第28話
「あれ、笹山さんは?」
控室には佐原などの男子部員の姿はあったが、肝心の彼女がいなかった。
聞くと佐原が後ろの渡り廊下へ続く裏扉を指す。
「お前のスピーチが終わってすぐに出て行ったぞ」
「そうか」
「ほんとすぐさっきだから、まだ近くにいると思うぞ」
「わかった」
適当に頷き、追うように扉を開いて外へ出る。
一応バスケ部の宣誓スピーチというわけで、ユニフォームを着ているため寒い。
なぜウインタースポーツの癖にノースリーブなのかというのは、プロベンチウォーマーの俺の長きにわたる謎である。
風に吹きつけられながら走ると、すぐに笹山先輩の後ろ姿が見えた。
「笹山さん!」
「……あ、涼太」
振り返った彼女に、俺は駆け寄る。
「どうしたんですか、こんなところまで出てきちゃって」
「いや……流石に恥ずかしかったから」
「全部聞こえてました?」
「勿論。あんな大声で愛を叫ばれちゃったらね」
思い出して、俺も赤面する。
さっきは興奮状態だったが、後で何を言ったのか冷静に考えるのが恐ろしい。
「お疲れ様」
「はい」
「大変だったね」
「……はい」
大変だった。
今日だけのことではなく、今までの一か月。
たった一つの学校行事で、ここまで日常生活が変わるなんて、借り物競争の選手に選ばれたときは思いもしなかった。
そして、この一か月間に訪れたのは悪いことだけではない。
むしろ良いことの方が多かったような気もする。
こんな美人と付き合えて、全てが嫌な思い出なわけがない。
「笹山さん、俺……」
「待って」
話そうとすると止められた。
よく聞くと背後から足音が近づいてくるのが分かった。
「二人とも一緒なんてラブラブだね」
足音の主は川崎先輩だった。
いつもの笑みはない。
見てるこっちまで凍り付きそうな無表情だ。
彼女は俺達の方に歩み寄ってくる。
至近距離まで近づいて、俺の前で小首を傾げた。
「涼太君、あたしがお題バラしたの知ってるでしょ?」
「え」
「お題書いたのがあたしってのも知ってるよね?」
「……はい」
「何で言わなかったの?」
川崎先輩は『わかんないなー』と呟きながら、辺りをうろうろ歩く。
まるで落ち着きがない。
「あたしの嫌がらせに気づいてるんでしょ?」
「勿論」
「なんでさっき、全校生徒にお題をバラしていじめを始めたのがあたしだって言わなかったの? そしたら間違いなくヘイトはあたしに向くはずなのに」
何故、お題をバラして嫌がらせをしてきた犯人が川崎先輩だという事を、俺が認知していることを知っているかは謎だが。
彼女の言葉は先日に俺や佐原が話していた仕返しを指していた。
「それはね」
彼女の問いに対して答えたのは俺ではない。
笹山先輩が口を開いた。
「もしそんなことしたら、いじめの標的が涼太から川崎ちゃんに変わっちゃうでしょ」
「それでいいじゃん」
「良くないよ」
そこで、いつも優しい笹山先輩が俺に見せた事がない冷たい表情をして言った。
「馬鹿にしないで」
「は?」
「私たちまでいじめをしたらあなたと同レベルでしょ。そんな低次元の潰し合いなんて見たくないし、涼太にしてほしくない」
「……」
それに、と彼女は続ける。
「今回の件がこれ以上大きくなったら、来年から借り物競争がなくなっちゃうかもしれない」
「だからなに」
「そんなの嫌だよ。あれは見てる方は楽しいし、それに――」
涼太との思い出まで消えちゃうみたいで嫌だ。
彼女の言葉に川崎先輩は吹き出した。
「え、待って。あり得ないんだけど。それだけであたしの事を全校にばらさなかったの?」
「そうだよ」
「あり得ない」
川崎先輩は俺に向き直る。
「涼太君はそれでいいの?」
「何がですか?」
「だから、あたしに復讐とか、考えなかったの?」
「考えたに決まってるじゃないですか」
「じゃあなんで」
そんな答え、一つに決まっている。
「もう川崎先輩と関わりたくないからです」
堂々と言い放つと、彼女は茫然と立ち尽くした。
文字通り言葉を失っていた。
「川崎先輩とは敵対したくないので」
「……あっそ」
「ていうか、なんで俺がお題書いたのが川崎先輩だって知ってるのを把握してるんですか?」
尋ねると、ため息を吐かれた。
「なんとなく」
「なんとなくですか……」
「どこからバレたのかは知らないけど、どうでもいいや」
とりあえず伊藤に飛び火はし無さそうで安心した。
安堵する俺に、川崎先輩は口を開く。
そして思い出すように語り始めた。
「最初はびっくりした。生徒会長さんからスマホに『今年度体育祭での重要なお知らせ』ってメッセージが来てて。メッセージを開いたら、あたしが今年のお題書き係に選ばれたって書いててさ、本当に驚いたよ」
佐原が言っていた通り、やはり生徒会長からの任命だったらしい。
スマホで通達というのは極めて現代チックで、ちょっと面白いが。
「最初はお題なんて何を書けばいいかわからなかった。例年毒の利いたお題が多いのは知ってたけど、いざ自分が書くとなるとなんだかね」
「その割に今年のはかなり酷かったですけど」
「書いてたら段々楽しくなっちゃって。それで、何の気なしに最後の一枚の用紙に『一番甘えたい女の子(お姫様抱っこで笑)』って書いたのよ」
「運び方まで指示してくるのは斬新でしたね」
「そりゃ、その方が楽しいし盛り上がるし」
まったく他人事である。
まぁ実際、観衆は大盛り上がりだった。
一応彼女の思惑通り、成功したというわけだ。
『でも』と川崎先輩は笹山先輩を見た。
「あたしは誰かが恥をかけばいいと思ってあのお題を書いた。それなのに、当の綾乃も涼太君も楽しそうだった」
楽しそう、そんな風に見えていたのか。
実際どうだったのだろう。
全校生徒の興味関心を独り占めにしていた数日は過ごしづらかった。
ただ、笹山先輩と付き合い始めたことによる幸せの方が大きかったように思える。
「あれだけ色んな男子の告白を断ってた綾乃が、こんな頼りない一年生と付き合ってる理由がわからなかった」
「……」
物凄い言われようだった。
確かに頼りないかもしれないが、普通そこまで言うだろうか。
悲しい。
「体育祭マジックなんて言葉があるよね。どうせ綾乃たちもそのくらいの軽い気持ちで付き合ってんのかと思って」
「それで、俺に言い寄って来てたんですね」
「そう、これで別れたら面白いなって」
本当に趣味の悪い女だ。
どうやって生きたらここまで性格がひね曲がるのかわからない。
川崎先輩は笹山先輩に聞いた。
「なんで、滝沢涼太なの? 他の男子じゃなくて、この人を選んだ理由が知りたい」
シンプルな疑問。
だがそれは、俺も抱いていたものだ。
何故俺と付き合ってくれているのか、それは佐原とも話していた。
俺も笹山先輩を見る。
すると彼女は前髪をいじりながら、閉ざしていた唇を動かした。
「わかんないよ」
「「……え?」」
俺と川崎先輩の声が見事にハモった。
笹山先輩は続ける。
「そんなおかしい事かな。他人のこと好きになるのに理由とか、そんなのある? 強いて言えば、私はあの日まで涼太の事を男子としてすら認識してなかった」
おい、嘘だろ。
明かされる衝撃の事実に呆然。
空いた口が塞がらないとはこの事だ。
「もしかするとあの時お姫様抱っこされたことで、涼太の事を意識したのかもしれない。でもわかんないよ、なんで涼太を選んだのかって言われても、たまたま好きになったのが涼太だったから」
「嘘でしょ」
「ううん。でも、涼太と付き合って後悔したことは一度もない」
堂々と言い放った笹山先輩の言葉に、体が熱くなった。
川崎先輩も意表をつかれたのか、顔を赤くする。
そして、そっぽを向いて呟いた。
「あたし、綾乃の事嫌い」
「うん。私も川崎ちゃんのこと嫌い」
お互いにそう言い合う。
俺としては笹山先輩の発言に驚きだった。
しかし、川崎先輩は違ったらしい。
彼女は満足したように笑みをこぼして去った。
取り残される俺達二人。
笹山先輩がふーっと大きく息をつく。
くそデカため息という奴だ。
「あー、やっと終わった! スッキリしたぁ」
まぁなんだ。
当然だが、先輩にも相当の鬱憤が堪っていたのだろう。
俺が先ほど全校に向かって発散したのと同様に、彼女も今一気に吐き出せたようだ。
一件落着と言っていいのだろうか。
先日から計画していた、俺が新人戦の激励会スピーチの場を利用して学校の空気をぶち壊すこと。
そして、笹山先輩が昨日の放課後に佐原に対して言った言葉。
『涼太があちこちで悪口言われてるのは知ってる。酷いなって思ったし、腹も立ったよ』
『じゃあどうして』
『だって――ここで川崎ちゃんをいじめたら、向こうとやってる事のレベルが一緒だよ。それに、これ以上問題を大きくして来年からの借り物競走が無くなるのも嫌だし』
彼女は確かにそう言った。
そしてやってのけた。
川崎先輩との正面対決でも、自分の芯を通してネチネチと仕返しはしなかったのである。
俺たちは共に作戦通り、事を終えた。
完全勝利である。
「終わりましたね」
「そうだね」
こうして、長きに渡る戦いは幕を下ろした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます