第8話

 館内は混雑というほどでも、閑散というほどでもない人入りだった。

 人混みが苦手な俺にはベストな環境である。


 パンフレット片手に、俺達はまず真っ直ぐに大水槽を目指した。


 13時からイルカのショーがあるらしく、現在時刻は11時であるため、それまでは時間がある。


「なんか、雰囲気あるね」

「そうですね。デートスポットって感じです」

「なにその他人事な感じ」


 くすくす笑う先輩を隣に、俺は不思議な感覚に襲われていた。


 ――不思議と、全く緊張しない。


 正直、本格的なデートとなればしどろもどろしてしまうのではないかと思っていたが、案外俺のメンタルは好調なようだ。

 昨日ぐっすり眠れたからかもしれない。

 何はともあれ、一つの不安が消えて嬉しい。


 辿り着いた巨大水槽では、当たり前だがたくさんの魚が泳いでいた。


「綺麗だね」

「……そうですね」


 綺麗なのは水槽の魚よりも、隣にいる先輩の方だと思った。

 無邪気に間近で水槽を眺める先輩の横顔が、青みがかった光に照らされて、いつもはない特別感を醸し出していた。

 館内の暗めのライトの演出もあって、その効果は凄い。


 流石は王道デートスポット。


 俺の努力は間違ってなかったらしい。

 左隣の先輩からは見えない右拳を握り締めてガッツポーズをした。


「私、魚に生まれ変わりたいかも」

「魚ですか?」

「うん。こうやって綺麗な鱗に彩られて、海を泳ぎたいなって」

「……でも、ここにいる魚が泳いでるのは海じゃなくて水槽ですよ」

「いいじゃん」


 ぶち壊しなことを言ってしまった俺に振り向いて、先輩は続ける。


「色んな人に綺麗な姿を見てもらえるって素敵」

「海じゃ天敵しかいませんからね」

「そうだよ? でもここなら思う存分泳げて、色んな人から綺麗だよって言ってもらえて。そんな生活ちょっと憧れるよ」

「……」


 色んな人から綺麗だって言ってもらっているのは現状の先輩も同じだ。

 高校内での彼女の立ち位置はそういうモノである。


「笹山さんの方が綺麗ですよ」

「あはは、私も幸せだね」


 俺達と同様に、同い年くらいのカップルもそこそこ目に付く。

 みんな緩い顔をして水槽を見ながら談笑をしている。

 幸せな時間を過ごしているんだろうな。

 自分も同じ状況だが、現実味があまりない。

 文字通り、幻想的って感じだ。


「涼太は、何か思わないの?」

「何がですか?」

「こんなおっきな水槽見てたら、何か思わないのかなーって」


 感慨に耽る感性など、俺にはないらしい。

 少し考えて、口から出た言葉は。


「寿司が食べたいなって」

「ありえないんだけど」


 ツボに入ったように笑う先輩を見て、俺も笑った。



 ‐‐‐




 館内を見て回っているといい時間になったため、イルカショーを見に行くことにした。

 イルカ専用のプールのある屋外へ出ると、太陽に焼かれるような熱気に襲われる。


「十月なのに暑いね」

「薄手のセーターを着て来て正解でした」

「私も薄着でよかった。朝ちょっと寒かったから失敗したかと思ってた」

「俺もです」


 同じことを考えていたらしい。

 なんだかちょっと嬉しい。


 ショーの観覧スペースに入る前に、二人分の耐水ポンチョを購入。

 先輩には遠慮されたが、このくらいはさせてもらいたいものだ。

 年下でも一応彼氏だしな。


 席に着くと、既に結構な人が待機していた。


「やっぱ人気ですね」

「メインショーだしね」


 水族館と言えばイルカショー。

 それはド定番であり、俺にも同じ認識がある。

 と、そこで思い出した。


「先輩はありきたりなデートスポットって嫌いですか?」

「何、いきなり」

「いや、やっぱり気の利いた知る人ぞ知る……的なモノを好む女性もいると思いますので」


 そう言うと、先輩はうーんと唸る。


「気が利いてるのはありきたりな方じゃないの?」

「そうすか?」

「だって、定番のデートスポットならまず外すことないしね。奇をてらった場所より、私は定番な場所に連れて行ってもらったほうが嬉しいかな」

「なるほど」

「私が嬉しかったのはね、君三つ選択肢出してきたでしょ? だから、あー、私のために考えてくれたんだなぁって思って」


 いつの間にか俺の話に置き換わっている。

 ただ、悩んで佐原を頼って、そこから自分で考えたことは間違ってなかったし、気付いてもらえていたという事だ。

 これほど嬉しいことはない。


「ほんとに、ありがとう」

「……やめてくださいよ、そんな急に」

「あ、そ、そうだね! なんか勝手に思い出して舞い上がっちゃって……」


 そんなことを言われたら、まともに先輩の目なんて見れなくなる。

 これ以上続けたら、確実に。

 イルカより先輩を眺めては本末転倒である。


「あ、もうすぐ始まるね」

「わー、イルカだ」

「……やっぱり涼太って変」

「そうすか?」

「イルカ見て、その感想が出てくるのは君くらいだと思うよ」


 ではなんと言えばいいのだろうか。

 イルカに向かってクジラだーとか言えばいいのだろうか。

 絶対に違う気がする。



 イルカのパフォーマンスが始まった。


 飼育員の合図に従ってジャンプしたり、ボールを使って器用に技を見せたり。

 その度に観覧席からは歓声や拍手が響き、プールからは水しぶきが飛んできた。


 ポンチョによる守りの緩い頬に飛んできたちょっと臭い水を拭いながら、ふと思う。


 先月の体育祭の時に似ている。

 観客に囲まれてパフォーマンスさせられ、それで笑いや歓声を貰う。

 もしかすると、このイルカたちもやりたくてやっているわけではないかもしれない。

 強制プログラムとして渋々やっているだけかもしれない。


 俺の場合、こうして結果を見れば大成功だ。

 もはや徐々にあの借り物競争もいい思い出に変わりつつある。


 このイルカたちにも、きっとそんな日が来るんだろう。

 他人を楽しませたら、いい未来が返ってくる。


「難しい顔してどうしたの?」

「借り物競争もちょっといい思い出になりつつある自分に驚いてました」

「イルカショーとどんな繋がりがあるの?」

「色々です」


 言うと、先輩は頷いた。


「あの借り物競争がなかったら、今日のデートはなかったもんね」

「そうですよ」


 イルカは最後の大技である、高い位置に準備されたフープを潜ろうと助走をつける。

 そして見事にフープを潜り抜けると、割れんばかりの拍手喝采が起こった。


「私たちもこんな感じだったのかな」

「わかんないですね、当事者なので」

「それもそうだね」



 ‐‐‐




 ショーが終わった後、のんびりと同じ屋外にあったペンギンエリアを覘きながら、少し話した後、再び館内へと戻った。

 今は初めの水槽のエリアより少しライトが暗めに設定されたエリアにいる。


 この辺りはクラゲなどが展示されているらしい。


「見て見て、このクラゲ可愛い」

「ほんとだ」


 先輩に連れられて、小さな水槽の中でぷかぷか浮いているクラゲを見る。

 半透明で、何やら筋のようなモノが見えた。

 そこで思い出した。


 そう言えば、小学校の頃に自由研究でクラゲを調べてまとめたことがあった。

 特にクラゲや海洋生物に興味があったわけではなかったが、なんとなく楽そうだから書いた記憶がある。


「カブトクラゲ、ですかね」

「あれ、何で知ってるの?」

「小学校の頃にちょっと調べたことがあって」

「へー、そんなのまだ覚えてるんだ?」

「記憶力は自信ありますよ」


 他人の顔は一度見れば名前と一致させられるし、クラス替えの後は一日で全員の名前を覚えられる。

 前まで当たり前のことだと思っていたが、案外珍しいらしい。


「涼太ってクラゲ好きだったの?」

「いや全く。むしろ昔から海は苦手です」

「え? なんで水族館来たの?」

「わかりません。笹山さんとなら来たいって思いました」


 海は苦手だ。

 車窓から海が視界に入ると恐怖を覚えるし、プールは好きだが海水浴にはあまり行きたくないレベルで海は苦手である。

 何があるかわからない、足も地に着かない、そんな場所は怖い。


「私は海好きだよ。波の音とかずーっと聴いてたい」

「今度行きますか」

「海嫌いなんじゃないの?」

「笹山さんが隣なら怖くないし、海も好きになります」

「……もう」


 先輩はその場から離れるように、後ろへ下がる。

 しかしそこは、スロープになっており。


「きゃっ……」


 体勢を崩した先輩をなんとか支えた。

 この瞬間ようやく筋トレをしていた自分を肯定できた。

 この時のためのトレーニングだったんだ。


「ごめん……」

「いえ全然、気にしないでくださ――い」


 目の前、至近距離に先輩の顔があった。

 頭が真っ白になった。


 先輩の顔は暗いこの場所でもわかるほどに真っ赤に染まっていた。

 恐らく俺も同じような顔色をしているだろう。

 そこでふと、ある言葉が頭をよぎった。


『初デートってのは、攻めすぎても攻めなさ過ぎてもダメだぜ』


 佐原の言葉が、頭の中でぐるぐると回った。

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