第5話

 俺の所属するバスケ部には朝練という制度がある。

 結構緻密に定められたルールで、週に一回は参加しないと部活のメニューに参加させてもらえない。

 これはキャプテンが決めたモノであり、彼曰く。


『サボったら殺すからな☆』


 だそうだ。

 要するに、拒否権や虚偽報告は許されない。

 バレたら脳筋ゴリラに潰される。



「はぁ、朝練しんどー」

「まったくだな」


 毎週の通り佐原と共に体育館に入ると、誰もいなかった。

 大体俺たちは木曜の朝に参加するのだが、これが人の少ない穴場日和なのだ。

 ただでさえ朝から汗なんてかきたくないのに、多くの男と練習なんて嫌過ぎる。


「あの脳筋ゴリラ。本当にどうにかなんねーかな。来年のオレらの代になったらこの制度なくそうぜ」

「当たり前だな」


 静かな体育館の中で、俺達の声と靴紐を結ぶ音だけが響く。

 少し心地いい。


「あれ、バッシュ変えた?」

「あぁ、昨日買いに行ったんだ……笹山さんと」

「マジか。やるじゃねぇか」


 報告すると、佐原は泣き真似をしてみせる。


「オレは教え子がこんなに逞しい男に成長したなんて嬉しいよ……」

「今までのコーチングのおかげだな。感謝するよ」

「ハッ、感謝はデートが成功してからにしろよ。そう言えばデートの約束は取り付けられたのか?」

「勿論。今週の土曜に水族館に行く」

「ほぉー、羨ましいこった」


 言うと、佐原は俺の顔や体をジロジロと眺めた。

 そして満足したようににんまり笑う。


「なんだよキモいな」

「お前、見た目も逞しくなってきたな。ちょっとかっこいいぞ」

「馬鹿言え。変わるかよ」

「いやいや、よくある話だぜ? 考えてもみろ、女子なんて彼氏持ちの方が可愛く見えねーか?」

「それは……確かにそうかもな」


 誰かと付き合っている女は例外なく輝いて見える。

 別に隣の芝は青く見えるとか、そういう見る側の心理的な話じゃない。

 本人の自信によるものや、彼氏によく見られたいからと、その女子が努力した証が見た目に現れるのだ。


 だから俺がかっこいいというのは、そういう事だろう。

 実は先輩と付き合い始めて、筋トレを入念にするようになったのだ。

 別に女にだけ当てはまる話じゃないってことだ。

 なんて話していると。



「あれ、佐原君に王子様じゃん」


 珍しくこの時間の体育館に人が入ってきた。

 見上げると、そこには如何にも『カースト上位です』と言わんばかりにスカートを短くおり、間服の袖を捲り上げた女がいた。


「川崎先輩じゃないっすか」


 佐原が声をかけると、女子バスケ部の川崎先輩はニヤニヤしながら歩み寄ってきた。


「なになに、朝から恋バナ?」


 ズカズカと人のテリトリーに容赦なく入ってくるこの感じ。

 凄く苦手だ。

 俺が女子バスケ部が怖いと思っているのは、半分くらいこの先輩が原因だと言っても過言ではない。


「涼太が彼女とイイ感じらしいんすよ」

「余計なこと言うなよ」

「いいじゃねーか」


 小突き合っていると、川崎先輩はいたずらな笑みを浮かべる。


「流石は王子様だね」

「……そのあだ名まだあったんすか」

「当然。ってか何で本人が知ってるの?」

「伊藤に聞いたんですよ」


 あれは体育祭の翌日のことだったか。

 あの日以来『王子様』なんて言われることはなかったし、忘れていたのだが、嫌なことを思い出してしまった。

 すると。


「呼んだ?」

「伊藤もいるのか」


 川崎先輩に遅れて体育館に顔を出したのは、今話題に上げた伊藤日葵だった。


「なんで女子がいるんだ?」

「そりゃ、近々遠征合宿があるからね」

「なるほど」


 だから普段朝練なんて頭のおかしな習慣のない女子が、こうして体育館に現れたのか。

 納得である。

 それに、来月の始めには県の新人戦トーナメントがあったはずだ。


「で、川崎先輩と伊藤のセットとは珍しいっすね」


 佐原がそう言うと、伊藤は首を振る。


「別に示し合わせたわけじゃないよ。私先輩がいるの知らなかったし」

「そそ。あたしもなんとなく来ただけだから。たまたま気が合っただけ。やっぱりチームワークってやつかな!?」


 朝っぱらからテンションの高い川崎先輩に、コミュ力の高い佐原も若干引いている。

 こいつにも苦手なものがあるんだな。


 と、不意に川崎先輩が上の制服を脱ぎ始めた。


「え、なにやってんです――か」


 驚いて声を上げたが、先輩は中に部活着を着こんでいた。

 当然か。

 流石に朝から生着替えショーはしないよな。


「王子様って案外初心なんだ?」

「……その王子様ってのやめてください」

「えー、つまらな。日葵、こいつノリ悪くない?」

「いっつもですよ」


 気付いたら着替え終えている伊藤は、ボールを突きながら適当に答える。

 そして、それに気にする素振りも見せずに川崎先輩は下のスカートも堂々と脱ぎ去った。

 下も当然練習着を着ている。


 なんか苦手だな、こういう空気。

 女子の上辺だけの付き合いっていうか。

 ちょっと鳥肌が立ってきた。


 川崎先輩はそんな俺の隣に座り込んでくる。

 やけに距離感が近い気がする。


「ねー、私にも聞かせてよ恋バナ。あんまり綾乃話してくれないからさ」

「嫌ですよ。別に話すようなことないし」


 少し距離を置こうと後ろに下がると、先輩は悪魔みたいな笑みを浮かべた。


「可愛い。こりゃ綾乃が溺愛してるのもわかるわ。うん」


 なんだかやけに含みのある笑みに、悪寒が走る。

 と、佐原が割って入った。


「やめてやってくださいよ。こいつ、今は彼女いてアレですけど、童貞なんで」

「余計なこと言うんじゃねえアホ」

「え、童貞? ウケる!」


 何が面白いんだこの野郎。


 ただ、若干雰囲気がマシになった。

 やり方はサイテーだが助かった佐原。


「滝沢って童貞なんだ。キモ」

「黙れ」


 川崎先輩に言われても特に何とも思わないが、クラスメイトの女子に言われると、若干恥ずかしいのはなんでだろう。

 やはり俺は真正の年上好きという事なんだろうか。


 結局部活の練習なんてロクにせずに、その日の朝練は終わった。




 ‐‐‐




「涼太、嫌悪感を顔に出し過ぎだぜ」


 部室で着替えていると、佐原に突っ込まれた。


「そんな顔に出てたか?」

「あぁ。『川崎先輩怖い、近寄らないで!』って書いてたぞ」

「マジか、大正解だ」


 流石に練習終わりの着替えという事で、男女別に着替えているため、近くにあの人はいない。

 俺は溜息を吐いた。


「苦手なんだよ。あぁいう女子」

「わかるよ。でも、それと上手く付き合った先に出会いが転がってるのも確かだから、俺は立ち向かうぜ」

「ふーん」

「まぁ、笹山さんはガツガツしてないし、全然タイプ違うよな。お前、本当に良い彼女持ったな」


 あの人が川崎先輩みたいなタイプの女子だったら、例え同じようにマネージャーとしてサポートしてもらっても、好意を示されても、好きになることはなかっただろう。

 笹山先輩の良さは、控えめなところだ。

 あと、テンパった時のギャップとかな。

 川崎先輩がテンパるようなところは、想像できない。

 いつも手のひらの上で転がされそうだ。


「そう言えばさ」

「お?」


 腹が立つくらいの肉体美を見せつける佐原に、俺は言った。


「お前も顔に出てたよ。『川崎先輩のテンション苦手だなー』って」

「マジか、大正解だ」


 佐原のコミュ力も完璧ではない。

 当たり前の話だが。

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