第7章 死地を越えて - 2
拾伍番・
スオウはマフィアどもが無様に伏している通路を振り返る。三〇までは数えていたが、キリがないのでそれ以降は数えるのを止めた。練度の低い敵がどれほど束になろうともスオウを相手にするには役不足だった。
「向かうところ敵なしって感じだな。心強い」
スオウの視線の先には異見子としての本領を発揮するコブの姿がある。
コブは外套の前を開け放ち、腹から突き出した細長い枝のような八本の多脚で恐怖に支配されたマフィアの身体を持ち上げていた。歯の根を浮かせながらうわ言で命乞いするマフィアを壁に叩きつけ、衝撃で意識を刈り取る。
「お前もなかなかのもんだと思うぞ。インマオが側近に置いているだけのことはある」
「この程度は何でもない」
コブは腹から生える八本の腕を器用に竦めてみせる。
「先を急いだほうがいい。だいぶ臭いが紛れてきている」
嗅覚を澄ませたコブに方向を示され、スオウたちは再び走り出――そうとして、立ち止まる。
進行方向に東方装で佇む、サムライの姿があったからだ。
「……銀座劉玄」
「やはり貴殿にござるか。侵入者の襲撃が収められず、よもやとは思ったが、まさかあの傷を負って生きていたとは、某の爪の甘さを嘆くべきか。あるいは再び相まみえることのできた喜びをかみしめるべきか」
劉玄はまるで散歩の最中に自然を愛でるような気安さで口の端を綻ばせる。一方のスオウは既に左腕を構え、腰を落としながら劉玄を睨んだ。
「そちらは……コブ殿にござるな。ほう、成程。インマオ殿はアララギ殿と手を組むに至ったということにござるか」
「だとしたら、何か不都合でもあるか?」
「否、にござる。はうすの後継が誰になろうと、それは某の与り知らぬこと。某の主君は、たとえ何事が起きようとも今は既に坊ちゃまのみにござる故」
真っ直ぐに向けられる劉玄の目には凄まじい熱量の信念が感じられた。忠心の男であるという噂は真実らしく、そこにはほんの僅かな揺らぎさえもない。
「異見子たちを、うちのクソガキを攫ってどうするつもりだ?」
「ほう。貴殿には御子がおるのか。だが忝い。某はただ刃でのみある故、主君が何を思い、何を目指しているかは知らぬ。某は命じられるがまま、主君の覇道に仇為す輩を斬り伏せるのみ」
言うと、劉玄は左手で鞘を握り、右手をゆったりと柄に添えた。
「銀座劉玄。いざ、推して参る」
腰を落としたかと思えば、既に劉玄が踏み込んでいる。間合いは瞬く間に詰まり、白刃の射程圏内。スオウは拾伍番・骨喰(ほねぐい)を身体の前に翳す。
しかし肉薄の間合いを裂くのは居合の一閃ではなく、鯉口を切る小気味のいい音色。引き抜かれた長刀の柄が拾伍番・
スオウが太刀傷を覚悟した瞬間、何かに背中を掴まれる。身体が急激に後ろへと引かれ、擦過した刃の先端がスオウの鼻先を掠める。スオウは着地。傍らには腹から伸ばした八本足でスオウを引き寄せたコブが立っている。
「油断するな、アララギ。相手はあのリュウゲン・ギンザだ」
「分かっている。……だが助かった」
「来るぞ!」
コブの叫びに応じて同時に後退。劉玄は既に間合いを詰めているが、上段の構えから振り下ろされた豪速の斬撃は空を切り、衝撃が床に深い亀裂を刻むのみ。
「……此は殺し合い故、作法を問うなど無粋の極みにござろう。しかしながら、某らが望むは純粋なる死地に立たんこと。故にコブ殿、貴殿の振る舞いは許容し難し」
劉玄の左手の甲に円形の紋様が浮かぶ。
「――吼えろ、〈レグルス〉」
迸る蒼焔が空気を裂いた。
龍が天を
「ようやくの一対一……真剣勝負にござる」
劉玄が嬉々として長刀を振るう。スオウはそれを左腕で迎え撃つ。激しい金切り音が響き、火花が散った。
「何が真剣勝負だ。ただの殺し合いなんだろ? ――
スオウの左腕から幾条もの槍撃が放たれる。劉玄は流麗な足さばきでそれら全てを躱し、長刀で事も無げに打ち払う。しかし参拾壱番・
「拾弐番・
左腕が鞭のように撓り伸展。壁や天井を容易く引き裂きながら距離を取った劉玄に迫る。
しかし劉玄はこれにも対応。長刀一本であらゆる角度から迫る無形の斬撃をいなしていく。
スオウは拾弐番・
劉玄は仰け反りながらも速やかに後退して衝撃を減衰。剣閃と〈レグルス〉から放つ焔弾でスオウの追撃を牽制しながらすぐさま体制を整える。一方のスオウも〈アウストラリス〉の変化を解き、焔弾を避けながら劉玄との距離を取った。
「一撃見舞われたのも誠に久方ぶりのこと。やはり貴殿はありがたき武人」
「ただ殴っただけなのに大袈裟な奴だな。武もクソもあるかよ」
劉玄は曲がった鼻を強引に押し戻し、流れる血を荒々しく拭う。吊り上げられた口角は強者との戦いに興じられることへの歓喜を刻んだ。
「貴殿は強し。しかしながらその得物は炎熱に対し致命的な弱味があると心得た。故に、某は越えられぬ」
「抜かせよ。俺はてめえを倒し、クソガキどもを連れて帰る。ついでにてめえのボスでもぶん殴ってやるから覚悟しておけ」
「笑止っ!」
劉玄が片手で長刀を構えて突進。空いた左手には〈レグルス〉の赤い紋様が浮かぶ。スオウは〈アウストラリス〉を拾伍番・
スオウの攻性
もちろん、唯一にして最強の武器である左腕を封じられれば、いくらスオウと言えど劉玄に勝てる見込みは万に一つもなくなる。だが〈アウストラリス〉の帯熱ばかりを気にしてスオウ自身がやられてしまえば元も子もないのもまた事実。
考えている余地も、選んでいるだけの余裕もなかった。
スオウは焔弾を左腕の大剣で打ち払い、劉玄へと突っ込む。長刀と大剣が再び切り結び、ぶつかり合う二人を中心に烈風が巻き起こる。
「甘いでござる!」
劉玄の左手に紋様。回避する間もなくゼロ距離から蒼焔が放たれる。焔が形作る咢がスオウに食らいつき、壁や天井を破壊しながら疾る。食い込んだ焔がスオウの全身を灼熱で苛み、迫る瓦礫の衝撃が脳を揺らす。
焔から解放されたスオウは消し炭のように瓦礫の上に打ち捨てられる。かなり大規模な破壊が起きたらしく、何階層にも渡って崩落した天井の穴からは黒々とした夜空と
「がはっ……」
スオウは天を仰いだまま、焦げ付いた血を吐く。全身のあちこちが焼け爛れていた。焔を吸い込んでしまったのか、呼吸すらままならない。左腕の〈アウストラリス〉は当然のように激しい熱を訴えていた。
「勝負あったと見える。しかし此度は確実にその息の根を止めねばならぬ」
瓦礫を踏みしめながら劉玄が歩いてくるのが分かる。スオウは全身の激痛に逆らって身体を無理矢理に起こす。
劉玄は強い。相性も最悪だ。冷静に考えれば勝てるはずがない。おそらく何度も命を勝負の天秤に乗せ、それでやっと互角に戦える可能性が見えてくるほどだ。
だがスオウはここで負けるわけにはいかなかった。死ぬわけにはいかなかった。
理由は単純だった。
守らなければならない場所がある。帰ってくる奴らのために残しておかなければならない場所があるのだ。
「……勝負はこっからだ。クソサムライが」
完全なる虚勢。赤子にだって見抜かれる強がり。だがそれでもスオウは立ち上がる。
ネロとウルが無邪気に走り回る姿が浮かぶ。
クソったれで面倒で鬱陶しい日常を、スオウは取り戻さなければならないのだ。
二人のために。そしてたぶん、自分自身のために。
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