23.香子先輩の代弁者 後編
「――何が目的? 瀬川さんに謝れ、とでも言うの?」
物静かな先輩が、忌々しげなしかめっ面で言った。
自分たちのしたことを認めたのだ。
だがそれは、この人たちに勝ったとか負けたとか、そういう次元の話ではない。
僕にとっての勝利があるとすれば、それは。
香子先輩が明日からも気兼ねなくバスケができるようになることだ。
そのためには、この人たちに今までどおり――いや、今まで以上に、バスケに対して本気になってもらう必要がある。
できるかどうかはわからないが、やるしかない。
「香子先輩は悔しがってました。せっかくの練習試合が台無しになったって」
まずは、問いかけから微妙にズレた答えを返す。
その意味を考えるように、物静かな先輩は少し間を取った。
「……自分にボールを回していれば勝っていた、とでも言ってたんでしょ?」
物静かな先輩が、香子先輩にどういう不満を持っていたのか。
その言葉と、皮肉っぽい表情で、少しだけ彼女の内心がわかった気がした。
「そうですね」
同意すると、ほらやっぱり、と言いたげに鼻で笑う。
――ここで僕は、相手を切り替える。
いつもほかの二人の後ろで小さくなっている、大人しい先輩。
「
声をかけると、びくりと震えられてしまった。
僕みたいな人畜無害系男子ですらこの反応って、いろいろ大変そうだな……。
心配しつつ、気を取り直して話を続ける。
「香子先輩が言ってましたよ。自分のマークに二人ついてたから、そのぶん外園先輩がよくフリーになってた。それを見逃さずにパスを回していれば、ロングシュート打ち放題だった。外園先輩なら七割は入ってたのに、って」
「えぅ……、せ、瀬川さんが、あ、あたしのこと、そんな風に……」
大人しい先輩は、猫背をさらに丸くしてうつむいてしまう。前髪が垂れて表情が全く見えないが、声のトーンからは驚きと、かすかなうれしさのようなものが伝わってくる。気がする。
「
「あ?」
続いて背の高い先輩に声をかけると、チンピラめいた威嚇が返ってくる。安定のケンカ腰だ。
「香子先輩が嘆いてましたよ。好き放題にシュートを打たれるし、リバウンドも一方的に取られるしで、攻守のリズムが最悪だった。やっぱり内山先輩がちゃんとゴール下にいてくれないと、相手チームから舐められる。自分にはそういう威圧感がないから、って」
「……はっ。威圧感とか言われてもうれしくねー」
吐き捨てるような口調だが、頼られたことはまんざらでもないのか、背の高い先輩はもじもじしている。今は威圧感は出ていない。
「
「……何」
物静かな先輩は、身体は横向きのまま、目だけでこちらを見ている。あなたごとき、まともに相手をする気はない、と語っているかのような立ち姿だ。
「香子先輩が苦笑してました。わたしが好き勝手にやっても中条先輩がフォローするけど、中条先輩が好き勝手にやったらフォローする人がいない。だからあきらめて縁の下の力持ちをやるべきだ、って」
「……あの人は、いつもそうやって……ッ」
物静かな先輩は悔しそうに口元をゆがめるが、すぐにため息をついて表情をフラットにした。香子先輩の言葉は腹立たしく思いつつも、その内容がチーム事情を言い当てていることは、認めざるを得ないのだろう。
三者三様、それぞれに向けたメッセージ。
それを受けて、三人ともが揺さぶられている。
今ならきっと、香子先輩の真意も届くだろう。
意を決して話を核心へ進めていく。
「さっきの練習試合で、どうして香子先輩は退場したと思いますか?」
「ああ? 見切りをつけたんだろ。自分にパスが回ってこないんじゃ意味がないって。気が早いやつだ。あんなこと、ずっと続けるわけがねーのによ。せいぜい数分ってところ――」
「その数分のあいだに、顧問に気づかれたらマズいんですよ。実際、違和感くらいは感じていたかもしれません。だから香子先輩は、自分のケガというハプニングによって、その違和感を上書きした」
試合でのパス回しに不自然なところが見られたとして。その原因がただの不調や相手との力量差ではなく、部員同士の揉め事にあるというなら。
顧問は口頭での注意もするが、最終的にはスタメンの見直しも考えるだろう。
その可能性は先輩たちも理解しているらしい。
「じゃあ、せ、瀬川さんは、あたしたちをかばった、の……?」
大人しい先輩が、声を震わせながらつぶやけば。
「考え過ぎよ、ケンカ両成敗を恐れたんでしょ」
物静かな先輩が、きっぱりと否定する。
「どっちも当たってると思います。香子先輩、利己的なところがあるから」
僕がどっちつかずの曖昧なまとめ方をすれば。
「あぁ? どういう意味だよ」
背の高い先輩が、はっきりしろと睨みつける。
問われたならば、満を持して、香子先輩の言葉を。
伝えるべきタイミングがやっと来た。
「――今日のチームはベストメンバーだって、香子先輩は言ってました。
だから、勝利のためには誰一人として欠けてほしくなかったんですよ」
自分の求める勝利のために。
今のメンバーが必要だ。
だからケガと偽ってでもかばった。
それが自分を嫌う相手であっても。
赤の他人である僕から伝えられた、香子先輩の本音。
先輩たちの表情を見るかぎり、それは素直に受け入れていた。
僕がそう思うように、きっと先輩たちも思っているのだろう。
それは実に香子先輩らしい考え方だ、と。
「……ところで、さっきの話ですけど」
話がまとまってきたところに、そっと割り込む。
ようやく伝えたかったことは伝えきった。
あとは撤収準備である。
「顧問の先生に相談とか、他の部員に聞いて回るとか、そういうのは香子先輩の目的に反するのでやりません。というか、こちらの話を聞いてもらうための駆け引きだったので……、後輩が出過ぎた真似をしてすいませんでした。じゃあ、失礼します」
僕は軽く頭を下げると、早歩きでその場を後にした。
冷静ぶってはいたがもう精神的に限界だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
呼び止められていた気もするが、かまわず逃げた。
それはもう一目散に、学校の外まで。
「ちょっと島津! 待ってってば!」
追いかけてきたのは媛宮だけだった。よかった。
「何……? 僕はもう無理だから、ホントもう無理……」
「あたしだって無理、あの場にあたしだけ残して逃げるとか何考えてんの?」
炎天下で二人とも駆け足だったせいで、息は上がり汗だくになっている。
こんな状態で自販機を見つけたら、助けを求めるしかない。
「ポカリでいい?」
「よろしく」
媛宮の問いかけにうなずくと、やがてキンキンに冷えたペットボトルが差し出される。
受け取ったポカリのキャップを開けて、半分ほどまで一気飲みする。
「……っはあ! 生き返る……」
「あ~、染み渡るわぁ……」
ボトルをあおってから、喉を鳴らして、息を吐くところまで完全にシンクロしていた。
「そういえばお金」
「今日はいい、奢ったげる」
財布を取り出そうとしたら、媛宮に待ったをかけられる。
「え? 女子に奢らせるのってダサいんじゃないの?」
以前に喫茶店で媛宮から言われたことはよく覚えていた。表面上はあっさり聞き流したが、内心ではけっこう傷ついていたのだ。
「せめてこれくらい払わせてよ」
という媛宮の横顔はムスッとしていた。
「あたしだってこーこ先輩のために何かしたかったのに」
「先輩たちを呼んでくれた」
「あんなの、島津のやったことを100としたら、2とか3くらいの労力じゃん」
「いやでも、初めに一回、先輩たちがこっちを無視してそのまま帰りそうになっただろ? どうにか呼び止めて話を聞いてもらえたけど、あのとき、ずいぶんあっさり止まってくれたのって、媛宮が事前に何か説得してくれてたんじゃ……?」
媛宮が落ち込んでいると調子が狂うのでフォローをしてみたら、
「……もしかして気づいてないの?」
となぜか呆れ顔をされた。
「何が?」
「先輩たち、あんたが〝香子先輩〟って下の名前で呼んだから驚いてたのよ」
「……え? したのなまえ?」
「こーこ先輩のご尊名を、ずいぶん馴れ馴れしく連呼してたじゃない……」
媛宮のジトッとした視線を受けながら、自らのミスに今さらながら気づく。
走ったせいで出たのとは別の嫌な汗が、全身からダラダラと滲み出てくるのを感じていた。
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