだ。騒々しいの苦手そうなのに、ちょっと意外」
「ぼっちの心に寄り添ってくれる音楽もあるんですよ」
「ぼっちとは言ってないでしょ」
「実はぼっちは数が多いんです。リアルでは目立たないように息をひそめてますけど、ネットで有名なアーティストがぼっちとか非リアを自称すると、それを旗印にして変に盛り上がったりして」
そんな他愛のないやり取りは、部屋の前につくとどちらからともなく
扉の部屋番号と受け取ったルームキーの番号を何度も確認して、中に入るのを少しでも引き延ばそうとしている自分に気づく。
さすがに緊張していた。
香子先輩と同じ部屋で夜を明かす。
その事実が、ようやく現実感を伴って押し寄せてきた。
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