第1話

「おい滝沢! 聞いたぜ、お前と笹山先輩付き合い始めたんだってな!」


 体育祭の翌日のこと。

 教室に着くなりクラスメイト達に歓迎された。

 たった一日で周知の事実となっているのが恐ろしい。



 ‐‐‐




 昨日はあの後、普通に部活動があった。

 体育祭後の休養など考えない脳筋キャプテンのせいで、いつも通りなハードワークを強要させられたのだが。


「なあ涼太。笹山さんとはどーなったんだよ?」


 部活終わりのヘロヘロ状態のときに、佐原から発されたその一言で、さらなる地獄と化したのだ。


「どーなったって言われても……」

「おいおい嘘はなしだぞ?」

「先輩まで……」


 一気に上級生達からも囲まれ、逃げる事すら許されない状況に追い込まれた。

 そこで俺は、練習用具の片づけをしていた笹山先輩に、助けを求めるべく視線を送った。

 すると彼女はオーケーサインをして見せたので、俺は素直に話すことにした。


「実は、付き合うことになりまして」

「おおマジか!」


 一気に盛り上がる暑苦しい体育会系男ども。


「ついに笹山に彼氏ができるとはな」

「前々から怪しいと思ってたんだ」

「やけに仲良かったからな」

「そんな、普通でしたよ」


 特に仲が良かった――なんてことはなかったと思う。

 俺から話しかけることはあれど、彼女は基本部員には平等に接しているし、俺にだけ優しいだとかはなかったはずだ。


「この野郎、幸せに死ね」

「なんすかそれ……」


 当然、美人な先輩に好意を寄せていた部員もいたため、若干抜け駆けみたいになってしまったが、仕方がない。

 悪いのは俺ではなくお題を書いた悪魔だ。

 恨むならどこかにいるはずのお題書き係にしてくれ。


 盛り上がる奴らの輪から逃れ、部室へ行こうとすると肩に腕をかけられた。

 佐原である。


「後でしっかり話聞かせてもらうぜ?」

「やめてくれよ……」


 話をするにしても、言えることなんて特にない。

 実際、告白してきたのは俺というより先輩の方からだったし。

 部室についてから汗まみれの上着を脱ぎ、シートで体を拭いていると、佐原が見事な腹筋を見せながら言った。


「オレに感謝しろよ」

「あぁ……そうだな。ありがとう」


 こいつに言われなければ体育倉庫に行くこともなかっただろうし、付き合えたのは佐原のおかげと言っても過言ではない。

 素直に感謝を述べると、佐原は笑いながら続けた。


「それにしても、どんなお題だったんだよ?」

「……それだけは言えん」

「えー、『好きな人』とか?」

「まーそんな感じだ」

「なんだそれ」


 佐原がくつくつと笑うと、それに合わせて腹筋がムキムキ動く。


「いい加減上着ろよ」


 そんなこんなでのらりくらりと会話をしたのだった。



 ‐‐‐



 というわけなため、クラス中に知れ渡っているのも、部活の誰かが漏らしたのだろう、と容易に想像がつく。

 俺は野次馬の花道を潜り抜け、自分の席についた。


「大変そうだね。王子様」

「なんだ、王子様って」


 隣の席に座る女子、伊藤日葵いとうひまりはシャーペンを器用に回しながら言った。


「お姫様抱っこで綾乃先輩を抱えてたでしょ? だから先輩がお姫様、あんたは王子様。昨日の部活で女バス全員からそう言われてたよ」

「マジか……」


 こいつは女子バスケットボール部に所属している。

 うちの男子バスケ部は、顧問が滅多に来ないアットホームな部活なため、女子の顧問の先生に合同で指導を受けることも少なくない。

 そのため、この伊藤ともまぁまぁ話す間柄だ。


「まぁ正直、綾乃先輩がお姫様ってのはわかるけど、あんたが王子様ってのはちょっとね……」

「おい」

「まぁ安心してよ。みんなふざけてるだけだから」

「馬鹿にしてるだけじゃないか」


 勝手なことばかり言いやがって。

 俺がどれだけ精神をすり減らして実行した事なのかも知らないくせに。

 と言っても、お題内容を言うわけにはいかないが。

 あれは墓場まで持っていくと心に決めたからな。


「で、滝沢が昨日引いた借り物のお題って何だったの?」

「言わない」

「えー、教えてよ! みんな気になってるんだよ」

「暇な奴らだな」


 どいつもこいつも、もっと他にやることがあるだろうに。


「『好きな人』とかだったの? だったらウケるんだけど」

「あーはいはい。そうですよ」

「何その反応。キモ」


 流石に同じ事を言われ過ぎて、あしらいに慣れてきたぞ。


「ってかなんで朝っぱらからシャーペン握ってんだ?」

「今日提出の化学の課題やらなきゃいけないから」

「あ、俺もやってなかった」


 俺達が体育祭の熱い余韻に浸っている間にも時は流れる。

 普通に授業が行われる毎日が再開し、そんな中で徐々に俺への関心も減っていくだろう。

 若干日差しの弱まった九月末の空を窓から見ながら、そんなことを思った。




 ---




 その日の放課後。

 つまり部活終わりのことだ。


 いつもと同様に佐原と下校しようとすると、肩を小突かれた。


「馬鹿。一緒に帰る相手が違うだろ」

「え? ……あ、笹山さん」


 駐輪場で自転車に跨る俺の視線の先に、一人で歩いている先輩を見つけた。


「一緒に帰れよ。付き合ってんだろ?」

「おう」

「まったく、世話が焼けるダメ彼氏だぜ」

「……おう」


 爽やかに笑う佐原はそのまま一人で行ってしまった。

 俺は自転車を動かし、笹山さんの隣に行く。


「あの」

「わぁ! びっくりした……いきなり驚かさないでよ」

「あ、ごめん」


 彼女は苦笑した。


「無灯火は危ないから気を付けるように」

「でもどうせここからは押して歩くんで」

「一緒に帰ってくれるんだ?」

「あ、はい」

「何その間抜けな返事。そんなだからレギュラー取られるんだよ」

「うぐっ。ごもっともで」

「私、結構ちゃんと見てるんだからね。ほら、お腹から声出して」

「はい!」

「よろしい」


 と、そこまで言った笹山さんは顔を赤らめた。


「私、何言ってんだろ……」

「まぁ、正論なので」

「ごめん、まだ部活スイッチが抜け切ってなかったみたい」


 緩い顔で笑う彼女は、妙に艶っぽく見えた。

 なんだろう。

 今までよりもさらに、別人みたいに可愛く見える。そんなはずないのに。


「どしたの? ぼーっとして」

「え? いや。今日も部活疲れたなぁって」

「ここ数日休み無しだしね。流石にオーバーワークって感じだし、私からキャプテンに言ってみるよ」

「本当ですか? ありがとうございます。最近膝が衝撃を吸収できなくて傷みが酷いんすよ……」


 何を言っているんだ俺は。

 これじゃまるで、ただの部員とマネージャーじゃないか。

 考えろ。もっとカップルっぽい話をしなければ。

 ……でも、カップルっぽい会話って何だ。

 考えてみれば今までの人生で彼女なんてできたこともないし、何をしていいか全くわからないぞ。


 往来する車のライトに彩られた視界が段々と滲んでくる。


 どうしよう、何か喋らないと。

 無言の時間が流れてしまっている。


「――ねぇ」

「え? あっ、はい!」


 気付けば先輩が俺の事を見つめていた。


「なんか学校中に広まっちゃってたね」

「笹山さんもですか……」

「うん」

「ごめん。俺がお姫様抱っこしたから……」

「いやあれはお題の指示だし。それに……別に嫌じゃないから」


 こんな時、どんな反応をすればいいのかわからない。

 ただとても幸せな気持ちに包まれている。


「俺、笹山さんと付き合ってるんですね」

「なに、急に」


 目を細めながら笑う先輩。

 その後もおかしな会話をしながら、俺たちは一緒に帰った。

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