第15話

僕は意味もなく周りを見回した。

その声が彼女のものであり、その声が電話から聞こえてくるものであることは判りきっているのに、そうせずにはいられなかった。

「どうして僕の番号を?」

彼女の手元に僕の情報は残されていない筈。

「あなたの電話番号なら私の頭に……嘘ですごめんなさい。生徒会副会長の立場を使って、定時制に提案したいことがあるから定時制の生徒会長の連絡先を教えてくださいって先生に言ったら、全く疑いもせずいとも簡単に教えてくれたの」

「……」

「あの、職権濫用?」

彼女の言葉は、いつもハッキリと輪郭を持っているのに、まるで叱られる前の子供みたいな口調になる。

それが可笑しくて、僕はつい吹き出してしまった。

「ちょ、ちょっと、どうして笑うの! 大体あなたは……ちょっと、冷たいと……」

「うん、ごめん」

「机に連絡先を書いてくれてもいいじゃない」

「うん、そうだよね」

「生徒会長の立場を悪用してくれてもいいじゃない」

「うん、これからはそうする」

「私は何度も生徒会副会長の立場を利用して定時制との交流を画策したのに、あのわからず屋の生徒会長め……」

「うん、ごめん」

「あ、違、これはあなたのことじゃなくて全日制の生徒会長のことで」

「うん……でも」

「もう、またうんばっかり」

「うん、ごめん」

「……先日、あなたの職場まで行ったの」

「え?」

「監視はされてるけど監禁されてるわけじゃないし、昔みたいにちょっと覗き見て……って、ストーカーじゃないわよ?」

「どうして声を掛けてくれなかったの?」

「だって、仕事の邪魔しちゃいけないし、それに、会って話したら甘えちゃいそうだし、会ったら……また会いたくなるから」

胸が疼いた。

「不自由だけど、自由を求めたらきりが無くなって、より不自由になっちゃうから、今は我慢、だよね」

今は……じゃあ、いつまで?

彼女が受験を終えたら? 僕が整備士試験に受かったら?

今この瞬間も会いたいと口に出さず、やっと漏らした我儘が、机の上の『あいたい』の文字?

そんなささやかなことすら僕は──

「……ごめんね」

「何で君が?」

「私のせいなのに」

また、彼女に謝らせてしまった。

僕は、もう二度と彼女に謝らせたくなんて無いと思ってたんじゃないのか?

そう思って、校外に出ようとしていた足を止め、踵を返して校舎に向かう。

「ねえ、いま教室でしょう?」

「いや」

「え? もうすぐ授業が始まるでしょう? まさか、私が机にあんな我儘を書いたから──」

「我儘なんかじゃないよ」

「でも」

「嬉しかった」

「じゃあ、ちゃんと教室に戻ってよ?」

「大丈夫。職員室に向かってる最中だから」

「職員室って、どうして?」

「大丈夫。担任の先生は、すごく理解ある人なんだ」

「ちょっと、意味が解るように話して?」

「今日は無理だけど、必ず会いに行くから待ってて」

「え? それってどういう……」

「大丈夫。待ってて」

彼女の微かな息遣いが聞こえてきて、その向こうに戸惑いを打ち消す気配がした。

「……うん、待ってる」

僕は我慢強くなんてないけれど、彼女は聡明な子だ。

「また、机に書くよ」

「うん」

「じゃあ」

「あ、あと、定時制の人達にお礼を言っておいて」

「え?」

「それから、無理はしないで。また──」

最後は慌ただしく電話が切れた。

お姉さんが近くに来たのかも知れない。


職員室の前まで来た。

彼女が最後に言った言葉の意味は判らないけど、僕がすべきことは決まっている。

「失礼します」

一礼して職員室の奥へ進む。

担任の高中先生は、ちょうど教材を持って立ち上がるところだった。

「おい石上、もう授業が始まるのに何して──」

「先生、お願いがあります!」

他の先生も振り向くくらい大きな声が出た。

彼女に会いたい。

僕は、水瀬志保に恋してる。

職権濫用でも悪用でも何でもいい。

大きな声で叫びたいくらいに、僕は彼女に会いたいんだ。

「先生、今度の文化祭、全日制と合同でやらせてください!」

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