第20話

 翌日になり、また練習試合が過ぎていく。

 昨日とほぼ同じ光景だ。

 俺はベンチに座り、笹山先輩はスコアシートを書いたりと忙しそうである。


「あーぁ、オレもベンチかぁ」

「夜遅くに女の部屋に入り浸ってたからだろ」

「お前もな」


 変わったことと言えば、佐原がベンチにいる事だろうか。

 昨日の夜更かしが祟って、今日は不調なようだ。


「ほら、そっちのスクイズ減ってるから注ぎ足しといて」

「まるでマネージャーだな」

「そうかな?」

「口調まで笹山さんみたいになってるぞ」

「誉め言葉として受け取っとくよ」

「好きにしろ」


 佐原にマネージャー業務を教えながら、散らかったタオルを掛けなおしたり、俺も仕事をする。

 仕事を終えてベンチに座りなおすと肩を小突かれた。


「で、昨日はどうだったんだ?」

「試合見ろよ」

「別にいいって。どうせ昨日と同じ展開になるだけなんだから」

「仮にもレギュラーメンバーのお前がそんな事言うな」


 こいつには俺以上にバスケ部員としての自覚がない。

 こんな態度なのに才能があるのは、真面目にやっている奴からしたらイラつくだろうな。


「佐原が先に言えよ」

「お? 言ったらお前も喋るのか?」

「さぁな」

「ハッ、そんな事で話すわけねーだろ」

「面倒くさい奴だな」

「涼太に言われたくねーよ」


 佐原は溜息を吐きながら、俺の太ももを殴ってくる。

 特に筋肉が詰まっているわけでもないので、骨に響いて痛い。


「やることはやったぜ」

「結局話すのかよ」


 口を開いた佐原にそう言うが、奴は気にせず続ける。


「まぁ、一言で言うと彼女ができたって事だな」

「マジか。おめでとう」

「あぁ……でもあんま、言いふらすなよ?」

「勿論」

「信じてるからな」


 これまで佐原には数々のアドバイスで助けられた。

 恩は今ここで返そうじゃないか。

 昨日の事だって、佐原の肝試しの提案がナイス過ぎた。

 こいつはやはり俺の恋愛コーチなのだ。


「コーラ奢るよ」

「お、気が利くねぇ」

「コーチへの臨時ボーナスだよ」


 俺達はガッチリと、手を握り合った。

 これは男の友情だ。

 簡単に揺らぎはしない。


 と、冷ややかな視線を背後から感じた。

 恐る恐る振り返る。


「君たち、応援は?」

「「すみません」」


 笹山先輩が静かにキレていた。

 よし、練習試合の最中くらいは雑談は控えよう。


 ちなみにその後、俺たちが試合に出る事はなかった。




 ‐‐‐




 昨日はあの後、笹山先輩の部屋から自室へ帰ってすぐにシャワーを浴びた。

 そしてベッドに入ったのが午前一時。

 眠れずにゴロゴロしていると、しばらくして佐原が帰ってきたのを覚えている。

 佐原もすぐにシャワーを浴び、出てきたらベッドに入った。


 互いに起きてはいたはずだが、会話はしなかった。

 なんとなく、話す気になれなかったからである。

 恐らく俺も佐原も、彼女と過ごした余韻に浸りたかったのだろう。


 なんだかんだ、二時を過ぎた頃には眠りについたはずだが、今朝は六時集合だったため、五時半には起きることになっていた。

 というわけで、俺も佐原も超寝不足絶不調になっているのである。


「涼太、からあげあげるぞ……」

「やめろ、俺も自分の分で精一杯だ」


 昼休憩。

 俺と佐原は昼食の弁当を食べていた。

 他の部員とは少し離れた、陰になっていて風の流れが心地よい場所にいる。


「やば、マジで眠い」

「俺も同じだ」

「くそ、早めに部屋に帰ってればよかったぜ」

「部屋に帰ったって、どうせ余韻で寝れなかったと思うけど」

「違いないな」


 佐原が何をして、どこまでいったのかは知らないが、俺は無理だった。

 どうしても唇の感触を思い出して仕方がなかった。

 正直、今でも鮮明に残っている。


 唇をなぞりながら、ぼーっと呆けていた俺に佐原は笑った。


「その感じじゃ、キスはしたみたいだな」

「……」

「どうだった?」

「……よかったよ」


 青い顔のこいつに見破られても反応する気になれない。

 変に否定したり、言い返す気力すらわかないのだ。

 俺の顔色も傍から見れば最悪なのかもしれない。



「あれ、なんで二人だけこんなに離れたところにいるの?」


 だらだら飯を食っていた所に、上から声を掛けられる。

 見上げれば、伊藤に見下ろされていた。


「伊藤こそなんで?」

「ジュース買いに来たんだよ」

「なるほど」


 見れば近くに自販機があった。

 そこで、先ほどの事を思い出す。


「佐原にコーラ買ってやらないとな」

「……あぁ、そんな事言ってたな」


 よろよろと体を起こす佐原に、伊藤が吹き出した。


「なんでそんなに顔色悪いの? もしかして、寝れなかった?」


 若干煽るような口調の伊藤に、佐原は苦笑する。


「そりゃ、あんなことすればな」


 今度は伊藤の顔が真っ赤になった。

 え、なんだ?

 どういうことだろう。


「あんなことってなんだ?」

「あんたには関係ない」


 ピシャリと言われ、口を閉ざす。

 しゅんとする俺の肩を佐原が叩いた。


「まぁ、色々あるんだよ」

「……」


 めちゃくちゃ気になる。

 何したんですか、一体。

 ていうか、俺がキスしたのは知ってるくせに、自分だけ言わないなんてズルいぞ。


「ほら、行くぞ」

「……おう」


 有無を言わさぬ佐原に気圧された。

 仕方ない。

 特に追及するのもやめて自販機に向かう。

 そして佐原にコーラと、なんとなく伊藤にもジュースを買ってあげた。


 昨日も笹山先輩にジュースを買ってあげたし、最近は他人に奢ってばっかりだ。

 誰か、奢ってくれないだろうか。



「あたしが奢ってあげようか?」

「えっ? ……あぁ、川崎先輩ですか」


 タイムリーなタイミングでひょっこり現れたのは川崎先輩だった。

 彼女は俺の横に並ぶと、聞いてくる。


「で、何が飲みたい?」

「いや、いいです」

「誰か奢ってくれないかなぁって顔に書いてあるけど」

「マジですか? じゃあちょっと洗い流してきます」

「なにそれ」


 爆笑する先輩を他所に、俺は緊張する。

 おかしな話だ。

 似たようなシチュエーションでも、相手が笹山先輩なら頬が緩むというのに。

 この先輩が相手だと逆に表情筋が強張る。


「あの二人、良い感じだね!」

「ですね」


 伊藤と佐原は俺が買ってやったジュースを片手に、仲良く笑い合っている。

 いつの間にか、置いて行かれていたらしい。


「そっとしてあげよーよ。ほら、二人きりにね」

「そうですね」


 とりあえずあいつらは放置して、弁当の残りを食べよう。

 そう思って動こうとしたが、腕を掴まれた。


「……なんすか?」

「涼太君、昨日女子の階にいたよね?」

「……会いましたもんね」

「彩乃の部屋でしょ? 楽しかった?」

「……はぁ、まぁ」

「何その煮え切らない反応~」


 川崎先輩は笑いながら、俺に一歩近づく。

 そして、口を近づけて言った。


「で、ヤったの?」


 ここで来るか。

 昨日遭遇した際に聞かれるだろうと覚悟していたが、杞憂だったため、安心していた。

 束の間の安らぎだった。

 やはりこの質問は必須ルートらしい。

 俺は彼女と距離を置きながら答える。


「そんなわけないじゃないですか」

「え、マジ? 断られたの?」

「誘ってもないです!」

「え」

「あ、いや。すみません」


 つい語気が強くなってしまった。


「ていうか、昨日は派手な事はやめろって自分で言ってたじゃないですか」

「あれ、そうだっけ? 眠かったから覚えてなーい」


 相変わらず相手をしづらい。

 会話の主導権は全て彼女にあるのだ。

 川崎先輩は憐れむような顔を向けてくる。


「可哀そうに」

「だから、そんなんじゃ――」

「あたしなら、別によかったのに」


 ……は?

 何言ってんだ、この人。


「は?」

「だから、彼女がもしあたしだったら相手してあげてたよ」

「……知りませんし興味ないですよ」

「興味無いは嘘でしょ?」


 彼女は俺の胸のあたりに手を置いてくる。

 避けようにも後ろは壁で退路がない。

 さらに言うなら、ここは入り込んだ場所なため、笹山先輩達から俺達の様子が見えない。

 何が起きようと、目撃されることはない。


 どんどん身体を寄せてくる川崎先輩を、極力変な場所に触れない様に遠ざける。

 男はいつだって慎重にならないといけない。


「マジで、やめてください」

「あは、やっぱ本当に童貞なんだ。初心で可愛い」

「キモいですよ」


 本気で睨みつけると、川崎先輩は溜息を吐く。


「あたしは本気だよ」

「何がですか?」

「彩乃切ってあたしと付き合おうよ」

「……は?」


 今日一訳の分からない言葉だった。

 何を言われているのか理解できない。

 いや、理解したくもない。


「あたしなら、思いっきり甘えさせてあげるよ」

「……もう、やめてください」

「全然エッチもしてあげるし」

「……何が目的なんすか?」


 言って、昨日の伊藤の言葉を思い出した。


『あの人、男遊び凄いからさ。気を付けなよ?』


 この言葉が全てなのだろう。


「ごめんなさい。俺が好きなのは笹山さんだけです。川崎先輩の遊びに付き合う余裕はないですよ」

「へぇ。せっかくの二人きりで何もさせてくれないような女の子でもいいの?」

「……俺は、別にそういうのが目的で笹山さんと付き合ってるわけじゃないので。それに、何もさせてもらえないわけじゃないです」


 昨日、俺達はキスをした。

 充分過ぎるモノを貰っている。


「……あっそ」


 完全に断ると、川崎先輩は俺から離れる。

 そしてボソッと『面白くないな』と呟きながら去った。


 後ろ姿を見ながら、崩れ落ちる。

 よく見ると佐原も伊藤もさっきの場所にいなかった。

 ポケットのスマホを見ると、時間は午後の試合開始を過ぎていた。

 道理で誰も助けに来ないわけだ。


 俺は崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。



「あ、涼太! 遅い!」

「すみません」

「え、何かあったの?」


 体育館に戻ると笹山先輩の叱責が出迎えてくれる。

 しかし、俺の声のトーンに、覗き込む様に顔色を伺ってきた。


「何があったの?」

「……試合見なくていいんすか?」

「緊急事態でしょ、どう見ても。それに、遅刻してきたのに今更何言ってるの」

「それもそうですね」


 俺はベンチではなく、体育館の玄関先の階段を指した。


「ここじゃアレなんで、向こうで」

「うん……」


 移動する俺たちに、他のベンチメンバーが何事かと視線をよこす。

 しかし、深刻な雰囲気を感じ取ったのかすぐに目を逸らしてくれた。

 皆気遣いしてくれてありがたい。

 ちなみに佐原は試合に出場していた。


 正直、笹山先輩に今さっきの話をするのが正解なのか分かりかねる。

 この前の下校をストーカーされた時より、明らかに激しい内容だ。

 当然彼女に報告した方が良いように思える。


 だがどうだ。

 傷つきはしないだろうか。

 川崎先輩との仲も確実に拗れるだろう。

 世の中には知らない方が良い話というのも存在する。


「あのですね」


 体育館前の階段に座り、口を開いた。


「さっき川崎先輩が――」

「待って」


 名前を出した瞬間、制された。

 笹山先輩は首を振る。


「聞かなくていいや」

「え」

「なんか、聞いたら凄く傷つきそう」

「いや、まぁ……でも」

「いいよ、君がこんなになっても伝えようとしてくれてる時点で、気持ちは伝わってるから。私はそれだけで充分幸せ」

「そうですか……そうですね」


 今回は後者だったらしい。

 聞きたくないと言う相手に、報告するのは自己満足以外の何者でもない。

 俺は自分だけスッキリしたいわけではないのだ。


「笹山さん、手握っていいですか」

「うん」

「ありがとう、ございます」


 今日の先輩の手は温かく感じた。

 と、空いた方の手で頭を撫でられる。


 ……一番甘えたい女の子か。

 しみじみとこの関係のきっかけになったお題を思い出す。


 やっぱり俺は、好きでもない相手との不純異性交遊よりも、可愛い先輩彼女に甘える方が大好きだ。

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