22.香子先輩の代弁者 前編

 すべての練習試合が終わり、後片付けも済んだ体育館の裏手。

 普段はひと気の少ないこの場所に、今は三人の女子生徒を待たせていた。


 女子バスケ部の3年生――三人とも香子先輩と一緒にスタメンに名を連ねていた人たちだ。


「どうも、お待たせしました」


 こちらから声をかけると、場の雰囲気が張り詰める。


「お前、男バスの2年だろ。何しに来た」


 背の高い先輩がケンカ腰で問い詰めてくる。

 僕の次は、隣の媛宮ににらみを利かせて、


「こりゃあ一体どういうことだ? アタシらは瀬川が来るっつーからわざわざ待ってたんだぞ」


 背の高い先輩が言ったとおりである。


 香子先輩を見送ったあと、僕が媛宮に頼んだこと。

 それはこの三人の呼び出しだった。


「すいません、嘘です。僕が媛宮をそそのかしました」

「あぁ?」


 背の高い先輩は今にも掴みかかってきそうな獰猛な雰囲気。

 それを鎮めるように、物静かな先輩が前へ出る。


「……あなた、瀬川さんに付きまとってる子でしょ」


 付きまとっている、とはまたひどい言い方だけど、周りからはそう見えても仕方がない。一応うなずいておく。


「それに媛宮さんも。わたしたちに何か言いたいことがあるのかもしれないけど、こちらにはないの。今後はもう、こんなことはしないでね」


 下級生のおいた・・・をたしなめる、余裕たっぷりの上級生。

 それを見事に演じつつ、物静かな先輩は、僕たちの脇を通り抜けていく。


「ほら、どけよ」


 背の高い先輩が、僕の肩を押しのけていく。

 三人目の、大人しい先輩は無言のまま小走りで通り過ぎていく。


「ちょ、ちょっと島津……」


 媛宮が不安そうに呼びかけてくる。


 無理もない。

 嘘をついて上級生を呼び出すという、勇気のいる行動を取ったのに、相手はこちらを空気扱い。自分のしたことは無意味だったのではと、気が気でないのだろう。


 だけど、まだまだ。

 こういう対応をされるのは想定内だ。


「先輩は来ませんが、僕は本人から話を聞きました。先輩がどんな思いでいるのか」


 逃げるな、振り向け、こっちを見ろ。


香子先輩に・・・・・パスを回さなかった・・・・・・・・・皆さん・・・には、話を聞く責任がある」


 三人の足が止まった。


 大人しい先輩がびくりと肩を震わせる。

 物静かな先輩が無言で振り返る。

 背の高い先輩が肩越しに睨んでくる。


「お前な、どういう意味だよ」


 背の高い先輩がずかずかと歩み寄ってくる。


「パスを回さなかったって? あたしらが瀬川をハブにしたって言いたいのか?」

「はい」


 態度と体格と言葉の圧力に、正面から耐えて応じる。


「試合の開始から数分間、皆さんは香子先輩に一度もパスを出しませんでした」


「バカ言うな、相手のマークがきつくて出せなかっただけだ。ちょっとパスが通らなかっただけで仲間外れとか、発想がガキなんだよ」


「そうですか? パスが通らなかったんじゃなくて、そもそも、一度も出そうと試みなかったような……。香子先輩が動いてフリーになろうとしてたのに、それを見ることすらしてなかったし」


「ああ? そんなもん証拠はあるのかよ」


 もちろん手元にはない。自分の記憶を頼りにしゃべっているだけだ。

 向こうもそれがわかっているからか、僕への警戒心が全くない。

 一方的になぶれる相手だと思っている。


「証拠ですか……、他校のチームが撮っていたカメラを見れば、映ってるかもしれませんね」


 だからひとまず、僕は僕以外の存在をチラつかせてみる。


「……あ? そんなもの、見せてくれるわけ――」

「ないですよねぇ」

「……あ、当たり前だろうが」


 言葉は荒っぽいが、その裏には間違いなく安堵があった。この程度の揺さぶりで動じてくれるのなら容易い相手だ。


「でも、女バスの顧問に事情を話して、教員同士でやり取りしてもらったら、いけるかもしれませんよ」


 その〝提案〟はつまり、現時点では生徒間のイザコザでしかない真偽の不確かな話を、教師に相談して解決に協力してもらう、ということだ。


 話を大きくされたら困る人たちの顔色が変わった。


「テメエ……、顧問に密告すチクるとか……、脅しのつもりかよ」

「そんな大それたこと……」


 僕は肩をすくめて左右に首を振った。


「あ、じゃあ、こういうのはどうですか?」

「……なんだよ」


 背の高い先輩は嫌そうな顔をしつつも、こちらの話に耳をかたむけ始めている。

 最初はまったく相手にされなかったことを思えば、大きな前進だ。

 手ごたえを感じつつ説明を続ける。


「観戦していた女バスの部員に聞いて回るんですよ。あとは、相手チームの選手に話が聞けたら、そこそこ説得力があるかも。チーム外で利害関係のない人たちだから、証拠として有効だと思うんですけど」


 この代案は、実は〝顧問への相談〟よりもはるかに危険なものだ。


 物静かな先輩は気づいたのだろう。

 背の高い先輩を制して前へ出てきた。


「密告だけでは飽き足らず、拡散して炎上させる気? あなた、見かけによらず危ない子ね」


「僕はただ、みんなから話を聞ければ情報が集まると思っただけで」


「そうやって寝た子を起こすつもりでしょ?」


「……どういうことだよ」


 背の高い先輩が、戸惑いの声を上げた。

 物静かな先輩は、そちらに振り向いて、僕の真意を解説していく。


「現時点で、この件に気づいている生徒はほとんどいないわ。そういう人たちに対して、声をかけて回ると、この子は言ってるのよ。


『試合でおかしいと感じたことはありませんか?』

『どうやら瀬川さんにパスが回ってなかったみたいなんですけど』


 ――って。そしたら、質問された人たちはどうなると思う?」


「……そういうことがあったって知って……、で、いろいろ考えちまう、か?」


「そうね。質問されたら考えてしまうのが人間だから」


 物静かな先輩はため息をつく。


「何も言われなければ、考えもしないまま忘れていたことを、どうだったかなって思い返して、意識してしまう。他の部員と話し合ってしまう。……その流れで、犯人探しを始める人も出てくるでしょうね」


 拡散して炎上させる。

 物静かな先輩の言葉選びは的確だ。


『香子先輩がパスをもらっていない』ことは、そもそも意識している人間がほとんどいない。

 その噂を、目撃情報を集めるという名目で広めていく。これが拡散。

 するとやがて、情報を得た人たちは勝手に考え始める。これが炎上だ。


 顧問への〝相談〟以上に、先輩たち三人とっては面倒なことになる。


 媛宮から聞いたとおり、この三人が香子先輩と険悪だったのは周知の事実。だから、信憑性もある。女子バスケ部員の多くが関心を持つ話題だからこそ、燃え広がるのも速い。


『そう言われてみればパス回ってなかったかも』

『気がつかなかった』

『でもなんで?』

『香子先輩へのヒガミとか?』

『他に出たくても出れない人だっているのに』

『試合でそういうことするのって、ちょっとどうかと思う』


 ――そんな風に話が広まれば、立場がなくなる。


 二人の先輩も理解したのだろう。


 背の高い先輩が、顔を引きつらせた。

 大人しい先輩が、ひっ、と息をのんだ。


 物静かな先輩は、忌々しげなしかめっ面をこちらに向けて、



「……何が目的? 瀬川さんに謝れ、とでも言うの?」



 ようやく、その言葉を引き出すところまで来た。

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