24.香子先輩と◯◯の夏

 あのあと香子先輩と他の先輩たちの関係がどうなったか、詳しいことは知らない。こちらから尋ねることはなかったし、向こうからの報告もなかった。


 ただ、女子バスケ部としての結果は明らかだった。

 みごと地方大会で初優勝し、全国大会へと進出。

 それは多くの人が知っている、周知の事実だ。


 その中心選手として目覚ましい活躍をした香子先輩は、地方新聞やネットメディアの取材を受けたりして、校内ではちょっとしたアイドル的な扱いになっていた。


「ホントによかったの?」


 一学期の終業式で、地方大会優勝の表彰と、全国大会に向けての壮行会が行われたあと。

 教室へ戻ったところで媛宮にそう問われた。

 何度も聞かれたことなので、もはや主語すら不要になっている。


 その主語というのは、あの日の一件について。

 三人の先輩たちに、香子先輩の真意を伝えたことだ。




「あの話に、僕は一切関わってないことにしたいんだけど」


 こちらの頼みに対して、媛宮は不機嫌そうに眉を寄せた。


「は? 何それ」

「媛宮ががんばって先輩たちを説得したことにできないかな」

「だーかーら、なんでそんなこと言うわけ」


 苛立って説明を求める媛宮に向けて、僕はうまい言葉を探す。


「あの話って実は、だいぶ虚飾――ってほどじゃなくて、誇張――もしっくりこないし、……そう、編集だ」


 いちばん伝えたかった言葉は香子先輩自身のものだが、それ以外の結構な部分は、本人がはっきりそう語ったわけではないのだ。各先輩へ個別に向けた『香子先輩はこう言ってましたよ』的な話なんかは、特に。


 とはいえ、まるっきり全部が嘘というわけではない。


 香子先輩がチームメイトのことをどういう風に考えているのか。ふだんの雑談の中で聞いた話などを総合した上で、香子先輩ならこう語るだろうという想像によって形を整えたもの。


 瀬川香子という原作を、僕が編集したようなものだ。


 ――という話をすると、媛宮は苦い顔でうなずいた。


「よーするに、口から出まかせで説得したから、後が不安ってことでしょ。先輩たちがその話をしたとき、いろいろ噛み合わなくなるもんね」


「実際は、きちんと話し合って、謝罪して仲直り、みたいにはならないと思うけど」


「あーそれはあたしも同感。でも、だったら、お三方にも一応、口止めしといた方がいいよね」


「確かに。頼める?」


「いーよ、それくらい。あんたの働きに免じて、引き受けたげる」


「感謝」


「手柄を横取りするみたいでなんか嫌だけど」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 肝心のインターハイの結果は、3回戦進出というかなりの好成績。

 が、負けたらそこまでのトーナメントである。

 香子先輩たち3年生の夏は、そこで終わった。



「夏は終わったっていう表現、夏の大会で負けたときによく使われるでしょ? あれ、わたし好きじゃないのよ。敗北と喪失をドラマチックに印象づけたいっていう思惑が透けて見えるもの。他人の〝夏が終わった〟を見聞きするだけでイラっと来てたのに、自分がその対象にされたときの気持ち悪さったらないわ」


 テレビの地元ニュース枠でまさに〝夏は終わった〟をされたばかりの香子先輩は、まだ氷が多く残っているアイスコーヒーをストローで乱暴にかき混ぜた。カランカラン、と涼しげな音が響く。


 場所はいつもの喫茶店。

 大会の結果についてねぎらいの電話をかけたら、話の流れで会うことになった。

 学校からの帰りだという先輩は制服姿である。


 二人きりで話をするのはだいたい一週間ぶりくらいになる。

 顔を合わせるなり、このグチだ。

 ここしばらくは忙しかったと思うが、変わらない様子に安心する。


「バスケの夏が終わったなら、また次の、別の夏を始めたらいいじゃないですか」


 僕はアイスミルクティーを飲みつつ、先輩の持論に応じた。

 すると香子先輩は目を丸くして、


「……やけに前向きじゃない。めずらしい」

「次のことを考えないといけないので」

「男バスの副部長にされちゃったから?」

「知ってたんですか」

体育館せけんは狭いもの。すぐ耳に入ってくるわ」

「まあ、ですよね」


 顔を見合わせて苦笑したあと、ふと先輩の表情が曇る。


「……でも、いいわね。キミはもう一年バスケをやれるんだから」


 香子先輩はぽつりとつぶやきながら、隣の空席に置かれた花束へ切なげに流し目を送る。中央に向日葵があしらわれた派手な配色のそれは、女バスの後輩たちから贈られたものだ。


「香子先輩……」

「あっ、それとね、他にもあるのよ」


 と香子先輩は不自然に明るい声で、不自然に話題を変えた。


「なんですか?」


 僕も無理にそれを指摘せず、話を合わせる。

 しんみりした雰囲気は、今は不要だ。


「ほら、これ」


 香子先輩が取り出したのはスマートフォンだった。

 といっても新機種に買い替えたわけではなさそうだ。


「……あ、スマホケース」

「え、うそ、気づいたの? 目ざといわね」


 香子先輩の持ち物くらい把握していて当然だ。

 しかし、そのあたりを曖昧にしておくくらいの分別はある。


「あー、まあ、なんとなくいつもと違うなーと」

「そうなのよ、実はこれ、媛宮さんたちがプレゼントしてくれたの。今まで使ってたケース、留め具とかが外れそうだってぼやいてたの、聞かれちゃってたのね」

「プレゼントですか」

「そう、誕プレ」


 誕プレ。すなわち誕生日プレゼント。


「わたし、部のみんなに誕生日の話をしたことないのに」


 香子先輩は首をかしげつつ、ちらり、と視線を向けてくる。


「どこで情報を仕入れたのかしら」


 ちらり、とまた視線。

 そんなアピールめいたことをしなくても、ずっと忘れたことはない。


 いつだったか、香子先輩と誕生日の話をしたことがある。


 それがたまたま僕の誕生日から数日後だったので、香子先輩はプレゼントだと言って紙パックのジュースを奢ってくれた。


 そのときに聞いたのだ。


『わたしの誕生日は7月31日なの。夏休み中ってこともあって、あまり友達からプレゼントをもらった記憶がないのよ。そもそも友達が少ないんだけど』

『……で、でも、ある意味覚えやすいですよね』

『そうね。期待してるわ』


 ――だから。

 ひと月以上前から、何をプレゼントするのがいいか考えていた。


 重すぎず、軽すぎず。

 だけど少しは痕跡を残したい。


 もらっても困らないもの。

 邪魔にならないもの。

 引かれないもの。

 できれば役に立つもの。


 あれやこれやと考えた結果が、今。

 隣の空席に置いた、ショルダーバッグの中に入っている。


「……今、怪しい動きをしたわね」


 それをチラ見したことに気づかれてしまった。

 テーブルに身を乗り出して、ショルダーバッグをじっと見つめる香子先輩。


 その圧力に負けて、バッグから小さな紙袋を取り出す。

 両手で持って名刺みたいに香子先輩に差し出した。


「……お納めください」

「ビジネスマナーみたいだからダメ。やり直し」


 香子先輩は顔の前で人さし指をクロスさせる。


「……誕生日おめでとうございます」

「ありがとう」


 改めて紙袋を差し出すと、香子先輩はうなずいて受け取った。


「開けてもいい?」

「今はちょっと……、できれば帰ってから」

「えい」

「ああっ」


 紙の包みはあっさり開かれて、出てきたのは空色のハンドタオル。


「ふむふむ」


 香子先輩はそれをじっくりと検分する。

 生地の感触を確かめたり、裏返してデザインを眺めたり。


「無難ね。キミらしいプレゼント」


 それが悪口でないことは、表情を見ればわかった。


「大切に使わせてもらうわ」


 にこりと笑いながら、バッグの中にハンドタオルを入れる。

 今この瞬間から、僕のプレゼントは香子先輩の普段使いになった。


 自分の贈った品が先輩の生活の一部になる。

 そう考えると、プレゼントひとつに思い悩んだ時間が報われた気分だった。


 ひと仕事終えたような気持ちで、残っていたアイスミルクティーを飲み干す。


「……ところで、島津君」


 香子先輩がテーブルの上に肘を乗せた。

 おや、と思う。


 言葉からは探るような響きを。

 仕草からは流れを変えようとする意図を。

 それぞれ感じたからだ。


「なんですか?」

「さっきキミは言ってたじゃない。別の夏を始めたらいいって」

「はい」

「わたしの次は、明らかに受験の夏なんだけど……」


 ふう、と物憂ものうげにため息をつく香子先輩。

 それは、これから始まる勉強漬けの日々への憂鬱と、部活を引退したことによる喪失感が入り混じったものなのだろう。


 プレゼントで少しは晴れたであろう気持ちが、またあっさり曇ってしまう。

 それが嫌で、僕は。



「その前にもう一つあるじゃないですか。祭りの夏が」



 ――気づけばそんなことを口走っていた。

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