第12話

夏休みが終わって何か変化があったとすれば、それは登校時のことだろうか。

校門前に必ず彼女が待っていて、十分か十五分ほどの立ち話をする。

もう少し早く来て彼女と話す時間を増やしたかったけど、仕事の都合でそうもいかない。

ただ、連絡先は交換したから会う以外にも日々のやり取りはある。

それは、人によってはままごとみたいな恋愛ごっこに見えたかも知れないけれど、僕自身は会う度に心が躍って、彼女の話す言葉の一つ一つすら愛おしく思えた。


たった十分程度の立ち話でも、好奇の視線は注がれる。

場所を変えようと提案したこともあったけれど、彼女は「ここでいい」と言って譲らなかった。

それは、ある種の意地のようにも見えて、「定時制の生徒なんかと」という冷笑を含んだ噂話に対する、彼女らしい意思表示だったかも知れない。

勿論、好奇の視線とは別に、二人の仲を応援してくれる人もいただろうし、特に僕の周りには、からかいはあっても温かさが感じられるものだった。

でも、そもそも僕らは、お互いに付き合おうという話をしたことは無かった。

彼女が高校生であることを思えば、僕にとってそれは憚られたのだ。

たった二歳しか違わないのに偉そうなことを言うつもりは無い。

ただ、一足先に社会に出た人間として、彼女の優秀な成績も、美しい容姿も、真っ直ぐな人柄も、その可能性の広がりを考えずにはいられない。

僕はまだ中卒という立場だし、定時制高校は四年制だ。

僕が卒業する頃には彼女は既に大学生になっている。

差は縮まらない。

せめて整備士二級の免許を取るまでは、僕は気持ちを伝えてはいけないような気がする。

だから僕は、彼女は感謝の意を伝えてくれただけで恋愛感情を表したわけではないと、何度も自分に言い聞かせた。

それが、正しい選択なのかは判らないけれど。


学校では相変わらず机の上のやり取りが続いていた。

スマホでメッセージを交わせても、リアルタイムでは届かない、履歴も残らない言葉の方に、より意味があるように思えることもあった。

例えば、ある雨の日。

机には漫画チックな猫の絵が描かれていた。

地面にちょこんと座ったそれは、恐らく彼女自身を表している。

彼女の勝ち気な目は猫を思わせるし、奔放なところも、その仕草も猫っぽいところがあった。

外と同じく、その絵の中では雨が降っているようで、猫には傘が立て掛けられていた。

まるで雨に濡れていた野良猫に、誰かが傘を差して置いていったみたいな絵だ。

傘に、『翔太』と書かれているから、傘は僕を表しているのだろうか。

単なる思い付きで描いたのか、それとも何か伝えたいことがあるのか、授業中、僕は頭を悩ませることになる。

またある日には、『イスがヤバい』と書かれていて、僕はイスのガタつきや、脚や座面を調べることになる。

それに対して返事を書いても、明確な答が返ってくるわけでもなく、スマホで訊いてもはぐらかされる。

他愛の無い遊び、と割り切れないから性質が悪い。

でも、そんな日々が楽しかった。


十月に入って最初の日、校門前に彼女の姿が無かった。

制服が冬服に変わったその日は、校門前がグレーの地味な色合いで染まるせいか、いつもより寂しい風景に見えた。

定時制は基本的に服は自由で、大半の生徒は私服だ。

制服でもいいけれど、中には四十代の生徒もいるから、制服を強制するのは酷だろう。

だから制服姿の生徒達を見ると、如何にも高校生だなあと思ったし、私服姿の僕らは、やっぱり彼らとは違うのだと思ったりした。

高校生だけど高校生じゃない。

彼女と同じ学校に通うけれど、彼女と同じじゃない。

そんな風に思ってしまうのだ。


校門前にいた生徒達が、少しずつ減っていく。

彼女が現れないことに不安が募る頃、僕に近付いてくる一人の女性がいた。

歩き方、姿勢、僕を見据える視線。

僕は一目見て、その人が彼女のお姉さんであることに気付いた。

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