第8章 守ること - 1 

 静まり返った室内で、スオウは物々しい血の臭いを感じ取る。

 見ればやたらと凝った装飾の鉄扉が視線の先で聳えていた。

 おそらく今いる場所が長大な工場施設の最奥なのだろう。後から施されたと思われる不気味な改修と、何より鉄扉から漏れる血の臭いがその推測を事実だと物語る。

 スオウは身体を引き摺りながら鉄扉へと向かう。劉玄の実力に相当な信頼を置いているのか、扉に施錠されてはいなかったが、手負いのスオウが一人で押し開けるには多少無理のある大きさだ。スオウは〈アウストラリス〉を撓らせて扉を切り裂き、足蹴にして破壊。大音声を引き連れて中へと踏み込んだ。


「何者だァッ!」


 鋭い怒号が響き、銃弾が飛んでくる。スオウは広げた〈アウストラリス〉で防御。だが既に限界ギリギリの熱を孕んだ〈アウストラリス〉は制御が効かず、不十分な盾を抜けてきた銃弾がスオウの頬を浅く裂いた。スオウは〈アウストラリス〉の変化を解き、銃弾の出所へとゆっくり視線を向けた。

 上等なスーツに恰幅のいい身体を包んだ初老の男三人に守られるように、スオウを睨む青年の姿があった。

 撫で付けた銀髪に三白眼。頬には獣の爪のような刺青が彫られている。身体は小さくないが線が細く、肩幅もないせいで頼りなさげに見えた。

 劉玄が命を賭してまで愚直に守ろうとしていた主――ルディス・フィーダその人である。


「クソっ! リュウゲンの野郎は勝手に飛び出していったと思えば、何してやがんだっ! 落ちぶれたサムライ崩れの東方猿がっ!」


 ルディスが毒づき、三人の側近が拳銃の引き金を引く。今度は〈アウストラリス〉で防がずとも、銃弾はスオウに掠ることさえなかった。


「止めておけ。俺は今、虫の居所が悪い」


 スオウがルディスに向けて一歩踏み出す。刹那、スオウの背後で銃声が響き、複雑に蛇行した銃弾が側近どもの額に穴を空ける。放たれていた四発目の弾丸は無防備になったルディスの頬を掠め、五発目の弾丸が両膝を横から撃ち抜く。ルディスは喉の奥で引き攣った声を漏らし、それから無様に尻もちを突いた。


「久しぶりね、ルディスお坊ちゃま」


 目で確かめずとも、あそこまで複雑に銃弾の軌道を操れる人間は一人しかいない。

 スオウの横にインマオとコブが並ぶ。二人ともボロボロだったが、辛うじて無事だったらしい。


「コブ。拘束して。馬鹿なシノギに手を出したドラ息子には、きちんとハウスの流儀でけじめをつけてもらう」


 コブは頷き、腹から伸びる脚で瞬く間にルディスを捕らえる。手負いと言えど、丸腰のルディスが異見子であるコブに敵う道理はなかった。


「取引は成立ね、アララギ。……それで、これはどういう状況かしら?」


 インマオが頬を引き攣らせて無理矢理に笑う。その意味を理解しているスオウは苦笑を浮かべて視線を前方へと向けた。

 扇状に広がる巨大な空間。壁には先の空間同様の精緻な装飾が施されている。天井はなく、広がる夜闇には一点の赤い月が煌めている。真っ直ぐに伸びる天鵞絨の絨毯に沿って突き立てられたオラティコン鋼の槍には異見子のものと思わしき生首が刺さっている。スオウはそこにウルの首がないことを確認して僅かに安堵する。さらに絨毯の伸びる先には階段にしては高すぎる幾重もの段差があり、その頂きにはステンドグラスを背にした祭壇があった。

 祭壇、と言ってもグーフラシア大陸に広く信仰されるプロンス教のどの宗派のものとも違う。スオウは宗教に明るいわけではないが、プロンス教でないとすればすぐに思いつくのは一つだ。


「そういうカラクリか」


 祭壇に立つ端整な純白の宗教装をまとった男は、ゆっくりと振り返り、スオウを見下ろした。


「また会ったな、アララギ」

「胡散臭い奴だとは思っていたが、まさかここまでとはな。正直、驚いている。説明くらいはしてもらえるんだろうな? ――ジョル・カニング」


 カニングは宗教装のフードを取り、満足気に口元だけを歪める。その目元と鼻筋には儀式時の正装となる赤紫色の化粧が施されていた。


「ふむ、説明。そうだな……私たちの根源的教えである密教スクラマトには、いくつかの宗派が存在している。そして星の数ほどある信仰のなかでも、我がジャイネルク・ボーン派は純粋な信仰のみを是としている。――すなわち現世に顕現せしめた一三柱の至高に対する信心だ」


 一三柱の至高とは、アルロルド階位に基づいた一三匹の甲級〈異貌〉のことを指すのだろう。

 カニングが天を――正確にはそこに煌めく彩月ルナを仰ぎ、スオウのなかで最悪の仮説が確かな現実味を帯びた。


「まさか……」

「そう。この地の西方、ギャレット荒野に眠るとされる〝砂竜〟の降臨! それこそが我らの唯一にして至上の悲願だ!」


 高らかに宣言したカニングが大仰な動作で両腕を大きく横に広げる。

 狂っているとしか思えなかった。甲級の〈異貌〉はまさしく災害そのもの。オラティコンの再生阻害が効かず、理論上倒す術はないとされる。万が一そんなものが呼び起こされれば、プルウィア市はもちろん、スタフティア共和国や隣接するフェルゼ八州連合にまで甚大な被害が及ぶ。


「てめっ、そ、それはどういうつもりだっ! 聞いてた話と全然違えじゃねえかっ!」


 一同が事の重大さに息を呑むなか、誰よりも早くカニングに叫んだのは意外にもコブによって拘束されているルディスだった。


「異見子を一人残らず排除する。そう聞いてたから俺はてめえに協力したんだぞっ!」

「もちろん、約束は守るさ。〝ギャレットの砂竜〟が降臨なされば、異見子は一人残らずいなくなる。無論、いなくなるのは君や私たち普通人も変わらんがね」


 ルディス派閥にとって異見子の完全排除が実現すれば、インマオやコブといった対抗派閥を切り崩すことになる。自らが父親の後を継ぐことに拘る余り、ルディスは騙されていたことにすら気づけなかったのだろう。


「君たちシルバーハウスには本当に感謝している。おかげで計画はほぼ完璧に推移した。異見子を唆してウェルス前市長を爆殺。市民の反異見子感情が高まるなか、市長選へと立候補することで世論を都合よく操作していくことも実に容易かった。市民感情が反異見子へと大きく傾けば、こうして贄となる異見子を集めることも難しくない。警護局も、OBである私が圧力をかければ簡単に異見子の取締りを始めてくれた。……そうそう、マルマロス女史の秘書だった女に〈アイゼンスケイル〉とかいう半グレどもを嗾けたのは、予定にはなかったがなかなかに面白い催しだったよ。事実、あの討論会で異見子排除の気運は勢いを増した。まあ、抱えていた解体屋を使ったのは足がつく愚策だったと思うが」

「トゥマーンを巻き込んだのも貴様か」

「おいおい、話を聞いていたか? アララギ。あの秘書を巻き込んだのはそこにいる馬鹿息子だと言ったんだ」

「てめえっ!」


 スオウは低く駆け出し、インマオは二丁拳銃を構える。だがスオウはすぐに急停止し、インマオも引き金を引くことはできなかった。カニングが祭壇の中央から脇に身を引いたことによって、影になって隠れていたウルの姿が露わになったからだ。

 ウルは磔にされて気を失っている。距離があるので確かではないが、外傷はなく、息もしている。まだ殺されてはいなかった。


「アララギ、君が異見子を囲っていたことは調べればすぐに分かった。マルマロス女史の護衛についていたと知ったときは驚いたが、おかげで予定を少し変更して面白い演出も用意することができた。どうだね、アララギ。己の無力が原因で、また周囲の人間が死んでいくのを眺めるのは」

「カニングゥッ!」

「叫んだところで無駄だ。この異見子の血の流す血によって儀式は完遂され、〝砂竜〟がこの地に降臨する。君たちの死はおよそ確定事項であり、遅いか早いかの違いしかない」


 カニングは言って足元を見やる。その視線を追って高い祭壇を見やれば、薄っすらと透けて見える祭壇のなかに大量の異見子の死体が閉じ込められているのが見て取れた。全て殺したのだ。時間を掛けて異見子を攫い、身勝手な信仰のための贄とした。

 だが悪はカニングだけではない。街から消える異見子を気にも留めなかった、あるいは歓迎さえしてみせたプルウィアという街に蔓延る空気が、この致命的な事態を招いてしまったのだ。

 懐からオラティコン製のナイフを取り出したカニングは、ウルの首筋に刃を押し付ける。気を失っているウルは抵抗できず、浅く斬られた首筋からナイフに青々とした血が伝った。


「それにこれは祝福でもある。一三柱の至高の降臨の、最後の贄となれるのだからね。これほどに素晴らしい命の使い方はないだろう」


 カニングは手の中でナイフを弄び、恍惚とした表情で頬を歪める。


「思えば長い道のりだった。信仰による霊的な概念としてではなく、物理的な降臨の方法を探し続けてきた。異見子が死の際に発することのある特殊なフェロモンがコスタ湾から吹く東風に乗ってギャレット荒野に流れ込み、〝砂竜〟の覚醒を促すだろうということが分かってからも障害は多かったからね。科学的な根拠には乏しかったが、念には念を入れ、今日のこの降臨に灼紅スカーレット彩月ルナを選ぶこともした。五年。五年だ。今日この宿願が達成されるまでに五年もの年月が費やされたのだ!」

「全部てめえの策略だったってのか」

「その通り。全てが面白いくらいに、描いた筋書き通りに進んだよ」


 カニングはナイフを逆手に握り、ウルの肩へと躊躇なく突き立てた。


「いぎぃゃやぁぁあああああああああああああああああああああああああああッ!」


 激痛にウルが目を覚まし、壮絶な悲鳴を上げる。ナイフが引き抜かれ、青い血が噴き出す。


「止めろぉぉぉっ!」


 スオウは思わず駆け出す。しかし祭壇は遥か高みにある。スオウが辿り着くよりも、インマオが放つ銃弾がカニングを撃ち抜くよりも、カニングの凶刃がウルを殺す速度のほうが僅かに速い。

 波打って伸びる左腕の遥か先、ウルの悲鳴が青い鮮血とともに舞った。

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