第15話
待ちに待ったバス遠足――ではなく、遠征合宿が始まった。
土曜の早朝六時半に、男女別でそれぞれマイクロバスに乗り込む。
ごつい身体つきの男がこれでもかというほどに押し込まれたバス内で、俺は窓際の席を陣取っていた。
ちなみに隣の席には佐原が座っている。
こいつもなかなか筋肉質な体だが、キャプテンの脳筋ゴリラが隣に来ないだけマシだ。
「楽しみだな」
「……ごくごく」
「酔い止め飲むのかよ」
呆れたような顔をする佐原。
しかし、仕方がない。
乗り物系は基本どれも長時間乗ると酔うのだ。
加えてバス内では既に、バランス栄養食を貪っている奴やバナナを頬張るゴリラ、どこから持ってきたのか知らないおでんを食っている馬鹿もいる。
早くも異臭が充満し、吐き気が凄い。
「くっせえな」
「言語化しないでくれ。鼻だけじゃなくて耳までもげる」
五感のうち二つも使って、こんな悪夢のような現実を受け入れたくないのだ。
現に俺は窓の外をずっと眺めている。
そんな俺に構わず、隣で佐原はお菓子の袋を開いた。
チーズ系の匂いがふわりと鼻につく。
「お前、正気か?」
「悪いな。朝はチーズなんだよ」
「俺を殺す気かよ。肝心の練習試合で本調子出せなかったら佐原のせいだぞ」
「心配しなくてもお前は試合に出ねーだろ」
「……いや、そんなことはないはずだ」
昨日の練習も、テスト前の練習も、要するに笹山先輩とのデート以降の練習は割と真面目に取り組んだ。
筋トレも、より負荷をかけてこなしている。
なんとか笹山先輩が引退する前までに、スターティングメンバーとまでは言わなくても、試合に出られるくらいの選手にはならなければならない。
心に決めたのだ。
静かなやる気に燃える俺に、佐原は笑った。
「恋する男の強さを見せてくれよ」
「守るべきものが、俺にはあるからな」
「守ってもらう側なんじゃねーのか? ベンチでいっぱい甘やかしてもらえよ」
「それも魅力的だけどな」
正直、佐原に色々言われる分には気にならなくなってきた。
むしろネタに昇華してもらってありがたいくらいだ。
腫物扱いされるよりマシである。
「そう言えば笹山さんの隣に座らなくて良かったのか?」
「馬鹿言え。笹山さんの隣はジャグとか荷物が積んであるだろ」
「荷物に彼女とられたのか? 笑えるな」
何も面白くない。
俺だって、元は先輩の隣に座るつもりだった。
先輩の隣なら彼女の良い匂いで悪臭も軽減できたし、何より色々話したかったし。
だがバスに乗り込んですぐ、荷物と仲良く隣同士に座る先輩を見て、俺は絶句した。
俺の視線に気づいた先輩も気まずそうな顔をしていた。
浮気の現場を見てしまったのである。
馬鹿な話はさて置き。
佐原からチーズ菓子の一つを奪って口に入れる。
「うわ、味濃いな」
「他人のもん食って出る感想がそれかよ」
話しているうちに、バスは学校を発った。
実はまだ動いてもいなかったのだ。
バスが動いて行くうちに、徐々に車内から会話が減っていく。
俺と佐原も気付けば無言になり、ぼーっと呆けていた。
そのまま、意識を失っていく。
‐‐‐
「――た。ry――た。ねぇ、涼太」
「ん……?」
目を開けると、部活のポロシャツを着た美人がいた。
笹山先輩である。
「やっと起きた?」
「……もう着いたんすか?」
「ううん、まだサービスエリア。後数十キロあるよ」
「そうですか」
どうやら休憩場所で停まっているらしい。
気付けば窓の外の景色も動いてないし、車内には俺達の二人以外誰もいなくなっていた。
「みんなは、トイレ?」
「飲み物とか買ってる人もいると思うけど」
「笹山さんは大丈夫なんですか?」
「さっき行ってきたよ」
「あれ、もうここに着いて結構時間経ってます?」
「十分くらいかな。涼太も早くトイレ行きなよ」
そう言って俺の腕を引っ張り、立たせようとしてくる先輩。
俺はその手を握った。
「え?」
「え?」
お互いに変な声を出した。
なんで手を握ったのか、自分でも理解できない。
「どうしたの?」
「いや、なんでもないです」
答えると、困ったような顔をされた。
当たり前だ。
「じゃ、ちょっと行ってきます」
「はい」
寝起きでフワフワした体を強引に制御しながら、俺はトイレに向かった。
気持ちよくなったところで、バスに戻ってくる。
一応言っておくが、排尿しただけでいかがわしいことはしていない。
バスには既にみんな乗り込んでいて、俺は部員の荷物や足を避けながら席に戻る。
しかし。
「あれ、なんで笹山さんが?」
さっきは佐原が座っていたはずの俺の隣に、何故か笹山先輩が座っていた。
意味が分からない。
状況を吞めずに棒立ちしていると、何故か場所を交代している佐原が声をあげる。
「可哀そうだから席変わってやるよ」
「は?」
「笹山さんと仲良くしろよ」
「おいっ!」
何してくれやがったんだ。
嬉しいけど恥ずかしいだろうが。
笹山先輩も苦笑してるし。
「朝からイチャイチャしやがって!」
「これだから甘えん坊は!」
「ヒューヒュー、リア充見せつけるねー」
「幸せに死ね!」
最後に殺気が漏れている奴が一名いたが。
「おい涼太。浮かれるのは良いけど試合でミスしたら殺すからな」
「……はい」
キャプテンの言葉に気を引き締める。
精一杯頑張ろうと思います。
バスは再び移動を開始した。
「佐原に聞いたけど、バス酔いするんだって? 大丈夫?」
「笹山さんのおかげで無事です」
「え、なんで?」
笹山先輩が隣に来てからというもの、異臭は全くしなくなった。
単に休憩所で換気をしたというのもあるだろうが、先輩から発される柔軟剤やシャンプーの匂いによる効果が大きいだろう。
何はともあれ感謝である。佐原にも笹山先輩にも。
気持ち悪いから口には出さないが。
「緊張しますねー」
「練習試合に?」
「はい」
頷くと、驚いたような顔をされた。
「変ですか?」
「まぁ、そりゃね」
部活の練習試合前に緊張するのは普通の感性だと思うのだが。
しかし先輩は続ける。
「だって君、デート前にもあんまり緊張してなかったじゃん」
「……あれは、違いますよ」
緊張していなかったわけではない。
デートそのものへの緊張より、佐原に伝えられていたアドバイスに怯える恐怖の方がデカかっただけだ。
「そういう笹山さんこそ、特に緊張してなかったじゃないですか」
「え、緊張してたよ」
「そうなんですか?」
「うん、元々デートの日はかなり早く駅に行こうと思ってたの。だけど、朝からやけに緊張しちゃって前髪のセットが上手くできなくて」
「だからずっと前髪触ってたんですか?」
「あれ、バレてた?」
「はい。気にしてるのかなーって。俺から見ればいつも通り可愛かったですけど」
「全然違うのー」
女子には譲れないこだわりがあるらしい。
珍しく小さい女の子みたいな口調になった先輩は、そんな自分に気づいたのか苦笑した。
「なんか涼太と話してると馬鹿になる気がする」
「……馬鹿が感染るって事ですか?」
「いや、ごめん。そういう意味じゃなくてね」
俺が馬鹿なのは事実だが、否定してくれる先輩は優しいな。
先輩はバッグからチョコビスケットを取り出して一つくれた。
俺は頭を下げつつ、それを口に入れる。
「やっぱり、密な場所で食べるお菓子はこういうのですよね。チーズ菓子とか頭おかしいです」
「おーい、オレの悪口言ってるか? バス降りたら覚えてろよー」
地獄耳の佐原が振り返って言ってくるが無視だ。
先輩から貰ったチョコビスケットは甘い。
そうこうしているうちに、バスは目的地に着いた。
遠征地は山の中である。
‐‐‐
山の中の体育館という事で、かなりの猛暑を予想していたが、案外涼しかった。
今は十月末だし、高所なため風が良く通る。
当然と言えば当然だ。
現在コートでは十人の選手が往復を繰り返している。
俺はと言うと、いつものようにベンチを温めていた。
たまに笹山先輩を手伝って、選手のための氷嚢やテーピングの準備などをする程度。
流石に数日部活を真面目にしただけで試合に出れるほど甘い世界ではない。
ブザーが鳴り、選手たちがベンチに戻ってくる。
そんな彼らに飲み物を渡したり、準備していた氷嚢を渡したり、大忙しだ。
「涼太、お前はマネージャーか?」
「選手です」
呆れたように聞いてくるキャプテンに答えると、彼は溜息を吐いた。
「次の試合に出すからアップしとけ。マネージャーは笹山に任せといていいぞ」
「はい」
なんとか選手としての体裁は保てそうだ。
ちらりと笹山先輩の方を見ると、少し嬉しそうに微笑んでいた。
よし、頑張るぞ。
あわよくば活躍して、良いところを見せたいものだ。
‐‐‐
特に何の活躍もなく午前の試合は消化した。
中庭のような場所でスマホを片手に昼食をとる。
試合に出されて、普段はしないようなプレイを試みたが全て失敗。
相手から面白いくらいに防がれて飛んだ大戦犯をかましてきた。
まぁ、そんなもんだろう。
一番堪えたのは笹山先輩の『次は頑張ろう。普通にね』という慰めだったが。
悲しみに暮れていると不意にスマホが振動した。
画面には一件のメッセージと表記。
タップしてアプリを開くと、珍しく伊藤から連絡が来ていた。
『今から体育館裏の廃校舎に来れる?』
この遠征地は古い高校だ。
体育館はかなり広く、板も傷が少なく使いやすい上に、男女がそれぞれ半々でコートを使ってもおつりが来るくらいのサイズはある。
しかし、校舎は新築のモノと古いモノが混ざっていた。
あまり綺麗な学校というわけではない。
というわけで、まだ取り壊されていない廃校舎が残っているのだ。
俺は飯を食べ終えると、廃校舎へ向かった。
「早かったね」
「こんなとこに呼び出してどうしたんだ?」
廃校舎の前で座っていた伊藤。
髪は若干汗に濡れ、試合にかなり出場していたことが伺える。
俺とは真逆だ。
伊藤は立ち上がると、辺りを見回してから誰もいないことを確認する。
そして口を開いた。
「先週、川崎先輩と一緒に帰ったんだって?」
「……別に、あの人が勝手についてきただけだけど」
一緒に帰ったなどと言われるのはちょっと癪である。
ニュアンスも少し後ろめたいし。
「まぁ事実なんだね?」
「あぁ」
「うーん、危ないな」
伊藤はため息を漏らす。
「危ないってなんだ?」
「あの人、男遊び凄いからさ。気を付けなよ?」
「はぁ? 俺は彼女いるんだぞ」
「関係ないよ」
確かに異様に距離感が近かったような気がするが、あれは誰に対してもだろう。
そう言うと伊藤は首を振る。
「だから、誰に対しても遊ぶんだよ」
「……」
「滝沢は目をつけられてんだよ。前から童貞と遊びたいってよく言ってたし」
道理で童貞かと執拗に聞いてくるわけだ。
思い返すと気持ち悪くて、背中に嫌な汗が滲む感覚に襲われる。
「前は綾乃先輩を取られないように気をつけろって言ったけど、今度は滝沢が取られないように気を付けなよ?」
「他でもない、あの欠点なしの笹山さんと付き合ってるのに、他の女に靡くわけないだろ。そもそも川崎先輩の事は苦手なのに」
「そんな単純ならいいけどね」
随分と含みのある物言いだ。
俺がそんな尻軽と思われているなら心外である。
「そんな事より、お前も自分の身を案じたらどうだ?」
「なんで?」
「いや、泊りだろ? 見境ない男から自分を守れるのは自分だけなんだから」
「はぁ。もし私にちょっかいをかけようとしてる奴がいたら、『何かしたら学校から居場所をなくしてあげるよ』って言ってたって伝えといて。そんな物好きはいないと思うけど」
「どうだろうな、佐原とか物好きそうだけど」
「うーん、あれなら別にいいけど。イケメンだし」
「……」
やはりイケメンは何をしても許されるらしい。
後でこの山のどこかに佐原は埋めておこう。
「話は川崎先輩の件だけか?」
「そう。ホントにヤバいから気を付けて」
「あぁ……」
同じ女子、加えて同じ部活の後輩にここまで言われる川崎先輩。
一体どれだけの悪行を積んできたのか。
段々本当に怖くなってきた。
試合に出ていないのに、背中と腋だけ汗をかいてくる。
「女怖いな」
女子の仲は複雑だと今一度痛感した。
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