26.香子先輩と夏祭り 中編
僕はしばらく目の前の綺麗なひとに反応できなかった。
しばらく、というのがどれほどの時間か、それすらわからなくなるくらいに。
我に返ったのは、香子先輩の表情が変わったからだ。
不安げに結ばれていた口元が、やがてイタズラっぽい笑みになる。
「……今、見惚れてたでしょ」
「うっ」
図星すぎてとっさに返事ができなかった。
しかし、言い訳ができないくらいうろたえている自覚はあったので、
「あ、まあ、はい……、そんな感じです」
と正直にうなずいておく。
嘘や照れ隠しを考える余裕すらなかった。
「よーし勝った」
満足げな笑顔でガッツポーズをする香子先輩。
「浴衣でそういうことするのはちょっと」
「勝利の美酒に酔えるのは、勝者の特権でしょうが」
「別に勝ち負けの話に持っていかなくても」
先輩らしいと思いつつ、周囲を見回す。
女性客の半分近くは浴衣姿だが、僕がそれらに見惚れることはない。
たとえば浴衣美人コンテストなるものがあれば、優勝は香子先輩で決まりだろう。僕の主観が大いに入っているとしても、香子先輩の装いが、大勢の男を惹きつけるくらい魅力的であることは間違いない。
それに比べて自分はどうだろうか。
スニーカーにジーンズに『し〇むら』のTシャツ。
シンプルで周囲に不快な印象を与えない服装、と言えば聞こえはいいが、香子先輩の力の入った着付けと比べて、あまりにも手抜きが過ぎるのではないだろうか。
「どうしたのしょんぼりして」
「ちょっと服装の格差に引け目を感じるというか」
素直に打ち明けると、香子先輩は首をかしげる。
「そう? わたしは男子のファッションなんて、清潔感さえあれば気にしないわよ」
「そういうものですかね……」
「人によりけりだとは思うけれど。ただ……」
「なんですか?」
「これはわたしの持論だから、あまり鵜呑みにせずに聞いてほしいんだけど」
「はい」
香子先輩の持論。
それは僕の常識を書き換える天啓に等しい。
一言一句たがえることなく記憶に刻むべき金言だ。
しかし表面上はおとなしく頷いておこう。
あまり無条件に信奉しすぎると引かれてしまう。
「わたしが思うに、女子の可愛さは平均値で、男子の格好良さは最大値なのよ」
「平均値と最大値……」
と僕は繰り返す。なるほど、神の言葉はときに難解だ。
「例えばほら、女子は外見――服装とか髪型とかメイクとかスタイルとか、そういうものに可愛さや綺麗さが左右されるでしょ?」
「はい」
そこはわかったのでうなずきを返す。
「外見は一度整えたらある程度は持続するものよね。だから平均値」
「ああ、そういうことですか。仕草や表情で多少の変化はあるかもしれないけど、事前の準備で決まる部分が大きいから」
「そうそう。それに対して男子はね、ばっちりキメてきたオシャレとかを見せられても、あまりときめかないのよ、わたし」
それはそれで報われない気がするが、今は置いておこう。
「じゃあ男子の最大値とはいったい……?」
「ずばり行動ね。ここぞという場面で一歩踏み出せるかどうか。それが男子の格好良さの最大値を決定するの」
香子先輩はくるりと後ろを振り返り、人混みを手のひらで示す。
「たとえばこんな、人混みに紛れてしまいそうなときは……ッ?」
香子先輩の言葉が途中で途切れる。
僕が先輩の、空いた方の手を握ったからだ。
それはほとんど反射的な動きだった。
積極的とか大胆を通り越して、あまりに突飛な行動だった。
行動が格好良さの最大値を決定する。
その言葉に
「な……」
びくんと肩を震わせ、ゆっくり振り返る香子先輩。
幽霊でも見たみたいに目を大きく見開いている。
手汗は大丈夫だろうかと、心配事が遅れてやってきた。
「……ええと、その、はぐれないように手をつなぎましょう」
言い訳のように付け足すと、香子先輩はふいっと前を向いた。
「くっ……、なかなかやるようになったわね」
「なんで悔しそうなんですか」
「これは悲しみよ、
香子先輩はこちらを見ずに先へ進んでいく。手をつないでいるというよりも、引っ張り回されている、の方が正しい有様である。
「あの先輩、もうちょっとゆっくり……」
そう訴えてみてもスピードを落としてはくれなかった。
照れ隠しであることは察したものの、実際に口に出す勇気はまだ持てない。
重なった手のひらの熱を感じながら、人混みをかき分けていく。
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