第10話

僕がバイクを押して、二人で近所の公園に移動した。

東屋も無い、ブランコと滑り台があるだけの小さな公園だ。

ただ、不釣り合いなほど大きな楠があって、その下に涼しげな木陰を作っている。

木陰にはベンチが二つあるけれど、それぞれ小さくてちょうど二人がけの長さしかない。

離れたベンチに座るのもおかしいし、かといって普通に座ると肩が触れ合う近さになる。

だからぎりぎり端っこ、だと逆に失礼な気もするので、中途半端な端っこの方に腰掛ける。

彼女もそれは同じで、微妙な距離がある。

教室では、いつも同じ席に座っている二人。

決して重ならないけど距離はゼロだ。

時間を隔てて同じ場所に座る二人が、今は同じ時間を共有して微妙な距離で座っている。

それでもその距離が、今まででいちばん近くに感じる二人の距離だ。

そのことが何だか不思議に思えて、何だかやっぱり胸が苦しくなる。

「いい人達ね」

彼女は楠を見上げてそう言った。

休憩時間、僕はここで祖母の作ってくれたお弁当を食べることがよくある。

缶コーヒーを飲んでボーっとすることもある。

そんなお気に入りの場所ではあるけれど、もっと涼しい、或いはもっとお洒落なところがいいのではと思って彼女を見る。

……とても綺麗な、彼女の横顔。

蝉時雨の中で、彼女は気持ち良さそうに目を細めていた。

「初めて働いた場所が、あそこで良かったって思ってる」

彼女が頷く。

正直、給料はそんなに多くはない。

肉体労働だし汚れ仕事だし神経も使う。

でも、もっと楽な仕事でも、人に恵まれなければ僕は続かなかっただろう。

仕事だけじゃなく、学校だって彼らの応援が無ければ続かなかった。

そんなことを彼女に話す。

「私も、あなたが励みだったの」

「え?」

「ほら、私って敵を作りやすいタイプでしょう?」

僕が彼女を知ったのは最近のことで、それほど深く知っているわけではない。

それでも判るのは、彼女は真っ直ぐな人で、言いたいことはハッキリ言って、男子や年上にも突っ掛かっていくような向こう見ずなところがあって、そして、狡いくらいに綺麗だということ。

……うん、敵を作りやすいな。

「ちょっと!」

「な、何?」

「少しくらい否定してくれてもいいじゃない!」

怒った顔も、憎たらしいくらいに綺麗だ。

だから僕は上手く説明できなくて、ドキドキしながら曖昧な笑みしか浮かべられないけれど、たぶん君の敵になる人は、僕にとっても嫌な人なんだと思う。

「まあいいわ。少なくともあなたは私の味方みたいだし」

それは間違いない。

君の敵は僕の敵だ、などと言ってしまいたいくらいだ。

「とにかく、中学のときの私は、色んな人の反感を買っちゃって、その……うん、端的に言えば孤立しちゃってたの」

言い淀んだのは、君にとって辛いことだったからなのだろう。

それでも君はきっと、自分を見失わずに真っ直ぐ立っていたのだろう。

「ある日、私より少し年上の、でも一人前に働くには、まだ幼さの残る男の子を見掛けたの」

頭上を覆う楠の葉を見上げていた彼女は、そこで僕を見た。

「来る日も来る日も、あなたは油まみれになって働いていた。私が怒りで爆発しそうになっていた帰り道も、寂しくて口惜しくて泣きそうになった帰り道も、あなたはいつも、黙々と働いていた」

少し、自分が腹立たしい。

僕のすぐ近くで、彼女は色んなものと戦っていたんだ。

「働いているあなたに、頑張ってくださいって言いそうになったことがあって、でも、頑張っている人に頑張って、なんて烏滸がましいっていうか、だったら自分が頑張れよって思って、そう思ったら、何だか力が湧いてきて本当に頑張れたの」

僕は何もしてないし、君が頑張れたのは君の強さなのに。

「なのに!」

な、何?

「頑張って中学を卒業して、高校ではそれなりに人間関係も上手くいって」

「う、うん」

「お礼が言いたくて、通学路は変わっちゃったけど学校帰りに何度か立ち寄って、でもあなたはいなくて……辞めちゃったのかと思って……」

彼女の高校入学と同時に、僕も高校に入学している。

彼女の下校時間は、僕の登校時間だ。

もしかしたら何度か擦れ違っているかも知れないけれど、いつもと違う場所で、作業服じゃなくて私服で、油で汚れていない顔の僕に、彼女が気付けなかったとしてもおかしくは無い。

「昼間も来たことがあったけど、あなたはいなかった」

詰る口調で言うけれど、たまたま事務所で伝票でも書いていたか、僕の休日だったのでは……。

「とにかく! あの日、忘れ物を取りに教室に戻った日の、あの時の私の気持ちが判る?」

いつの間にか彼女は肩が触れそうな距離にいて、その瞳には僕がはっきりと映っていた。

「同じ席よ? 私の席に、あなたが座っていたのよ?」

その勢いに気圧される。

でも、奇跡みたいだ。

「私、年上にはちゃんと敬語を使える」

「は?」

「あの人がいるあの人がいるあの人がいる、どうしようどうしようどうしよう」

「えっと?」

「ありがとうって言いたかったのに、生意気な態度を取ってごめんなさい」

生意気どころか、それが僕にとってどれだけ魅力的だったことか。

「遅くなったけど言うね……ありがとう」

……ああ。

言葉に出来ない感情が溢れる。

僕は、幸せがいっぱいで、それでもやっぱり胸が苦しくなって、そして、狂おしいほどに君が好きなんだと思った。

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