第27話

 いよいよ訪れた決戦の刻。


 体育館ステージの裏側。

 暗い控室の中で俺は震える足を抑え込む。

 今は女子テニス部がスピーチをしている時間帯だ。

 この次が女子バスケ部の番で、俺達はその次である。


「涼太、頑張れよ」

「……おう」


 佐原は朗らかな顔で座っている。

 他人事な奴は気楽そうで羨ましい。


「大丈夫? 本当にやるの?」

「もちろん、漢に二言はありません」

「……そう」


 笹山先輩は心配してくれている。

 しかし、俺はやると言ったらやる男だ。

 土壇場で逃げ出すような意気地なしと思われては困る。

 この震えは怖気付いているのではなく、武者振るいなのだ。

 と、先輩が急に笑い出した。


「笹山さん……?」

「いや、やっぱり涼太はいざという時は頑張るなーって思って」


 そう言えば一昨日、そんな事を言われた。

 今にして思えば、確かに彼女の言う通りなのかもしれない。


 待っていると、大きな拍手が起こり、控室に女子テニス部が戻ってくる。

 どうやらスピーチが終わったらしい。


 同時に控室から女子バスケ部がぞろぞろと出て行った。

 途中、川崎先輩と目が合う。

 彼女は冷ややかな視線を俺に送った。


 ……何か知っているのか?


 少し不安になったが、もうどうしようもない。

 彼女が何を知っていようが、俺がやるべきことは変わらないのだ。



 時間がゆっくり過ぎる。

 一分、二分、三分と、時計の針が進む速さが異常に遅く感じる。

 鼓動は逆にとてつもないスピードだ。

 心臓が口から飛び出してきそうな勢いである。


 まだ女子のスピーチは終わらないのか。


 時折笑い声や歓声が聞こえてくる。

 何をやっているのだろうか。

 気になる。

 早く、誰か早く俺を開放してくれ。


「涼太」


 自分の心臓の音しか聞こえていなかった俺の耳に、心地よい声がじわっと入ってきた。

 聞き間違えようもない、笹山先輩の声だ。


「大丈夫。見守ってるから」

「そうですね……はい!」


 彼女はいつだって、欲しいタイミングで欲しい言葉をくれる

 そうだ。

 彼女はいつだって見守ってくれた。

 マネージャーとして、このバスケ部に入部した時からいつも彼女は見守ってくれているのだ。

 こんな美人が付いているなんて、百人力である。


 と、同時に拍手喝さいが聞こえる。

 どうやら女子バスケ部のスピーチが終了したらしい。

 ついに俺達の――いや、俺の番がやってきた。


「任せてください」

「……うん」


 頷いて見せると、先輩は少し顔を赤らめた。

 そこで佐原から茶々が入る。


「よっ、かっこいいぞ!」


 そして続け様に部員からも次々と応援メッセージが。


「この色男!」

「流石は学校一美人なマネージャーの彼氏!」

「決めてこい!」


 控室に戻ってきた女子バスケ部が、この異様な雰囲気に俺たちの方を二度見をした。

 そんな中、俺は立ち上がる。


 今から、やるべき事を為すのだ。



 ◇



「それでは……最後は男子バスケ部のみなさんで、す……?」


 俺が壇上に立ってすぐ、司会の生徒会役員が首を捻った。

 当然だ。

 壇上に上がったのは俺一人なのだから。

 男子バスケ部のみなさんではないのだ。


「こんにちは! 男子バスケ部所属、一年の滝沢涼太です!」


 前に笹山さんから注意された事を思い出して、いつもの弱々しい挨拶ではなく、腹から声を出す。


 帰ってきたのは、見事なまでの静寂だった。

 視界に広がる千人近い制服姿の生徒たち。

 男子生徒からは厳しい視線が突き刺さる。


 ……わかってはいたことだが辛いな。


「えと……まぁ気を取り直して、宣誓スピーチをお願いします」

「その前に、一ついいですか?」

「はぁ? どうぞ」


 わけわかんねぇって顔をされた。

 構わない。

 俺はマイクを握ると、口を開いた。


「皆さん、俺の事をご存じでしょうか。先月末に行われた体育祭の借り物競争で、校内一の美人である笹山綾乃さんをお姫様抱っこした、あの滝沢涼太です」


 言うと若干ざわめきが起こった。

 しかし、いまいち食いつきが足りないため、言葉を足す。


「甘えん坊将軍……とか言えばわかりますかね?」


 効果はてき面だった。

 甘えん坊将軍だーっと声が上がり、その後にキモいやらなんやら、ブーイングが起こる。

 ……。

 気を取り直して。


「今俺は、笹山綾乃さんとお付き合いをしております」


『知ってんだよ!』とあちこちから怒声が聞こえた。

『さっさと笹山綾乃を返せ』という声も聞こえる。


「付き合い始めたきっかけはあの借り物競争です。それは間違いじゃありません。でも」


 俺はそこで一つ間を置く。

 空気を読んでくれているのか、聴衆も一旦鎮まった。

 だから、思い切り息を吸って叫ぶ。


「別に借り物として借りてるわけじゃないんだよ! 校内歩いてたら嫉妬がましい男どもが、やれ『甘えん坊将軍』だの、やれ『レンタル彼女』だの。ふざけんな!」


 叫ぶと女子たちが失笑するのが分かった。

 嫉妬男たちへの笑いか、俺への笑いか、あるいは両方か。

 この際どうでもいい。


「そもそも、たとえレンタルでもお前達から借りたわけじゃないのに意味がわからん! 『借り物として借りたんだから早く返せ』だって? 誰にだよ。誰に返せばいいんだよ!?」


 ふと視界に一昨日購買の列で俺の悪口を言っていたひょろ長眼鏡が見えた。

 彼は俺に見られている事に気づくと、視線を逸らす。

 やはりその程度だ。

 みんな対面して悪口を言うような度胸なんてないのだ。

 だってただの嫉妬だもの。


 俺は一息ついて、声のトーンを落とした。


「まぁ、一番皆さんが気になっているのは借り物競争のお題ですよね」


 ゆっくりとステージ上を回りながら、指を折っていく。


「『八倍希釈の塩酸』、『友達』、『一番気持ち悪い男性教員』……今年も大層えげつないお題が出されました」


 一番気持ち悪い男性教員と言った瞬間、例の吉田先生が渋い顔をしたのが見えた。

 ごめんね。つい口が滑っちゃった。

 まぁ有名な話だし、本人も気付いていただろう。


「そんな中、何故か俺のお題が最近みなさんにバレましたね。なんて書いてあったか知ってますか?」


 問いかけに対し、二年生の奥の方……スピーチを終えたばかりでまだユニフォームを着ている野球部の奴が叫ぶ。


「一番甘えたい人ー!」

「そう、そんな感じです」


 俺が頷くと体育館から凄まじいブーイングが起こった。

 先程以上だ。


「お姫様抱っこなんてしやがってよー! いきがってんじゃねーぞ! 甘えん坊のくせに!」


 どこかから罵声も聞こえた。

 だが、想定内である。

 俺がこうして全校生徒の前で、あのお題内容を認めたのは初めてなのだから盛り上がるのは当然だ。


 しかし、事実は伝えなければならない。


 俺はポケットから一枚の紙きれと、スマホを取り出す。

 そしてあらかじめステージに用意していたスクリーンとスマホを繋いだ。

 カメラを起動していたスマホ画面が、体育館の巨大スクリーンに映し出される。

 俺が後生大事に保存しておいた、例のお題用紙原本が体育館全体に見えているはずだ。


「『一番甘えたい女の子(お姫様抱っこで笑)』……?」

「その通りです」


 誰かの呟きに答える。

 そして続けた。


「お姫様抱っこをしたのは俺の意思じゃないです。お題の指示です。それに甘えたいじゃなくて甘えたいです」


 冷静に説明すると静かになった。

 嘘だろ?ってテンションである。

 俺も嘘だと思いたかった。


「可哀そうですよね。みんな色んな人のお題について言ってましたけど、どう考えても今年一番の大凶はこのお題でしょう」


 何のブーイングも起きない。

 当たり前だ。

 だが、俺が一番言いたいのはお題内容なんかじゃない。

 現状のいじめ紛いの雰囲気を打開する一言。


「でもそんな事どうでもいいんだ」


 そこで俺はマイクをオフにする。

 いじめを打開するには、それ相応のショックがいるのだ。

 ノーリスクで空気は壊せない。

 ということで。


「俺は確かに甘えん坊かもしれない。キモいだろうな、だって性癖だもの、当たり前だ!」


 前置きをして、一気に爆発させる。


「俺は笹山さんが好きだーっ!! いっぱい甘やかしてもらうのが好きなんだよ! もう邪魔しないでくれ! 本気で付き合ってるんだよ! 大好きな彼女と、もっと平和にイチャイチャしたい!」


 おもっきり叫んだ。

 喉が張り裂けるかってくらいに愛を叫んだ。

 ステージの近くに座る生徒は耳を塞ぐのが見える。


 憐れみの視線から、化け物を見るような視線に変わる聴衆。

 俺は続けた。


「お前らのせいでろくに恋愛できない! 恋は障害があるほど燃える? ふざけんな! 俺はもっと普通に笹山さんと付き合いたいんだよ!」


 言いたい事をひたすらにぶちまける。


「大体なんだ。もう一ヶ月以上経ってるんだぞ。いつまで笹山さんに固執してんだよ! それだけ諦められないくらい彼女が美人で優しいってのは認めるけどな!」


 もはやどんな視線に晒されているかもわからない。

 頭が真っ白だ。

 そして体が異様に熱い。


「とりあえず俺は笹山さんを借り物として借りてるわけじゃなく、本気でお付き合いしてるのでよろしく」


 ここでやめておけば良かった。

 しかし、興奮状態の脳みそは口を勝手に動かす。

 俺はそのまま勢いあまって、マイク越しに捨て台詞を言ってしまった。


「それに、たとえレンタルでもお前らの元には帰らない。だって俺、借りパク癖あるからな」


 最悪だ。

 アドレナリンがドパドパ漏れているときほど恐ろしいモノはない。

 とんでもないことを言ってしまった。

 すぐに冷静になり、恥ずかしくなる。


「ってことで、明日明後日、西体育館で試合があるので応援よろしくお願いします」


 肝心のスピーチを一言で締め、俺はステージを降りた。



 ◇



 控室に戻ると、佐原に肩を殴られる。


「お前、ふざけんなよ。やっぱり漫画弁償させるぞ」

「……ごめん、口が滑った」

「冗談だ。おつかれ様」


 仕方ないな、と笑ってくる佐原。

 続けて同じバスケ部員達から拍手や労いの言葉が投げかけられる。


 ちなみに今日の発表は俺達男子バスケ部がトリだったため、この控室には他の部はいない。

 完全に身内空間である。


「マジで、疲れた。死ぬかと思った……」


 俺はそんな事を言いながら、崩れ落ちた。

 達成感による安堵である。

 何はともあれ、作戦は成功したのだ。

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