第14話

 少しもやもやしながら、一週間が経った。

 中間テストも通常通りに受けた。


 まだ結果の返却はされていないが、悲惨なことは確実だろう。

 元々暗記重視のテストに価値を感じないため、中間テストなどの定期考査は勉強をしないタイプなのだ。

 加えて今回は騒動の事で頭がいっぱいであり、さらに身が入らなかった。

 自己最低順位を更新したかもしれない。


「はぁ」

「ため息やめろよ。こっちにも邪気が移るだろ」

「邪気って言うなよ」

「いや、今のお前は邪気が漂ってるぜ。何かに憑りつかれてるんじゃないか?」


 物騒なことを言うのはやめてほしい。

 今はテスト最終日の放課後。

 つまり、テスト休みで中止になっていた部活の練習がこれから再開するのだ。

 ただでさえ汗臭い部室の中で憂鬱なのに、邪気などと言われては体がさらに重くなる。


 佐原は上裸でスマホをいじっている。


「上着ろよ」

「開放感あって気持ち良いんだよ。先輩も誰も来てないし」

「この変態が」

「うるせえ甘えん坊」


 それを言われてしまうと返す言葉がない。


「ってか明日から合宿だぜ。なんだかんだ、時が過ぎるのは早いもんだな」

「そうか……合宿か」

「楽しみだぜ。遠征先のホテル調べたけど、結構綺麗だったし」

「調べるのが早いな」

「勿論よ。オレはこのチャンスをモノにする」

「彼女つくるの?」

「そうだなー。まぁ女バスは基本みんな仲良いし、誰かイケるだろ」


 全くもって、こいつのコミュ力は流石のものだ。

 俺もこんな台詞言ってみたいものである。


「好きでもない女と付き合うのかよ」

「はぁ? そんなわけないだろ」

「え、女バス全員好きなの?」

「馬鹿、違うんだよ」


 佐原はチッチッと人差し指を振る。

 物凄くウザい仕草だ。


「よくわからんな」

「まぁ涼太みたいに大好きな人と理想的な形で付き合える方が珍しいんだよ」

「そんなもんか」

「そんなもんだ」


 こいつが言うならそうなんだろう。

 俺は練習着を取り出すべく、部活用のリュックを漁る。

 すると紙袋が出てきた。

 イルカなどのイラストがデザインされている紙袋である。


「なんだそれ」

「そう言えばお前にはお土産渡してなかったな」

「おー、気が利くじゃねーか」


 嬉しそうな佐原に、俺は紙袋から取り出した黒いゴムの塊を差し出す。

 受け取った彼は首を捻った。


「なんだこれ」

「ナマコのゴム人形だ」

「……お土産?」

「そう」

「……ありがとな」


 まったく嬉しくないような顔をしつつ、感謝を述べる事ができるのがこの男の美点だろう。

 それにしても、この前、部活全体にお土産を渡した際に、何故このナマコの存在を思い出せなかったのだろうか。

 我ながら不思議である。


 と、そうこう話をしていても一向に他の部員が集まらない。

 そこで佐原が口を開いた。


「で、どうだ最近」

「酷いな、全く収まる気配がない」


 あれから一週間以上経過しているのだが、冷ややかな視線が消えることはなかった。

 むしろ、拡散され過ぎて全校生徒にバレている気がする。

 ずっと後ろ指を指されているような生活だ。


 笑い事ではなく、深刻にいじめレベルである。


 とは言え、露骨に暴行や直接の暴言などの嫌がらせは未だ受けていない。

 以前伊藤が言っていた通り、本当に『滝沢キモーい』で済むレベルなのだろう。

 ただ、相手が笹山先輩であるのが問題なのだ。

 半笑いしながらキモーいで済むところが、嗚咽を漏らしながらキモーいにシフトしているような。

 これだと同じ言葉でもかなり変わってくる。


「笹山さんって本当にモテるんだな」

「そりゃ欠点なんて見つける方が難しい人だし」

「なんで俺の彼女なんだろう」

「笹山さんの唯一の欠点は男を見るセンスの無さか」


 正直俺も同感だ。

 なんで先輩は俺と付き合ってくれているのか、理解ができない。

 告白というか、付き合うきっかけになったのは彼女の言葉だった。

 水族館で気が利くとか、雑じゃないところが良いとか言ってもらったが、具体的にどこで俺と付き合う気になったのかという話は聞いていない。

 俺の何が彼女に刺さったのかは不明である。


 すると。


「おう、佐原と涼太か」


 脳筋ゴリラこと、キャプテンの藤村先輩が部室にやってきた。


「「こんちゃーっす」」


 適当に挨拶をしながら、俺と佐原は会話をやめた。

 あまり大勢に聞かせたい話ではないからな。

 その点を弁えて変に話を続けない佐原は、本当に空気を読むのが上手い。

 毎度世話になる。


 その場は一旦お開きにして、俺と佐原は練習へと向かった。



 ‐‐‐



 部活の終わり際、周りがストレッチをしている中で俺は一人体育館を出る。

 向かった先の手洗い場では笹山先輩が、俺たちの使ったスクイズボトルやウォータージャグを洗っていた。


「いつもお疲れ様です」

「……あ、涼太」


 俺に気づくと先輩は驚いたように目を丸くする。


「ストレッチは?」

「早めに終わらせました。笹山さんの手伝いをしようかと思って」

「別にいいのに。選手はきちんと自分の身体のメンテナンスをしてください。それが仕事です」

「……笹山さんと話がしたかったので来ました。ダメですか?」

「君はいつも断りづらいこと言うよね。ほんとにあざとい」


 苦笑する先輩の隣並び、置いてあったスポンジを持ってスクイズボトルを洗う。

 すると彼女は諦めたように溜息を吐いた。


「テストはどうだったの?」

「最悪です」

「自信満々に言う事じゃないでしょ」


 別にそんなつもりはなかったのだが。

 吹き出す先輩を見ているとどうでもよくなる。

 やはり先輩は笑っている顔が一番可愛い。


「笹山さんはどうなんすか? テスト」

「うーん、最悪」

「他人の事言えないじゃないですか」

「仕方ないよ。体調崩しちゃってたから」

「そうですね」


 先輩は結局先週の欠席日からテストが始まるまでの約一週間学校を休んでいた。

 熱があったとのことだが、詳細は知らない。

 聞くのは憚られたからだ。


「今は大丈夫なんですか?」

「全然平気だよ。いっぱい休んで回復しました」

「それはよかったです」


 二人で作業を淡々とこなしながら、会話は続く。


「明日から合宿だね」

「そうですね」

「あーぁ、心配事だらけだよ。君たちがホテルで暴れ過ぎないかも心配だし、肝心の練習試合も心配。次の新人戦に向けた大事な調整試合なわけだし。それに、家の事も心配なんだよね……」

「弟さん、一人っすか?」

「そう。お父さんはしばらく出張だから」

「でも弟さんしっかりしてそうでしたけど」

「そんな事ないよ。あの日だって涼太が帰った後は……」


 お互いに無言になる。

 先輩の家での二人きりの時間に起こった数々の記憶が鮮明に蘇ったのだ。


「とにかく。気が気じゃないよ」

「そうですか」

「君はどうなの?」


 先輩に聞かれ、俺はスポンジに洗剤をつぎ足しながら考える。


「ちょっと安心っていうか」

「なに、安心って」

「現実から逃げられるわけじゃないですか。少なくとも土日の二日間は」

「……」


 再び俺たちは無言になる。

 今度は学校で起こっている面倒ごとを思い出してしまったからだ。

 俺は自分で作った負の空気を切り裂くように、明るい声を出す。


「そう言えばホテル綺麗らしいですね」

「あ、そうなんだ。調べたの?」

「佐原が入念にチェックしてるみたいで、そこから情報を入手しました」

「……何かやらかすつもりなのかな?」

「さぁ」


 お互い、暗い話題には極力触れない。

 これでいい。

 さっきは俺の失態で若干雰囲気を悪くしてしまったが、基本的に学校の話題は避けよう。


 別に互いに触れないようにしようと話したわけではない。

 暗黙の了解という奴だ。


「よし、体育館戻ろっか」

「え、まだスクイズ三本残ってるんですけど」

「嘘でしょ? もう! これなら私が一人でやった方が早く終わったよー!」

「長く話せるよう、わざとゆっくり洗ってたんです」

「君、もしかして邪魔しに来たの?」

「そんなわけないじゃないですか」


 馬鹿みたいな会話をしていると、体育館の窓から叫ぶ声が聞こえる。


「おーい! 練習終わるから早く集まれよ!」

「イチャイチャしてんじゃねーぞお前ら!」


 上級生らの呼び声に俺と笹山先輩は苦笑する。

 以前ならこんな茶化しにも赤面してしまっていたが、この前のデートで色んな体験をしたおかげで、今では笑って流せるようになった。


 そして何より。


 冷ややかな視線も悪意あるノリもなく。

 部活のみんなは文字通り俺達の味方なんだ、という事実が嬉しい。

 居心地の悪い学校に、こうして登校し続けられているのは彼らの温かい態度が故だ。


「戻ろっか」

「はい」


 仲間が待つ場所へと、俺達は二人で戻った。

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