第7章 死地を越えて - 1
「――
スオウの声に応じ〈アウストラリス〉が楕円状に展開。殺到する銃弾を呑み込む。銃弾を受けた個所から亜音速の突起が銃弾の軌道を辿るように生成され、その終着点である〈ウルスⅢ〉を破壊する。相手が怯んだ一瞬の隙を突くようにスオウは左腕を拾伍番・骨喰(ほねぐい)へと変化させて間合いを詰めていく。
一閃――。
鋭い一薙ぎで相手の腕をまとめて斬り飛ばす。噴き出す鮮血を掻い潜って背後へと抜け、振り返りざまに放つ
間の抜けた口笛が入り口横の守衛室から聞こえ、隠れていたインマオとコブが姿を現した。
「何してる? マフィアがハジキにビビるのか?」
「ウル嬢を探すとは言ったけど、殺し合いをするとは言ってないわ。それに――」
血の海に伏している男の死体を爪先で小突いて裏返す。オールバックの男は真っ赤に濡れた顔で今にも叫び出しそうな表情のまま目を見開いていた。
「――こいつら皆、
スオウは自分でも意外なほど驚かなかった。おそらく既に似た風貌と武装の集団に一度襲撃されているからだろう。だがシルバーハウスの連中が異見子を誘拐する理由は検討すらつかない。
「ルディス・フィーダは斡旋業でもやってるのか?」
「まさか。聞いたことないわ。それにうちでその手の商売は御法度よ」
「引き返しても構わない。身内相手は心が痛むだろ」
「馬鹿言わないで。むしろ絶好の機会よ。あんたは自分の心配したほうがいいと思うけど?」
「安心しろ。クソガキ二人を回収したあとで、しっかり仕事は片付けてやる」
「二人とも、こっちだ」
敵が駆けつけてくるよりも早くエントランスを抜けていったらしいネロの臭いを手繰ったコブが通路の奥を指し示す。先導するコブの後をついて通路を抜けて待合室のような開けた空間に出れば、待ち構えていた銃口が一斉に火を噴いた。
スオウたちはばらばらに飛び退き、柱の背後に避難。惜しげもなくばら撒かれる弾丸が柱を削り、粉塵を蹴立てる。飛び交う銃弾はネロの安否すら靄のなかに隠してしまうようで、スオウの焦燥が駆り立てられた。
銃声の多重奏に紛れて、インマオの舌打ちがスオウの耳朶を打つ。
「アララギ! こうなったら仕方ない。あたしがタイミングを作るわ。あんたはさっさとお嬢さんたちを助けてきな!」
インマオは口角を吊り上げ、左眼を覆っていた眼帯を外す。露わになるのは眼窩から大きく突き出した、蜻蛉のような二つの複眼。
彼女たちの抱える秘密と、シルバーハウスで異見子の斡旋業が御法度な理由。そしてウルたちの救出に手を貸す動機がそこにはある。
コブがそうであるのと同様に、インマオもまた異見子なのだ。
「……ああ、頼む!」
インマオが柱の影から飛び出すと同時、腰後ろから赤と白、二丁の拳銃を抜いた。
赤く長い銃身に金の蔦の意匠が施された〈歌姫デネボラ〉と白骨のような武骨なフォルムの二連銃身に刃を連ならせた銃剣の〈疾き者ミルザム〉。どちらも業物に数えられる、希少価値の高い攻性
インマオは足から滑り込み、飛び交う銃弾を掻い潜りながら両手の攻性
スオウは〈アウストラリス〉を盾状に展開し、コブとともに飛び出す。インマオが作った敵包囲網の穴を貫いて待合スペースを抜ける。
相手も先へ進ませまいと追撃を目論む。しかし空間を縦横無尽に飛び回る変幻自在の弾丸がそれを阻む。
二つの左眼が為す完璧な空間把握と二丁の攻性
スオウたちは振り返ることなく先を急ぐ。
「行って!」
インマオの鋭い声はすぐに、折り重なる銃声によって掻き消されていく。
◇◇◇
ネロは息を潜め、自分という存在をなかったことにする。自分は壁で、自分は床であると言い聞かせる。間もなく肌に振動が伝わるような距離感で響いていた足音が遠ざかっていく。それでもしばらくはじっとその場に留まった。本当ならばこんなところでじっとしている場合ではないし、今すぐにでもウルの元へ駆けつけてあげたい。ネロはじっとそんな衝動を堪えていた。床の冷たくて硬い感触が、張り詰めた緊張感のようだった。
スオウたちが血の臭いがすると話し出した瞬間、ネロは居ても立っても居られなくなった。視界が急に狭くなるような感覚に襲われ、身体が不安に突き動かされ、ネロは走り出していた。警報が鳴り響いたときには既に遅く、ネロは身を潜める他になくなっていた。
やがて通路に沿って走るパイプと床の僅かな隙間から、ネロはゆっくりと這い出す。念入りに周囲を伺い気配がないことを確認してようやく、小さく息を吐く。
隠れ潜むことには慣れていた。何の後ろ盾もない路上で幼い少女がたった独りで生きていくためには、どれだけ存在感を消せるかというのが重要な要素だ。財布を擦るにしても、ゴミを漁るにしても他人に気取られてはならない。そもそも路上生活者の不文律である〝縄張り〟を荒らすことになる以上、見つかれば即刻死に繋がるような場合も多かった。常に死の危険と隣り合わせの野生動物のような日々を送るなかで、ネロは隠れ潜む術を身に着けてきたのだ。
足音を消して慎重に奥へと進む。曲がり角の手前で立ち止まり、研ぎ澄ました感覚で通路の先を確認する。
ネロ自身、ここが一体どこなのかは分からなかった。
追手から逃げるためにボイラー室のような部屋へと身を隠し、パイプや金網を辿って進んでいたらこの場所に出た。心細さに今にも泣き出しそうになるが必死に堪えた。きっとウルはもっと怖いはずだ。姉として、友人として、ネロが泣き言を漏らすわけにはいかない。ネロは忍び足で先へと進む。
さっきからずっと、通路には不気味な音が反響し続けている。どこからか漏れている風の音かと思っていたが、進んでいくにつれそれらが明確な意味を帯びていることに気がついた。
苦しい。殺す。死にたい。殺してくれ。助けて。痛い――。獣じみた唸り声に混ざって、そんな悲痛な声が響いている。
ネロは恐怖に駆られた。まるで地獄の蓋が僅かに開けられ、怨嗟や辛苦の声が漏れ出しているようだった。だがその声の正体を確かめなければいけない。そこにはウルがいるかもしれないのだ。
逸る気持ちを抑えながら、ネロは通路を進んだ。用心深さを失わず、恐怖を押し殺して進んだ。
やがて薄暗い通路にこぼれた光を見つける。ほんの数センチメルトーだけ開いた扉から、奥の部屋の灯とともに折り重なる声が漏れていた。
心臓が早鐘を打った。胸や頭はにわかに不気味な熱を帯びるのに、手や足は凍えたように冷たかった。それでもネロは光に吸い寄せられた羽虫のように、半開きの扉を開ける。
饐えた臭いがネロの顔面を強かに殴りつけ、地獄よりも遥かに悍ましい光景が突き付けられた。
無造作に並べられた赤銅色の、檻と呼ぶには小さすぎる格子の箱。そのなかには異見子が押し込められている。
四肢をあらぬ方向に圧し折られた女の異見子が四つある目でネロを見上げていた。喉を潰されているのか、声の代わりにガチガチと歯が打ち鳴らされる。
白骨死体と見紛うほどに痩せ細った子供の異見子が死んだ魚みたいな虚ろな表情で「殺してくれ」と呟きながら蛆の湧いた腹を掻き毟っていた。皮膚は裂け、肉は抉れ、血が溢れている。
全身を獣毛に覆われた大きな男の異見子には四肢がなかった。代わりに再生を阻害するオラティコンの杭が乱暴に突き刺さっていた。
「……いや」
辛うじて声を絞り出して、ネロは首を横に振る。そうすれば目の前の現実が消えてくれると信じているかのように。全身の細胞が、本能的な部分でこの地獄への理解を拒んでいた。だが地獄は確かな解像度でネロの脳裏に焼き付いて離れない。
ネロはたたらを踏み、圧し潰されるように尻もちを突いた。彼彼女らの呻き声が質量をもって小さな身体に圧し掛かっていた。
濡れた雑巾を絞るかのように、ネロの意志と関係なく涙が流れた。もちろん恐怖もあった。だがそれ以上に同じ人間であるはずの彼彼女らにこれほどの非道を尽くす悪意の存在に、深い絶望を抱かずにはいられなかった。
ネロとウルがそうだったように、どんな人もどんな異見子も、小さなきっかけさえあれば分かり合えるものだと思っていた。だけどそれはあまりにも希望的な、甘い願望なのかもしれない。
人と異見子の間には分かり合う以前の、あまりに深く決定的な亀裂が存在している。歩み寄るには隔てる壁が高すぎる。過去から現在に至るまで、人と異見子が積み重ねてきた歴史の全てが憎悪によって塗りたくられているのだ。
だけど――。
ネロは強く歯を食いしばり、両の頬を平手で叩く。涙はぴたりと止まった。
現実はいつだって残酷だった。それは今に始まったことじゃない。
それでもネロは生きていかなければならないし、生き抜いていくと決めた以上は絶望に俯いているだけなんて御免だった。どれだけ傷つこうと、何度叩かれようと、立ち向かってやる。
ネロは立ち上がる。拭いきれない怯懦に震える膝を両手で握る。見渡す限り、この部屋にウルがいないことを確かめてにわかに安堵を得た。
行け。負けるな。
心のなかで何度もそう言い聞かせ、ネロは振り返ることなく地獄のような部屋に踏み入っていく。
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