第9話

「あの、もう大丈夫だけど」

「あ、ごめん……」


 先輩の背中に手を回したままフリーズしていた。

 言われてそのまま手を離す。


 やけに体が熱い。

 特に、視界が狭まるような感覚に襲われている。

 先輩から目を離そうにも、勝手に視線がそこに吸い付いてしまう。

 頭がまるで回らない。なんだこれ。


 先輩はそんな俺に何か言うでもなく、下を向いていた。

 どんな表情をしているのだろうか。


 先輩は美人だし、前からふとした時に顔や姿を眺めてしまうことは多々あった。

 一緒に帰っているときも、結構顔を見ていた自覚はある。

 だが、こんなのは初めてだ。

 いつものつい眺めてしまう感覚とは全く別物。


 佐原の言葉を思い出す。

 ここに来てようやく理解できた気がする。

 間違いなく今は攻めるべき時だ。


 しかし、どうするのが正解なんだろうか。


 攻めすぎてはいけない、攻めなさ過ぎてもいけない。

 そんな絶妙な駆け引き、難しすぎる。


 どうしようかと困っていたところ、先輩がこちらを向いた。

 顔は今まで見た中で最高に真っ赤だ。

 若干瞳が潤んでいるのもわかる。


「手、繋ぎましょう」

「……うん」


 何故だかわからないが、不意に口から出てきたその言葉は、正解だったらしい。

 先輩が差し出してくる手を俺は握った。


 いつも俺達のために着替えやタオルの整頓、ドリンクを作ってくれている先輩の手。

 それは思ったより冷たくて、折れてしまいそうなくらい細かった。




 ‐‐‐




「そう言えばご飯食べてないね」

「本当ですね」


 あれから一時間程度、手を繋いで館内を回った。

 今はもう繋いでいない。

 二人とも正気に戻ったのだ。


「ってもう四時になるんすね」

「お土産買って帰ろっか」


 という事で、お土産コーナーに入ることにした。

 店内には先ほどのショーで頑張っていたイルカの文房具からぬいぐるみなど、定番なお土産品が並んでいる。

 そんな中を先輩はぶつぶつ言いながら歩いて行く。


「えーと、友達に買う分と、部活にあげる分と……」

「え、部活にお土産買うんすか?」

「もちろん」


 当然のように頷く先輩。

 俺は頬を掻く。


「ちょっと恥ずかしいですね。だって俺たち二人からのお土産ってわかるわけだし、なんだか惚気みたいなニュアンスに見えそうっていうか」

「別にいいじゃん。みんな知ってるんだし」

「それはそうなんですけど」


 部活で俺達がデートのお土産を配ったらどうなるか。

 間違いなく部員から囲まれて、デートの詳細を根掘り葉掘り聞かれるに決まっている。

 先輩はマネージャーだし、男衆とは一線を画しているため被害は少ないだろうが、俺は違うのだ。


「嫌なの?」

「……買いましょう」


 先輩に聞かれてノーと言えるほど俺は強くない。


「涼太は誰にお土産買うの?」

「あー、そうですね」


 俺はリアルなナマコを模したちょっと気持ち悪いゴム人形を見ながら考える。


「佐原と伊藤くらいですかね」

「え、そのナマコあげる気?」

「これは佐原にです」

「……そう」


 佐原と伊藤には今回のデートの件で少なからず世話になった。

 お土産くらい買って帰るのが良いだろう。

 他人から貰った優しさは還元せねば。


「涼太は、日葵ちゃんと仲いいよね」

「あぁ、伊藤ですか。隣の席だし、練習メニューも被ること多いですからね」

「日葵ちゃん可愛いよねー。背低くて、マッシュみたいな短めの髪型似合ってる」

「そうですか? 笹山さんの方が全然可愛いですけど」

「君は本当に照れずにそういう事言うよね」

「事実ですので」


 照れなくなったのは俺より先輩の方だ。

 大体こういうことを言うと先輩が照れるから、俺もつられていたのに。

 今なんて軽くあしらわれているだけだ。


「あ、これ弟にあげようかな」


 先輩は既に俺との会話を終了させ、マグカップを見ている。


「あいつすぐ割るから、また新しいの買わなきゃ」

「じゃあそんな可愛いの買ってあげても、またすぐに壊されるんじゃないですか?」

「それもそうだけど……なんで男って雑なのかな」

「俺は食器割ったことないですけどね。洗い物してる時でも」

「涼太はあんまり雑なイメージないよ。多分そういう所に惹かれたんだと思う」

「バスケ部は雑な男の集団ですからね」

「気が回るのは君と佐原くらいだね」


 佐原が気が利くということは俺もよく知っている。

 これまでも散々助けられてきたからな。

 あいつが女慣れしてるのもその性格が理由だろう。

 または女慣れしたことで気が利くようになったのかもしれないが。


 ただ、俺が気が利くというのはよくわからない。

 生まれて初めて言われたような気がする。



 と、そんなこんなで二人ともお土産を選んだ。

 部活用にはイルカの形のクッキーを買った。

 そして、水族館を出てスマホを確認すると時刻は五時である。


「夕飯、一緒に食べよっか」

「そうですね」

「何食べる?」

「えーと」


 何を食べたいだろうか、と考えて頭をよぎったのはただ一つ。


「やっぱ寿司ですかね」

「本気で言ってたんだ……」


 顔を引きつらせる先輩。

 そんなにおかしいだろうか。


「魚見ると寿司食べたくなりませんか?」

「時と場合によるけど、水族館の魚じゃならない」

「そんな」

「逆にあんなに綺麗で可愛いもの見て、おいしそうだなーって思ってたの?」

「違いますよ。魚を見ると連想して食べたくなるんです」


 あんなに奇抜な模様の魚なんて食べたいとは思わない。

 あまりおいしそうには見えないしな。

 流石に金魚とか鯉とか、観賞魚を食べたいと思うほど感性が狂っているわけではないのだ。

 と、そのまま伝えると。


「へー」


 すごく興味が無さそうに返された。


「そういう先輩は何を食べたいんですか?」


 尋ねると、先輩は首を傾げた後に苦笑する。


「お寿司かも」

「同じじゃないっすか」

「違うの! 涼太がずっとお寿司の話するから」

「えー、本当ですか?」

「一緒にしないでよ」


 笑ながら肩を殴られた。

 流石は男子部活のマネージャーだ。

 力仕事もこなすためにそこそこ威力がある。

 よろけて見せると、ため息を吐かれた。


「もうちょっとフィジカル鍛えなよ。最近ちょっと身体つき良くなったけど、それじゃレギュラーにはなれないよー」

「え、身体つき良くなりましたか?」

「うん。付き合い始めた時よりガッチリしてきた」


 筋トレの効果は見た目にも表れていたらしい。

 そう言えばこの前佐原にも言われたっけな。


「頑張ります」

「うん。私もどうせなら彼氏には試合に出てて欲しいしね」

「……そうですね」


 あまり恥ずかしい姿ばかり見せてはいられない。

 本腰を入れて部活動に取り組まなくてはならなそうだ。

 そもそも彼女は二年生で、俺が一年生。

 順当にやってるだけでは彼女が在部している間に俺がレギュラーになることはないだろう。

 ベンチで談笑しているわけにはいかない。


「とりあえず寿司行きましょう」

「そうだね。ごめん部活の話しちゃって」

「いや、ごもっともなので」


 前にもこんな話をしたような気がする。

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