第31話

「帰ろっか」

「そうですね」


 マネージャーとしての務めを終えた俺達は、体育館を後にする。

 二人でゆっくり歩きながら、校門を潜り抜けた。


 今日は笹山先輩同様、俺も徒歩である。

 試合がある日は歩きと決めているのだ。

 仮に体を酷使すれば、帰りの自転車は足が攣ったり打ち身が響くからな。

 まぁ試合に出場することはなかったため、今になって思えば杞憂に過ぎなかったのだが。


「暗いね」

「もう九時近いですからね」

「うそ、そんな時間なんだ」


 バス移動というのは案外時間を食う。

 試合順が最終組だった事もあり、今日はかなり時間が下がった。


「もう十一月だね」

「……そうですね」


 時の流れは早い。

 ついこの前十月に入ったと思っていたのに、もう十一月か。

 全てのきっかけになった借り物競争が九月、十月には水族館デートや遠征合宿なんてのもあった。

 短い間にイベントが渋滞し過ぎな気がする。


 と、急に笹山先輩が立ち止まった。

 それに伴って、俺も歩みをやめる。


「どうしました」

「なんかやだな」

「え?」


 車の音に掻き消されるくらいの声を漏らす彼女。

 俺は聞き直し、先輩の方を見る。

 すると、彼女は悲しそうな顔でこちらを向いた。


「あと一年とちょっとしか、君といられない」

「……」


 笹山先輩は、一学年上だ。

 当然俺よりも一年早く卒業するわけで、一緒にいられる時間は同学年に比べると短い。

 しかしそれはどうしようもない事。

 年の差、加えて学生間の付き合いにはどうしても付き纏う問題だ。


 なんだか湿っぽい雰囲気になってしまった。

 俺は意識して明るい声を出す。


「まだ一年もあるじゃないですか」

「そうだよね……なんかふと思って悲しくなっちゃった」

「なんなら留年しますか? 同じクラスになれるかも」

「するわけないでしょ」


 肩をたたかれた。

 部活のウインドブレーカーでパシッといい音が鳴る。


「もう、雰囲気台無し」


 苦笑いする笹山先輩。

 いつもの調子だ。


「でも、俺は飛び級はできないので」

「そういう事じゃないでしょ……それに、君が飛び級して一緒に三年生に上がれても、結局一年しか居られないじゃん」

「あれ、笹山さん頭いいですね」

「馬鹿にしてるね。あーぁ、可愛くない」


 先輩は大きなため息を吐き出した。


「付き合い始めの頃の君はもっと初心だったのに」

「それは笹山さんも同じですよ」

「今も初心だよ」

「初心な人は自分で初心って言わないんです」


 俺はそう言って彼女の手を取った。

 凍えるような冷たい手だ。

 先程まで洗い物をしていた事もあり、若干赤くなっている。


「ちょっと、何してるの」

「温めてあげようと思って」

「……もう」


 お互い手袋の類は着けていない。

 一応まだ十月だしな。

 夜は冷え込むが、昼はまだ暑いのだ。


 笹山先輩は手を繋ぎながら、通りの多い車道を眺めている。

 その横顔に赤みはない。

 やはり初心な先輩はもう死んでしまったのだ。

 以前の彼女なら、顔を真っ赤にしながら空いた方の手で前髪をいじっていただろう。


「笹山さん」

「何?」

「俺達、なんで付き合い始めたか覚えてますか」


 言うと先輩は俺の手を握る力を込めた。


「一番甘えたい女の子っていうお題用紙で半ば強制的に思いを伝えさせられた俺に、笹山さんは言ったんです」

「……」

「『君が望むなら、私は別にそういう関係になっても、別にいいからね……』って」

「……一言一句覚えてるの気持ち悪い」

「それくらい嬉しかったんです。あと、前にも言いましたが俺は記憶力は良いんですよ」


 流石に恥ずかしそうな表情をする先輩に、内心ガッツポーズをする。

 照れる先輩ほど可愛いものはない。

 下校デートはこうでなくては。


 喜んでいる俺に、先輩はジト目を向ける。

 羞恥心と照れが混じったような、魅力的な顔だ。


「だから何」

「笹山さん、この前言いましたよね」

「……?」

「ほら、今度埋め合わせするって」


 あれは火曜日の放課後の事。

 激励会スピーチの作戦を決めたあの日だ。

 先輩は用事があると言って、俺との下校を断った。

 そしてその際に、今度必ず埋め合わせをすると約束してくれたのだ。


「あ」


 先輩は思い出したように声を漏らす。

 そしてやや上目遣いで尋ねてきた。


「何して欲しいの?」

「さぁなんでしょう」

「……あんまりエッチなのはやめてね」

「……」


 そんなつもりは微塵もなかった。

 だがしかし。

 上目づかいで真っ赤な顔の先輩にそんな事を言われては、ちょっと興奮してしまう。

 これは男の性だな。


 冗談はさて置き。


「別にエロイ事をしてもらいたいわけじゃないです」

「じゃあ何?」

「……ちょっと甘えていいですか?」

「え」


 俺の言葉に驚く先輩。


「そんな事?」

「そんな事って、俺にとっては生きる希望ですよ」

「……彼女に甘えたいって、照れずに堂々と言える君は本当におかしいよ」

「……」


 そう言われると恥ずかしい気がしてきた。

 夜風の冷たさで、顔が熱くなっているのが分かる。


 居心地悪くなってしまった俺に、先輩は吹き出した。


「なんで照れるの。この前は全校生徒に向かっても言ってたくせに」

「あの時はアドレナリンが」

「ふーん」


 挑発的な視線を送ってくる先輩。

 しかし、表情を緩めた。


「あはは。まぁいいよ、頑張ったもんね」

「やった」


 小さく喜ぶ俺に、先輩はおいでと両手を広げる。


「これは……?」

「来ていいよ」

「抱きついていいってことすか?」

「……自分で考えて」


 目の前の先輩と、今までに見てきた映画、ドラマ、漫画、ラノベなどなど、様々なサンプルを照合。

 スーパーコンピューターとなった俺の脳が演算した答えは。


「……」

「……」


 正面から控えめに先輩を抱きしめた俺を、彼女はぎゅっと包み込んだ。

 お互い、完全に密着状態となる。

 余った手が手持無沙汰だったため、先輩の背中に回した。


「よしよし」


 あやすように俺の頭を撫でてくる先輩。

 当然身長は俺の方が十センチほど高い。

 あまり長く続けると疲れそうだが、大丈夫だろうか。


「いっぱい頑張ったね」

「笹山さんと付き合ってから色んなことがあって、色んなこと考えて……」

「お疲れ様」

「でも、笹山さんと付き合えてよかったです」

「私もだよ」


 頭を撫でる先輩の手を離し、至近距離で俺は先輩の顔を見る。

 相変わらず綺麗な顔だ。

 そして、つい甘えたくなるような顔でもある。


「笹山さん、大好きです」

「……私も大好き」


 往来の中、バカップルみたいに抱き合う俺達。

 いや、どこからどう見てもバカップルだな。

 でも構わない。


 俺はそっと目を閉じる先輩に顔を近づけた。

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