第25話

文化祭の翌日に生徒会の打ち上げみたいなものがあって、それに僕も呼ばれた。

でも、生徒会を引退する三年生の送別会的な色合いが強く、定時制から唯一参加した僕はちょっと場違いな感じになってしまった。

思い出話や苦労話に花が咲き、よく判らないネタで盛り上がったりする。

時おり彼女が僕を気遣って視線をこちらに向け、宮ちゃんが話題を振ってくれたりもするけれど、僕としては普段の彼女の姿が見られるだけで楽しかった。

打ち上げの終了間際には涙ぐむ女子もいて、彼女が生徒会の下級生から慕われていることもよく判った。

彼女は常に真っ直ぐで、常に真正面から他の生徒達と向き合い、そして常に、高潔だったのだろう。


そしてまた、机の上のやり取りだけの日々になる。

『朝礼台に立つミヤに見とれてた』

ぷんすか怒った顔文字みたいな絵が付いている。

常に高潔、なんて思った次の日のことだから、つい笑ってしまう。

宮ちゃんを凄い人だと思ったのは確かだが、見とれてはいない筈。

『全日制の女の子に挨拶されて鼻の下伸ばしてた』

文化祭で、終わりの挨拶というか演説みたいなものをしてから、見知らぬ全日制の生徒に声を掛けられることが増えた。

何故か女子の方が多くて、でも決して鼻の下は伸ばしてないと思うけれど。

猫が男の子の顔を引っ掻いている絵があって、それが可愛らしくも恐ろしい。

彼女は高潔だけど、時々、こんな風に普通の女の子になる。

或いはもしかしたら、常に普通の女の子なのかも知れない。

『文化祭のとき、夜の校舎を歩くのが楽しかった』

僕にとっては当たり前のことでも、彼女にとってそれは、胸の弾むようなことなのだろう。

『夜にこの席に座ってみたら、教室が違う風景に見えた』

そんなことを書かれたら、まるで僕の視点に寄り添おうとしてくれたみたいで、嬉しいような切ないような気持ちになる。

『寝坊したので腹ペコ』

可愛いと思ってしまう。

『キスした。ぬいぐるみと』

ちょっと腹が立つ。

『姉とケンカした。今月三回目』

心配になる。

『寒いから風邪をひかないで』

愛おしくなる。

でも、ゆったりと胸に満ちていく喜びがあるばかりで、以前のような焦燥感みたいなものは無い。

文化祭以降も彼女のお姉さんに変化は無く、毎日の送り迎えも続いている。

だから、変わったのは僕達の方なのだろう。


仕事中に外を見ると、雪がちらついていた。

今頃、彼女は机に雪だるまの絵を描いているに違いない。

雪が強くなって、道路まで白く染まり出した頃、工場の前に一台の車が停まった。

見覚えのある車だけど、ありふれた車種でもある。

雪が積もったので、冬タイヤへの交換依頼に来たお客さんだろうか。

「翔太」

対応に出た緒方さんが戻ってきて僕を呼ぶ。

「顔を洗ってから、いや、やっぱりそのままでいい」

いつかと同じようなことを言われて外を見ると、車の前に彼女のお姉さんが立っていた。

飾る必要は無いし、ありのままを見てもらえということなのかも知れない。

僕は軍手を外してお姉さんの前に立ち、頭を下げて挨拶を──

「オイル交換を」

遮るように言われる。

口調も声色も違うのに、夏の日差しの中で彼女が言った、オイル交換一丁というセリフを思い出す。

「判りました、では中へ入ってお待ちください」

「ここで見ていてもいいのでしょう?」

「え? あ、はい」

お姉さんの吐く息は白い。

居心地の悪さを感じながらも、普段通りに手慣れた作業を進めていく。

抜いたオイルは、汚れが目立たず綺麗なものだった。

ドアを開けてオイル交換シールを確認すると、前回の交換からまだ五百キロも走っていない。

「あの、これ──」

「私、雪道の運転が苦手なの」

タイヤはスタッドレスだった。

お姉さんの方を見ると、目を逸らされた。

その横顔は、やっぱり彼女にとてもよく似ていた。

「特に学校前の坂道が無理なの。だから冬の間、あの子の送り迎えはしないわ」

べつにここは雪国というわけじゃない。

坂道には凍結防止剤も撒かれる。

何故か、オイルを注ぐ僕の手が震えた。

零さないように細心の注意を払いながら、僕はその琥珀色の液体を注いだ。

オイルキャップを締めてエンジンをかける。

かかりはいいし異音もしない。

外では雪が降りしきっていた。

お姉さんは雪を見ていた。

その目は、いつかと違ってどこか清々しく澄んでいた。

オイル漏れも無いし、タイヤの空気圧も冷却水もブレーキフルードも正常範囲内。

ベルトのたわみ、ワイパーのゴム、ランプ類、全てオッケー。

エンジンを切ってオイルレベルゲージを確認し、最後にオイル交換シールに現在の走行距離と、次回交換時期の距離を記入する。

かじかんでいるわけでも無いのに指先の動きはままならず、不格好に文字は乱れた。

ドアを開いてシールを貼り付け、作業が完了する。

「お疲れ様。ありがとう」

背中にかけられた声は、輪郭のあるはっきりしたものだった。

まるで、彼女が言ったみたいに。

僕はそれに返事ができず、ただ振り返って頭を下げることしかできなかった。

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