第29話

そういえば、最近は自分を卑下することが減った。

何となく義務感や惰性もあったのに、素直に学校が楽しいと思えるような。

いつの間にか、苦手だった人付き合いが平気になって、気付けば自分のことより他人のことを考えてる時間が増えていたり。

仕事に遣り甲斐が出てきたし、目標なんかも出来たり。

以前より祖母が笑うようになったのは、僕が笑うことが増えたからだろうか。

車を洗う回数が増えたのは何故だろう。

身の回りの物を、前より大事にしている気がする。

……ああ、そうか。

それって、つまり、僕の中に大切なものがいっぱいになったんだ。


高い天井を見上げ、ひんやりとした空気を肌に感じる。

君がこの場所に立つのは今日が最後で、この顔ぶれが全て揃うのも今日が最後だろう。

卒業証書が授与される間、君はずっと舞台に目を向けていた。

まるで、一人一人の姿を目に焼き付けようとするかのように、身じろぎもせず、真っ直ぐに背筋を伸ばし、意思が強そうでひたむきな視線を動かさなかった。


卒業式で僕が読み上げる送辞は、無難で当たり障りの無いものにした。

僕が彼らと触れ合ったのは最後の文化祭くらいで、その意義は大きかったとは思うものの、彼らが積み上げた三年間に比べれば微々たるものだ。

その邪魔をしないよう、短く簡潔に。

対して、卒業生代表である宮ちゃんの答辞は、彼女らしく理路整然としたものでもなく、文化祭の時に見せた破天荒なものでもなかった。

いや、ある意味それは、宮ちゃんらしいと言えるのかも知れない。

僕は宮ちゃんのことをそれほど詳しく知っているわけでは無いけれど、ずっと自分を律して三年間頑張ってきたであろうことは彼女からも聞いて知っている。

高校生活最後の日に、張り詰めていた糸が切れるみたいに、伝えきれない想いや言葉が、全てが込み上げる涙となって溢れてしまったのは、宮ちゃんだからこそ、という気もした。

だから、言葉にならない嗚咽は、言葉以上にみんなに伝わったに違いない。

何より、頑張れ、なんて声援が飛び交う卒業式は、胸がいっぱいになるほど素敵なことだと思う。


式が終わって、僕は校門前で君を待った。

今日は友達と過ごすだろうけれど、おめでとうの一言くらいは言っておきたい。

ただまあ、君が友人達と一緒にいるところでそれを言うのは、ちょっと面映ゆいけれど。

「翔太くん」

元気な声が僕を呼んだ。

校門前で二人で話しているところは彼女の友人達に何度も見られているし、今さら恥ずかしがることでも無い──

……は?

面映ゆいなんて悠長なことを言っている場合では無かった。

何の心構えもしていない僕に、彼女は満面の笑みで両親を紹介した。

お父さんの厳しい視線とお母さんの人懐っこい笑顔。

僕は送辞よりも緊張して、どう対応していいか戸惑いながら、ぎこちなく不器用な挨拶をした。

「志保とどういう──」

「彼氏」

君は躊躇いも無くそう言って、お父さんの顔を更に厳しくさせる。

「あらあら、今度うちに遊びにいらっしゃい」

お母さんの方は、更に笑顔を深くした。

両極端でありながらも、そのどちらもが深い愛情に裏打ちされた反応であることが判って、僕は何故か、自分のことのように嬉しくなった。

いつか僕も、祖母に彼女を紹介するだろう。

そのとき祖母は、いったいどんな顔をするだろう。

感情表現が少し苦手で、あまり我儘も言わない代わりに子供らしい無邪気な喜びも表さなかった僕が、誰かを愛し、誰かに愛された。

それは、あなたが孫であり息子である僕に、今まで計り知れないほどの愛情を注いできたからに他ならない。


君が卒業式の日に書いた最後のメッセージは、『ありがとう』の一言だった。

僕なら長々と書きたいことを連ねてしまいそうだけど、君はその一言に全てを込めたのだろう。

まだ誰も来ていない夕暮れ時の教室で、僕は消ゴムでその文字を消した。

片言の交換日記は終わってしまったけれど、ありがとうも、好きも、喜びや悲しみも全部、僕らは声で伝え合えるのだ。

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