第18話

「それにしても、寺って遠いんですね」

「ほんと、もう結構歩いたのにね」


 特に中身のない会話をしながら、しばらく歩いた。

 しかし、折り返し地点には未だ辿り着かない。


「道間違えたりしてないですよね?」

「一本道なのに間違えようなんて……ってあれ寺じゃない?」


 噂をすればなんとやら。

 ようやく折り返し地点に辿り着いたらしい。

 ここまでの所要時間は体感で十分くらいだ。

 他のペアは五分程度で帰って来ていた気がするのだが、不思議である。

 結構話に夢中で、歩くペースが落ちていたのかもしれない。


「古い寺だね」

「……なんか出そうな雰囲気」

「もう、やめてよ」


 先輩の、俺の手を握る手に力が込められる。

 体もほぼ密着状態だ。


「俺山って苦手なんですよね。虫とか嫌いだし」

「……海も嫌いって言ってなかったっけ?」

「山も海も、川も嫌いです」

「君は屋外イベントのほとんどと相性が悪そうだね」

「山や海って死者の霊魂が彷徨ってそうで嫌なんですよね。ほら、遭難者とか、溺死者とか多いじゃないですか。それで、そういう事故で死んだ人って、多分現世に未練がいっぱいあるだろうし、霊が浮かばれないんだと思います」

「……鳥肌立ってきちゃったんだけど」

「すみません」


 怖がっている彼女にする話ではなかった。

 上目づかいで睨みつけてくる先輩。

 若干涙目だ。


「じゃあ、帰りましょうか」


 寺の前でこんな怪談紛いの話を続けていても、仕方がない。

 話を切り上げ、俺はその場を動こうとする。

 だがしかし。


「どうしました?」


 何故か全く動かない先輩。

 尋ねると、彼女はゆっくり下を向き、そして困ったように俺に笑った。


「どうしよう。足がすくんじゃった」

「……え?」

「ほら、驚かすから」


 嘘だろ。

 どうしろって言うんだ。

 いや、俺の責任だし、俺がどうにかするしかないんだが。


「……お姫様抱っこしましょうか?」

「え?」


 考えた末、そんな言葉が出てきた。

 笹山先輩は苦笑を漏らしながら首を振る。


「いいよ、すぐ治ると思うし」

「こんな所にいたら治るものも治りませんよ」

「でも……」

「じゃあお姫様抱っこじゃなくて、おぶりましょうか」

「……お願い」


 先輩の前にしゃがむと、しばらくして背中に柔らかい重みが加わった。

 これは随分、刺激的だ。


「……うぉ」

「変な声出さないで!」

「ごめん」


 俺は先輩をおんぶして、そのまま立ち上がる。

 幸い軽いので、帰り道はどうにかなりそうだ。

 途中で歩けるようになってもらうのが一番うれしいのだが。

 しかし、ふと疑問を抱く。


「俺、なんであの日に笹山さんをお姫様抱っこできたんだろう」

「どういう意味?」

「いや、自分で言うのもあれですけど、俺って非力じゃないですか。それなのに、よくお姫様抱っこできたなぁって思って」

「確かに、変だね」

「火事場の馬鹿力ってやつですかね」


 あの時は周りの様子も何も見えなかった。

 ただ、手に握るたった一枚のお題用紙で頭がいっぱいだったのだ。


 あのお題用紙を手にした瞬間、真っ先に笹山先輩の顔が思い浮かんだのを覚えている。


「ふふ」

「どうしました?」


 背中で唐突に笑い始める先輩。


「おかしいなって思って。だって涼太は私に甘えたいって言って、付き合うことになったんだよね」

「……そうですね」


 急にそんなことを言われ、熱くなる感覚に襲われた。

 背中に感じる先輩の体温も合わせて、沸騰しそうだ。

 先輩はそんな俺に構わず続ける。


「でも、今の状態って真逆だよね」

「どっちかって言うと、笹山さんが甘えてるみたいな感じありますもんね」

「そうそう……ごめんね、思ったのと違うよね」


 謝る先輩に、俺は足を止めた。


「え、どうしたの」

「たまにはいいです」

「え?」

「たまには、逆も楽しいのでいいんです」

「……それはよかった、のかな?」

「はい」


 普段は部活などで甘えさせてもらっている先輩が、ふとした時に甘えてくるのは、正直言ってめちゃくちゃ嬉しいし、楽しい。

 幸せだ。


「ていうか、ちょっと冷静になって恥ずかしくなってきたね」

「そうですか?」

「だって、この体勢は色々……」


 言われて気づく。

 今背中には完全に体を預けてくれている先輩がいるわけで。

 おんぶした初めに感じた柔らかい感触とは、言うまでもない。

 さらに、両手は彼女を支えるためにがっつりと太ももの辺りを掴んでいる。


 加えて言うなら、俺も先輩も生地の薄い部活のジャージを着ているため、かなり肌の感触というものがリアルに伝わってくるのだ。

 あれ。

 これって結構ヤバいんじゃ。


「あの」

「なに?」

「いや……」


 何を言っていいのかわからなくなった。

 俺達は、キスすら邪魔されて済ませていないのだ。

 それなのに、この密着は。


 いつかの水族館デートのように、頭が真っ白になってきたその時。

 背中の先輩が呟く。


「もう、怖くなくなったから歩けるよ」

「あ、そうですか」

「うん、ありがと」


 背中から降りた先輩は、居心地悪そうに笑う。


「別の意味で足取りがおかしくなっちゃった」

「俺も、なんかふわふわしてきました」

「うちに来た時を思い出すね」

「そうです、ね……」


 あの日の帰り。

 先輩は言った。

『じゃあこの続きはまた今度』

 と。


 そのあとも、『またいつか、ちゃんとした場所で』という言葉を貰っている。


 今じゃないのだろうか。

 その今度とは、今日で。

 ちゃんとした場所とは、ここじゃないのだろうか。


 そう考えると、本気で頭がくらくらしてきた。


「笹山さん」


 呼ぶと、先輩は歩き出そうとしていたところから、俺の方を振り向く。

 そして俺の表情を見て何かを悟ったらしく、何か言おうとした口を閉じた。


「あの、キスしませんか?」

「……」


 勇気を出して伝えると、先輩は黙って下を向いた。

 返答がすぐに返ってこない。


 ……え、嘘だろ。

 俺は、間違えたのか?


 いいよとも、嫌だとも言われないせいで、気持ちの行き場が分からない。


「あ、すみません。嫌なら……」

「嫌じゃ、ないよ」


 先輩は否定した。

 よかった。

 キスを拒絶されたわけではないらしい。

 しかし、先輩はごめんと断ってから言った。


「後で、部屋に来て」

「え?」

「だから、ホテルの私の部屋。マネージャーだから一人部屋だし、誰も来ないから」

「えぇ?」


 物凄く間抜けな声が出た。

 だってそれは。

 佐原や伊藤が何度も言ってきて、俺が適当にあしらっていたシチュエーションなわけだから。


「いいんすか?」

「……うん」


 木々や葉が風に揺らされる音にかき消されるような声で、先輩は確かにそう答えた。


 とんでもない事になってきた。

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