第4章 衝突 - 1

 一回目の公開討論会は最悪なかたちで終了し、異見子いみご擁護派と排除派の溝は決定的なまでに深まっていた。

 事件を経て、カニングへの支持は盤石のものとなっていた。単に政策の賛否ではなく、事件後すぐに暴力やテロリズムに対して断固反対する意志と今後の選挙における具体的な施策を声明として発表し、広がる不安に歯止めをかけたリーダーシップが評価されているのだ。

 一方、間接的に騒動の原因を作ってしまったマリーンの支持はさらに低迷。さらに世間の反異見子感情は擁護派の人間にたいしても向けられるようになってしまった。それにより後援会も離脱者が後を絶たず、市中には選挙ポスターのマリーンの顔に×印をペイントしたビラが溢れかえっている。この状況にはさすがのマリーンも塞ぎ込んでいたし、ネブリナのあの鬱陶しい威勢は掻き消え、憔悴しきった様子が続いている。

 もはや選挙戦の行方は投票日まで待つ必要はない。スオウには大して興味のないことだが、マルマロス陣営に勝利の目があるとすれば、カニングを殺す以外の方法が思い浮かばない。マルマロス陣営は完全に手詰まりだった。

 とは言え護衛を請け負っている以上、スオウは最後まで仕事を全うするつもりではいるし、脅迫状の件も地道に調べを進めている。先払いで部屋を借りてしまった弱味というやつだ。

 ペトロ七〇〇〇をゆったりと走らせながら、この数日でがらりと様変わりしてしまった街の様子を眺める。

 プルウィア市内はどこを見ても、デモ運動に溢れている。それは比較的閑静だとされるイヴェーナ区も例外ではない。

〝バケモノを見つけ次第殺せ!〟などというもはや政治的主張でも何でもない憎悪を連ねたプラカードや横断幕とともに、鎌や金属バット、バールなどの凶器になりそうなものを手にした市民が威圧感を醸しながら練り歩いている。過激化したデモ運動が暴動に発展することも珍しくはなく、逮捕者や異見子を含む死傷者の数は急速に増えていた。

 彼らの行動が市政に影響を与えうるのかは別にして、異見子たちに恐怖を与えることになっているのは間違いないだろう。ウルがあまりに呑気なので忘れがちだが、市内ではもう滅多に異見子の姿を見ることがなくなった。これが健全な社会だとは思えないし、少なくとも死んだマルカス・ウェルス前市長が目指そうとしたものではないはずだ。

 柄にもなくそんなことを考えていた矢先の光景だった。

 信号待ちの最中、細い路地の入り口に立つ一人の異見子が目に留まる。顔には獣じみた毛が生え、耳まで裂けた口からは鋭利な牙が覗くが、荒々しい印象はない。目を隠すように薄汚れた包帯を巻いていて、雑巾みたいに擦り切れたシャツと短パンを纏い、痩せ細って骨張った身体が覗く。手に持つ板の文字は、綴りをひどく間違いながらも、辛うじて〝僕は眼が見えません ひとつ一〇エソ〟と読めた。足元に敷かれたボロ布の上の鉄屑が売り物なのだろう。

 目と鼻の先にある大通りでは反異見子のデモ行進が続いている。ぱっと見て確認できる限り、デモ隊は自分たちの進路を阻むように座り込みを始めた密教スクラマトの白装束集団と揉めていた。警護士が間に入って両者を執り成していたが、いつ暴動に発展してもおかしくない。

 盲目の異見子の前を通り過ぎる若者の集団が、わざとらしく彼に肩を当てる。異見子はよろめいて倒れ、地面には手に持っていた板が転がる。

 若者が罵声を浴びせ、下卑た笑いを上げる。異見子は若者たちにへらりと微笑みを向ける。若者たちにボロ布が蹴飛ばされ、鉄屑が地面にばら撒かれる。尚も微笑みを絶やさない異見子に再び嘲るような罵声を浴びせ、若者たちは去っていった。

 信号が変わるや、スオウは路傍にペトロ七〇〇〇を停めて異見子の元へと向かう。板を拾い、まだ座り込んだままの異見子に差し出す。


「どうして笑ってる?」

「笑うしか能がないので……」


 異見子はやはりにこりと笑い、スオウから板を受け取った。


「あ、ありがとう、ございます……」

「ここは危険だ。いや、今のプルウィアはどこも同じか。とにかくほとぼりが冷めるまで、しばらくは物乞いに出てくるのは止めておけ」

「心配、してくれるんですか……」

「舐めた口きくな。黙って言うこと聞いてろ」

「素直じゃ、ないんですね……」

「ぶっ飛ばすぞ」

「ふふふふ……」


 異見子は口に手を当てて楽しそうに笑った。どうして遭遇するガキどもは片っ端から揃ってこうもムカつく奴らばかりなのだろうか。


「とにかく家でもマンホールでも何でもいいから、しばらく引っ込んでろよ」

「ありがとうございます。でも、そうもいかないんです。ぼくが稼がないと、チビたちが、お腹を空かせてしまうから……」


 異見子は笑顔を絶やさずに首を横に振った。スオウは溜息を吐き、ボサボサの髪を掻く。


「これでてめえの商品全部買う。それでいいな?」

「え……」


 スオウは財布を取り出し、全ての中身を異見子の小さな手に握らせる。スタフティア共和国では端末による電子決済が一般的だが、スラムなど貧困層では依然として物質としての貨幣経済が幅を利かせている。


「これだけあればとりあえず二、三日はなんとかなるだろ」

「こ、こんなにもらえません……」

「ガキが遠慮すんな。図々しくもらっとけ」


 スオウが突き放すように言うと、異見子の少年は困ったような笑顔をつくり、それから深々と頭を下げる。


「ありがとう、ございます……お兄さんの匂い、覚えました。いつか必ず、頂いた分は返します」


 異見子の少年の真っ直ぐな感謝に、スオウの居心地は悪くなった。

 こんなものは所詮、寒気のする偽善でしかないことをスオウは分かっている。本当に異見子の境遇を改善したいと思うのならば、マリーンのように声を上げて世論に立ち向かうべきだ。本当に目の前の少年を救いたいと思うのならば、ネロやウルにそうしているように家へと招き、温かい食事と寝床を提供してやるべきだ。

 だがスオウはそうしない。ただ財布の中身を握らせるだけでは、何一つとして解決しないと知りながら、それ以上の行動を起こそうとはしない。


「返すも何も、俺はてめえの商品を買っただけだろうが」


 スオウは乱暴に言い放って目につく鉄屑を拾い集め、逃げるように愛車へと戻った。


   ◇◇◇


 スオウが向かったのはアストス区の外れにある寂れたローザ地下商店街。軒並みシャッターが閉められて閑散とした道を抜け、店と店の狭間で辛うじて経営しているような小さな看板の前で立ち止まる。

 だが当の看板は滅茶苦茶に破壊されて拉げているので、ここが店だと知らなければ絶対に立ち寄れないだろう。店主にやる気がないのは明白で、スオウが知る限り看板がこうなってからかれこれ三カ月は放置されている。

 スオウは扉を開けて店内へ入る。通路は異様なほど暗くて狭く、スオウは身体を横にしなければ通ることさえできない。

 奥に進むとやや開けた空間に出た。だが今度は訳の分からない機械や砂流鉄サルガネの残骸が堆く積まれており、触れれば最後、雪崩れによる大惨事が起こることは容易に想像ができる。

 スオウは薄暗いゴミ溜めのなかを細心の注意を払って進み、いるはずだろう店主の姿を探す。事前に訊ねる旨を連絡しているので不在のはずはないのだが、姿はどこにも見当たらない。


「よぉ、アララギ」


 不意に、机の足元から青白い顔が浮かんだ。完全に不意打ちを食らったスオウはさすがにギョッとなって身を引きそうになるが、もしそうなれば雪崩れのなかから二度と這い出せなくなるので辛うじて堪える。代わりに、あからさまな殺意に漲る目で現れた女を見下ろした。


「おいおい、そう怖い顔するなよ。これは伝統のオルデンジョークだ、オルデンジョーク」

「黙れ。俺は半分オルデン人だが、そんなジョークは聞いたことも見たこともない。そしてお前はオルデン人じゃねえだろうが」

「冷たいなぁ。今どき、人種でああだこうだとか言う? しかもこのプルウィアで? そもそも私の人種はプロフォンド大法国のレベルⅦ国家機密と同等のトップシークレットなんだが?」

「知るか」


 女は器用に身体をくねらし、机の下から這い出してくる。スオウは雪崩れが起きないかとひやひやしたが、やはりここの主らしくどこにどう手足をつくのが正解かを熟知しているらしい。女は数秒もせず手近なところにあった椅子へと座って照明をつけた。

 乱雑に束ねられた赤い髪に引き籠っているせいで白く不健康な肌。動きやすいという理由で着ている服はいつも紫色のジャージだ。


「さて、君もそこに座るといい」

「どこにだよ」


 女が指差した先を懸命に探せば、確かに瓦礫に埋もれるようにして小さな丸椅子がある。スオウはそれを慎重に手繰り、女の前に腰かける。

 女の名前はホン・チー。職業はモグリの鉄技士。鉄技士とは砂流鉄サルガネの製造や修理などを行う専門職業で、モグリであるというのはつまり無免許ということだ。だが免許はなくとも腕は確かで、法外な料金を請求される代わりにどんな砂流鉄サルガネであっても完璧なメンテナンスを行ってくれる。

 警護局を止めて以降も、スオウが懇意にしている数少ない人間の一人である。


「さ、早く服を脱ぐんだ」


 無意味に涎を啜ってみせたホンを睨みながら、スオウは黙って指示に従った。

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