第24話

人前で話すのは苦手だ。

そんな僕が、数百人の生徒を前にして朝礼台に立っている。

マイクを持つ手が汗ばみ、膝が少し震えているのを自覚する。

宮ちゃんは型破りだったけど、僕は形通りの挨拶でいい。

無難に、ミス無く、それでいい。

大きく息を吸う。

胸に溜めた空気を仰ぐようにして吐き出すと、空に半分ほど欠けた月が見えた。


まずは自己紹介をしてから、ほぼ無意識に口をついて出たのが、みんなに向けてのお礼の言葉だった。

思考が追い付かずに戸惑ったが、挨拶なんてお礼から始まり、最後はお礼で締め括るものだから問題ない。

大丈夫だ、形通りの挨拶から逸脱はしていない。

そこから、全日制の生徒会、名前は出さなかったけれど、日程の変更や説得で走り回ってくれた安川さん、そして先生達へのお礼へと続いた。

多少、口ごもりながら、辿々しく、でも誠意を込めて。

駄目だ、このままではお礼だけで終わってしまう。

いくら挨拶がお礼に始まりお礼に終わると言っても、お礼だけでいいわけが無い。

やや焦りながら次の言葉を探したとき、グラウンドの端の方に、緒方さん達の笑顔が見えた。

そうだ、職場の人達にもお礼を言わなきゃ。

予想外に多くの職場から、沢山の人達が来てくれている。

殆どは上司であったり先輩であったりするから、ちょっと遠慮が出たり照れ臭かったり、堅苦しくなったりした生徒もいるだろう。

でも、ここに来てくれたということは、働く僕らを労い、学ぶ僕達を応援してくれているということだ。

あなた達のお陰で、僕らは学校を楽しみ、勉学に励めるのだと伝える。

ついでに職場の宣伝をしておくべきかも知れない。

みなさんが、免許を取って車を所有したら是非うちの整備工場へ、なんてことを話すと、少し笑いが生まれた。

調子に乗って、美紗ちゃんの美容院や、他の生徒の職場も紹介してしまう。

場合によっては割引も出来るし、定時制の生徒と仲良くするとお得ですよ、なんて冗談めかして付け加える。

また笑いが起こる。

誰かと知り合うきっかけなんてそれでいい。

だけど、人と繋がるということは、損得勘定では計れないものだと強く思う。

沢山の人と知り合うことで、誰かの役に立てたり、誰かに助けられたり、誰かを好きになったりして、大切なものを見つけて、そうやって僕らは、少しずつ強くなって──

そんな話をしていたとき、志保のお姉さんの姿が目に入った。

生徒会役員は朝礼台の後ろに集まっているから、お姉さんは一人で立ってこちらを見ていた。

僕は、強くなれただろうか。

「……この、合同文化祭をしようと思ったきっかけは、一人の全日制の女生徒と出会ったことでした」

僕は、何を話すつもりなんだろう?

「仕事にはやりがいがあって、少しずつ技術と知識を身に付けて、ある程度のことは一人でこなせるようになったとき、自負心や誇りみたいなものが自分の中に芽生えました」

みんな黙って聞いている。

静かで、グラウンドのどこか片隅から、か細くコオロギの鳴き声が聞こえてきた。

「なのに、彼女と知り合ってから、僕は自分を卑下してしまうようになりました」

君は眩しくて、僕は目を伏せずにはいられなかった。

昼の太陽を浴びる君と、夜に紛れて息をひそめる僕の間に、途方もない距離を感じた。

「汗と油にまみれて働きながら、僕はどこかで、明るい校舎で将来の夢を描いて学び、駆け回り、笑い合う人達を羨んでいました」

引け目と劣等感と羨望。

僕は自分の手のひらを見た。

「爪の間や、指紋や手の皺にこびり付いた油は簡単に落ちなくて、この汚れた手では彼女に触れることも叶わないな、なんて思いもしました」

心のどこかでは判っていた。

こんな風に自分を卑下することは、自分を育ててくれた祖母や、職場の先輩達をも貶めることになるのだと。

「けれど、彼女はこの手を見て事も無げに言ったんです」

今でも耳に残っている。

いつだってそれは、鮮やかに甦る。

「勲章でしょ、と」

その一言が、どれだけ僕を救ってくれたことか。

その言葉が、僕に誇りを思い出させてくれて、僕は周りの人を貶めずに済んだのだ。

知らないことは、誤解や軋轢を生む。

知ることで理解を深め、お互いを尊重したり切磋琢磨したり出来る。

同じ学び舎にいながら、全く違う環境にいる僕達が、擦れ違うだけでいるのは大きな損失であり、視野も可能性も狭めている。

いや、何より、親しくなった方が優しくなれるではないか。

……綺麗事だろうか。

そもそもが、合同文化祭は彼女と会うための方便だった筈。

でも──

「この文化祭をきっかけに、昼と夜のあいだの壁が無くなるものと信じています」

心からそう思った。

君と僕のあいだが、そうであるように。

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