第13話
「あなた、石上君?」
お姉さんは、彼女にとてもよく似ていた。
けれど、あの曇りの無い真っ直ぐな瞳は、値踏みするように濁っていたし、輪郭のある華やかで強い口調は、曖昧で色の無いものだった。
「はい。僕は──」
戸惑いながらも頭を下げて挨拶しようとすると、お姉さんはそれを遮るように言った。
「あの子はね、世間知らずな子供なのよ」
脈絡も無く、何の話をするつもりなのかも判らない。
ただ、良くない話になるんだろうなということだけは判った。
「あなたは大人でしょう?」
二十歳は大人なのだろうか。
もう五年近く働いているし、まだ高校生だなんて言い訳は出来ないだろうけど。
「だから、もうあの子とは会わないでほしいの」
だから……?
何が「だから」なのだろう?
窺うように見たお姉さんの顔には、愛想笑いどころか苦笑にしろ嘲笑にしろ、凡そ笑顔と呼べる要素が全く無かった。
その拒絶しか無い表情に、僕は少し圧倒される。
ここで、はい判りましたと答えられるのが、お姉さんの言う大人なのだろうか。
「身内が言うのも何だけど、あの子は頭が良くて、可能性に満ちてるでしょう?」
お姉さんは、汚いものでも見るように周囲を見回す。
なるほど、確かに登校してくる生徒達を見れば、髪を染めていたり、タバコを吸っていたりして、未来への可能性なんてものは感じないかも知れない。
でも、いま校門をくぐったクジラちゃんと呼ばれてる生徒は、誰よりも気配りが出来る優しい子だ。
坂道を上ってくるヤクザみたいな見た目の安川さんは、クラスでいちばん年上で、馴染めない子を笑わせたり、仕事で休みがちになった子を励ましたりする。
ほら、いま僕に頭を下げたくれた南野さんは、身体が弱くて全日制に行けなかったけど、頭が良くて、自分のペースでしっかりと学んでいる。
定時制というだけで見下されるのは許しがたい。
でも、僕が彼女に相応しくないというのは確かだろう。
辛うじて反論できるとすれば、
「僕らは付き合っているわけじゃありません」
それくらいだ。
だから、彼女の将来を邪魔するつもりは無いし、彼女の経歴に傷を付ける気もない。
寧ろ、彼女を応援して、彼女が羽ばたく手伝いが出来たなら、なんて思う。
「付き合ってないなら、会わなくても構わないわよね?」
「友人として」
僕は食い下がった。
この気持ちが成就しないのだとしても、僕はせめて、彼女の傍で彼女を応援したかった。
「私もここの卒業生だから判るけど、正直に言って定時制にいい印象は無いの。あなた個人はどうあれ、あの子には定時制と関わってほしくないのよ。判るでしょう?」
「僕のクラスメートは、みんないい人です。イメージだけで語らないでください」
あからさまな溜め息。
「あのね、あなた自身も気付いてるでしょうけど、あの子はあなたに惹かれてるでしょう? 大事な時期なのに勉強の邪魔でしょう? これ以上、あなたのことばかり考えるようになったら困るの」
「え?」
彼女が、僕のことばかり……。
「ぼ、僕は──」
「あなたの気持ちはどうでもいいの。あの子に影響を与えてほしくないだけよ」
それは、なんて残酷な要望だろう。
そんなことなら、彼女の気持ちを曖昧なまま誤魔化せる方が良かった。
「今後、あの子の送り迎えは私がします。携帯の連絡先も変えたし、あなたのデータは削除させてもらいました。後は……そうね、学校で擦れ違うようなことがあったら、挨拶くらいは構わないけど」
「それはあなたが決めることじゃ──」
「私が決めるわ」
何も言えない。
言ったところで、この人を激昂させてしまうだけだろう。
何か手段があるだろうか。
それとも、彼女との縁を切った方がいいのだろうか。
「じゃ、今までありがとう」
気持ちの無いお礼を残して、お姉さんは傍に停めてあった車に乗り込む。
それを見て、あ、お姉さんは原付だけじゃなくて車にも乗るんだ、なんてどうでもいいことを──
っ!!
その瞬間、彼女が炎天下に原付を押してきたことを思い出した。
夏の日差しとオイルの匂い。
楠の木陰と蝉の鳴き声。
君は汗みずくで、誰よりも輝いていて、そして僕は、誰よりも幸せだった。
──くそっ!
僕は唇を噛んだ。
ただ悔しく悔しくて仕方なかった。
あんなに眩しい笑顔を、あんなにも愛しい時間を、僕は他に知らない。
他人からはよくおとなしいと言われ、喜怒哀楽に乏しいと言われ、温厚であることが取り柄みたいに言われる僕に、こんなにも悔しいという思いが生まれ、怒りや、やるせなさや、苦しみが生まれ、自身が戸惑うくらいの激しい感情に翻弄されて──それでも尚、それらを遥かに凌駕する想いがこの僕の中にあるのだと気付く。
僕は、その大きさを知って途方に暮れた。
……僕は、こんなにも君が好きだった。
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