第14話

僕らは、また以前のように机の上の言葉だけで繋がる日々に戻った。

あの日、彼女は机の上に、『ごめんね』と書いていた。

どういった経緯でお姉さんが僕らのことを知ったのか判らないし、彼女がそれで争ったのか言われるがままだったのかも判らないけれど、何にせよ、彼女は何一つ悪くは無いのだ。

だから僕はもう二度と、彼女に『ごめんね』なんて言わせたくなかった。

いや、言われたくなかったのかも知れない。

一つ救いがあるとすれば、彼女は『ごめんね』の後に、もう一つ言葉を書き添えていたことだ。

その文字は小さく、自信なさげな弱々しいもので、およそ普段の彼女らしからぬ筆跡だったけれど、それとは裏腹に彼女らしい文面だった。

『忘れたら承知しないから』。

忘れる筈なんて無いし、思い出にする気も無い。

僕はその言葉に、「これから」を見出したのだ。

ならば悲嘆に暮れていてもジタバタしてもしょうがない。

取り敢えず、暫くはこのままでいる必要があった。

お姉さんは僕と彼女が同じ席であることまでは知らないだろうし、二人の、このささやかなやり取りなんて思いもしないだろう。

だから今は、これでいい。

勿論、抜け道はいくらでもある。

あらためて机に連絡先を書くことも、偽名で登録してもらうことも出来るし、僕の職場は土日でも営業してるから、会いに来てもらうことも可能だろう。

けど、それがバレて監視が厳しくなっては元も子もない。

幸いと言っては変だが、僕は我慢強い方だし彼女は聡明な子だ。

いずれは変化が訪れる。

少なくとも僕は、そう思っていた。


放課後の、でも、始業前の教室で、僕は今日の彼女の文字を見る。

平穏と言えば平穏、少し寂しさや物足りなさを覚えることはあっても、日々の言葉は確かに僕達を繋いでいる。

その筈だった。


『あいたい』


っ!!

突き刺さるように、その文字が目に入った。

痛い。

僕の痛みなのか、彼女の痛みなのか判らなかった。

まるで、文字を形作る線の一本一本が意味を持つみたいに、それは震えて乱れていた。

彼女の文字を指でなぞる。

そこから彼女の気持ちが流れ込んできて、僕を圧し潰すほどの感情が膨れ上がる。

繋がっているなんて誤魔化しで、少しの寂しさなんて嘘で、僕は我慢強くなんて無かった。


「僕が、あいたいなんて書かなきゃ……」

「嬉しかったけど?」

「でも」

「だから頑張って来たの」

「どうせなら、逆が良かった」

「私が会いたいって言うの?」

「うん」

「それであなたは、山越え谷越え会いに来てくれるの?」

「うん」

「じゃあ、それはいつかのために取っておくね」


ーーーーーー!!!!

僕は言葉にならない声を胸の中で叫んで、イスを倒す勢いで教室を飛び出した。

彼女はもう家に帰っている。

どこに向かえばいいのかなんて判らない。

ただ走るなんて無意味だ。

けれど、少しでも近くに行きたい。

どこか、どこか、ほんの僅かでも近くに──

……あの公園に行こう。

会えるわけじゃないけれど、山を越え、谷を越えてでも会いに行くと言った、無責任な自分を責めるのにちょうどいいじゃないか。

職場と学校以外の、唯一の彼女との接点であるあの楠の下が、ただの町中の小さなあの公園が、僕にとってはどこよりも特別な場所だ。

僕は昇降口で靴を履き替え、また走り出そうとして、ふと足を止めた。

ポケットの中で電話が振動していた。

……知らない番号だ。

そもそも、僕に電話を掛けてくる人なんて限られている。

だから無視しようとして、でも何故か気になって、僕は電話を耳に当てた。

微かなノイズと、その向こうにある息遣い。

「……繋がった」

ああ!

痛みと安らぎが同時にやってくる。

初めて連絡先を交換した時と同じ言葉が、同じ声が、僕の胸いっぱいに広がって溢れ出しそうになる。

「……翔太くん?」

優しく僕の名前を呼ぶのは、紛れもなく彼女の声だった。


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