第27話

仕事始めは一月五日からだった。

職場には彼女からの年賀状が届いていて、みんなに向けての挨拶がしたためられていたから、「もう奥さんみたいだなぁ」なんて冷やかされたりした。

僕には年明けと同時にメッセージが届いたけれど、クリスマスイブ以来、会ってはいない。

もう今月には試験があるから今は追い込みの時期でもあるし、地元の国立大を目指す彼女にとっては、その結果次第でどこか遠くの大学を選択しなければならない可能性もある。

彼女はそのことに、必要以上にプレッシャーを感じているようだった。


三学期が始まると、彼女は放課後には図書室で勉強するようになった。

僕も登校してすぐに図書室へ行き、例によって三十分ほどを二人で過ごす。

もうしばらくすれば、全日制の三年生は登校すらしなくなるようだから、会える時間はどんどん減っていく。

いや、自由時間は増えるのだから、受験さえ終わればもっと会えるようになるのかも知れない。

でも、彼女はそんなことを考える余裕も無いみたいだった。


受験とは、こんなにも厳しいものなのだろうか。

正直、彼女の勉強への打ち込み方は尋常ではなかった。

あの輪郭のはっきりした口調も、よく動く利発そうな目も、僕を夢見心地にさせる笑顔も、日に日に力を失っていくように見えた。

「落ちたらどうしよう……」

彼女が初めて弱音らしきものを吐いたのは、試験まであと一週間ほどに迫った日のことだった。

「万が一、落ちたとしても、志保なら選択肢は沢山あるよ」

慰めというよりそれは事実だったし、彼女の成績ならもっと上を目指すことも出来そうだった。

「翔太くんは……それでいいんだ?」

詰るような口調も初めてかも知れない。

怒ることはあっても、いつもはっきり意見を言って清々しいくらいなのに。

「私が……遠くの大学に行っても、べつに構わないんだ?」

もし、僕と離れることを恐れて必死になっているのだとしたら、僕としては申し訳ない気持ちが先に立つ。

と同時に、言い方は悪いけど、そんなことか、と思ってしまったのも事実だ。

「ごめん……今の私、性格悪かったよね」

これもまた、そんなことくらい、と思ってしまう。

もっと我儘を言ってほしいくらいだし、それどころか、彼女が不安になるのは僕のせいでもあるのだろう。

ちゃんと気持ちを伝えるのは二級整備士の免許を取ってから、と思っていたけれど、整備士の学科試験は三月だし、実技試験はもっと後になる。

だから、僕の資格や技能、或いは二人の距離とか立場は関係なしに、いま伝えておくべきかも知れない。

「たぶん、僕は君以外を好きになれないと思う」

「へ?」

珍しく彼女がほうけたような顔になった。

いつもの意思の強そうな口元は、ぽかんと開いたまま動かない。

そんな顔も、可愛らしいと思うし愛おしくなる。

「今までに、いい人だなと思ったり、可愛らしい子だな、と思った人はいるけれど、この歳になるまで誰かを好きになったことなんて無かったんだ」

彼女は口を開いたまま、僕の言葉を理解しようとするかのように瞬きを繰り返した。

「例えば君が遠くへ行ってしまったとしてもそれは変わらないし、僕は社会人で収入もあって、そのくせ遊び方やお金の使い方を知らないから、毎週でも会いに行けるだけの余裕がある」

だから、僕にとって距離は問題じゃないんだ。

君が僕に拘ることで苦しんだり、選択肢を狭めてしまうことの方が、よっぽど辛いことなんだ。

「わ、私なんか中二の終わり頃から好きだったし!」

……は?

「それからずっと会えなくても気持ちは変わらなかったし!」

何の話?

「机の上に、あいたい、って文字を見つけたときなんて、泣いちゃったし写真にも撮ったし!」

え? どっちがより好きであるかを競ってる?

それなら僕だって──

「任せて。受験なんて楽勝だから」

輪郭のある、はっきりとした口調。

きりりとした強い眼差し。

そして──ほら、やっぱりその笑顔が、僕を夢見心地にさせるのだ。

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