第18話

彼女の唇の動きに、僕は動揺した。

もしかして窓の外には『月』が出ているのかと思ったが、彼女の位置から空は見えそうにない。

或いは『浮き』では?

いや、脈絡が無さすぎる。

昼のお弁当に『フキ』が入っていたのだろうか。

僕の祖母は弁当に入れることはあるけど、女子高生だと珍しいのではないか。

だからって、この場でそれを伝える意味は無いし、などとバカなことを考える。

彼女は再び唇を動かした。

あ、り、が、と。

嬉しさを噛み締めるように、最後は俯いて笑みを隠した。

それは、さっきの言葉が『好き』であることを確信させる仕草だった。

自由に話せるわけでもない、傍に寄り添えるわけでもない。

僕はただ、会議の場を設けただけだ。

彼女の嬉しそうな表情も、僕に向けられたひたむきな視線も、僕を夢見心地にさせるけれど、まだ何も成し遂げていない。

そう思って、僕は緩みそうになる気を引き締めた。


それぞれが簡単に自己紹介を済ませた後、生徒会長が僕の要望を議題として説明する。

僕からは、日程は定時制が全日制に合わせること、全日制の手間が増えるようなことは殆ど無いこと、定時制の出し物についてを説明した。

周りの反応は冷ややかで、興味も無さそうだった。

特に受験や卒業を控えた三年生にとっては、面倒そうなことは避けたいし、無難にやり過ごしたいのだろう。

「定時制と合同で文化祭をすることに、何かメリットはありますか?」

生徒会長の柔和な表情と、その口調に齟齬が生まれる。

あくまで事務的に、聞きようによっては酷く冷たく感じられる声だった。

「同じ学校に通う生徒同士が、それぞれ違う環境で過ごす中で、お互いが理解を深めるきっかけになれば」

「学校の長い歴史の中で、そのような交流は持たれませんでしたが、それによる不都合は耳にしたことがありませんが?」

「不都合は無かったかも知れません。でも、高校生が働いている人間と接することで得られるものは、決して小さくないと考えます」

僕は口下手だ。

正直、緊張して上手く話せているかも判らない。

会長の言葉を吟味する余裕も無い。

「働くということの大切さは否定しませんが、もっと身近なところに親という存在があります。誰もが親の稼いだお金によって育てられてきたわけで、勤労の尊さは親に教わればいいのでは?」

「親の背中を見て学ぶことは沢山あるでしょうけど、年齢の近い僕達が、学校行事や日常の会話の中で触れて知ることには、また違った学びがあると思います」

「失礼ですが、あなたの年齢と職業をお教え願えますか」

会長の発言に、彼女が顔つきが少し険しくなった。

「二十歳、自動車整備工です」

僕は目で彼女を制してそう答える。

「では、あなたのその経験に基づく、我々にとって有意義であろう話をお聞かせください」

随分と意地悪な言い方だ。

「ちょっとミヤ!」

彼女が気色ばみ、我慢できずに声を上げた。

わからず屋、と彼女が評した生徒会長は、さっきの自己紹介で宮永と名乗っていた。

けれど、彼女がその宮永さんをミヤと呼ぶからには、それなりには親しいのだろう。

敵を作ってしまいがちな彼女に、僕が原因で敵を増やすなんてことはあってほしくない。

いや、あってはならない。

僕は笑うのは苦手だけど、何でもないことだよと言うように笑みを浮かべた。

クラスメート、職場、そして彼女との関わりが、僕を笑顔にさせる。

僕の周りに、僕に向けられた笑顔が数えきれないほどある。

いつしか、苦手だったものが容易いことに変わっていた。

有意義になるかどうかは判らないけれど、僕は自身の経験を、ゆっくりと話し出した。

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