第26話

 その日の帰り。


「笹山さん、今日も一緒に……」

「えっと、ごめん」


 いつも通り一緒に帰ろうと誘うと、断られてしまった。

 目が点になる。

 急な塩対応だ。

 と、落ち込む俺の様子に先輩は慌てて首を振った。


「違う違う。別に一緒に帰りたくないとかじゃなくて、今日は家に急ぎの用があるから」

「あ、そうなんすか」

「うん、ごめんね」

「いや、俺の方こそ」

「うんうん、今度絶対埋め合わせするから!」


 先輩はそう言い残すと走って行ってしまった。

 一人ぽつんと取り残される。

 ぼーっと立ち尽くしていると、後ろからライトに照らされた。

 振り返ると佐原がいる。


「何、笹山さんに振られたの?」

「違う。今日は用事があるんだってさ」

「へぇ、さっきまで話し合いに参加してる時間はあったのに、用事か……」


 随分と嫌味なことを言ってきやがる。

 なのでこちらも攻撃した。


「お前も伊藤と一緒じゃないのか」

「……あぁ」

「今日も学校に来てたよ」

「知ってる。なんなら部活も参加してたっぽい」

「あれ、じゃあなんでだろうなぁ?」

「……随分と言うようになったな」

「お前こそ」

「確かに」


 二人で傷をえぐり合って、何とも言えない心地に襲われた。

 残るのは虚しさと、孤独な男二人だ。


「たまには一緒に帰るか」

「そうだな」


 どちらともなくそんな事を言って、自転車にまたがる。

 俺達はなんとなく流れで下校を共にすることにした。


 二人でゆっくりと自転車を漕ぎつつ、ふと思う。

 こいつと下校するのなんていつぶりかな。

 もう一か月以上は別だった気がする。

 笹山先輩と付き合い始めてからは、ずっと彼女と帰ってたからな。


「面白いことになってきたなー。明日が楽しみだぜ」

「そりゃよかった」


 暢気に言う佐原に苦笑する。

 当事者になれば、そんなに悠長なことは言っていられない。

 明日もまた荒れるだろう。


「ってか、佐原が川崎先輩にあそこまで仕返しをしたがってるとは思わなかったよ」

「別にオレの願望じゃねーよ。それくらい川崎先輩のやり方がえげつなかったって事だ」

「そうかぁ、そうだよな」


 佐原は合宿先での会話を知らないはずだ。

 自販機前の死角で川崎先輩に付き合おうと迫られた話をしたら、どんな反応をするだろうか。

 流石に重くなりそうなので言わないが。

 今日の下校は気楽に行きたい。


「オレも驚いたぜ。お前があんな……いや、やめるか」

「どうした?」

「いや、あの人もこの辺通るだろ? 本人に聞かれちゃまずいしな」

「なるほど」


 あの人とは言うまでもなく川崎先輩のことである。

 以前にストーキングされたのもこの辺りだったし、今近くにいてもおかしくない。

 佐原と二人だったから気が緩んでいたが、あの人の話を不特定多数に聞かれる可能性のある往来でするもんじゃないな。


「じゃあ、前に教えてもらえなかった話でも聞かせてもらおうかな」


 話を変えるべくそう切り出すと、佐原は『なんだそれ』と首を傾げた。


「そんなのあったか?」

「ホテルでお前と伊藤が何してたかって話だよ」


 言うと佐原は黙り込んだ。

 そして振り返ってにやけ面をさらした。


「お前にはまだ早い」

「前向けよ」

「はいはい」

「で、なんでだよ」

「童貞君には刺激が強そうだからな」

「え、どこまでいったんだ?」

「さぁな」

「おい!」


 肝心なところだけはぐらかされる。

 前もこうだった。

 焦らされると余計に気になるというのに。


 マジで何したんだよ、一体。


 もやもやしている俺を他所に、佐原は感傷に耽る。


「あの日の肝試しは我ながら上出来だったよな」

「そうだな。助かったよ」


 思い返すのは笹山先輩と歩いた山道、それと帰りに彼女をおんぶした時の感触。

 あれは幸せな時間だった。

 いくら金を払っても後に得ることのできない、青春という名の宝物だ。


「助かったって……あの山道で何かあったのか? そう言えばずいぶん遅かったけど」

「さぁ、どうでしょう」

「なんなんだよ。水臭いな」

「お前だって肝心なところはぼかすんだから、同じだろ」


 何故俺だけ逐一報告せねばならんのだ。

 これも恋愛コーチの監督義務という奴だろうか。

 堪ったもんじゃない。


 確かに世話になってきたが、こう生々しい部分はあまり喋りたくないのだ。

 笹山先輩に悪い気もするしな。

 何でもかんでも人に話す口軽男だとは思われたくない。


 横断歩道の信号待ちに捕まっている最中、俺達は黙っていた。

 そして、ふと思い出す。


「そう言えばお前に借りてた漫画」


 口に出すと佐原は呆れたような顔を向けた。


「はぁ、なかなか帰ってこないから自分で買いなおしたぜ」

「嘘だろ?」

「マジだ」

「本当に悪い」


 とんでもないことをやらかしてしまった。

 親しき中にも礼儀あり、という言葉がある。

 何度か読み返して返却が遅れたのもあったが、その後で完全に忘れてしまっていた。


「これって、借りパク?」

「紛う事なき借りパクだな」

「……ごめん」


 俺はすぐさま財布をリュックから取り出し、小銭を漁る。

 くそ、二百円ちょっとしかない。

 これでは全く足りないだろう。

 だが、俺のミスだ。

 払わないという選択肢はない。


 なけなしの千円札を取り出し、佐原に手渡す。

 すると奴は爆笑しながら俺の手を押し戻してきた。


「いらねーよ」

「でも……」

「ってか多すぎだし、お釣り出せねーぞ」

「いらないよ。利子ってことで」

「意味わかんねー」


 佐原はごほんと咳払いする。


「金は要らねえ、漫画も返さなくていい。お前は一生自宅であの漫画を見る度に、借りパクをした罪悪感に苛まれろ。そうすりゃ二度と同じことはしねーだろ」

「……そうだな」


 ごもっともである。

 恐らく俺は、今後二度と借りパクはしないだろう。

 もしかすると人から物を借りるという行為をしなくなるかもしれない。

 良い薬になった。


「ってか、正直別にそこまで怒ってないけどな。この前ジュース奢ってもらったし、そもそもお前で結構楽しませてもらってるから」


 後半におかしなことを言っていたが、まぁいい。

 ただ、こいつが許す許さないと、俺が借りパクをした事実――その罪は変わらない。


「って待てよ。俺昔も借りパクしたことあるんだよな」

「常習犯かよ」

「小学校の頃に女子に借りた鉛筆のキャップがまだ部屋に転がってる」

「ヤバいな」

「本当だよな」


 自分の新たな一面に気づくことができた。

 これは治す他ないだろう。


 信号が青になり、俺たちはまたペダルを漕ぐ。

 そして緩い雰囲気のまま帰宅した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る