終章 ある家族について - 1
プルウィア市長選は、大きな波乱と共に幕を閉じた。
最有力候補であった警護局ОBのジョル・カニング氏は選挙戦の最中に死亡。間もなく、全ての全貌が詳らかに明かされていった。
まず全ての事の発端であったウェルス前市長の爆殺事件について。
実行犯であったダドリー・エグチャンが犯行に利用した爆弾は、プルウィア市の三大マフィアの一角であるシルバーハウスによって用意されたものだった。これは警護局へと出頭した幹部の青年、ルディス・フィーダが自供したために明らかになった。
またルディスが所持していた端末から、カニング氏がエグチャンに対してウェルス前市長の爆殺を教唆する映像が発見された。これはカニング氏と手を組んでいたルディスが、万が一のときの保険として隠し持っていたものであった。
カニング氏の目的は降臨祭における甲級〈異貌〉・〝ギャレットの砂竜〟の召喚によるプルウィア市の壊滅だったとされる。これはカニング氏が死の直前まで対峙していたとされる数名の証人による証言と、カニング氏が購入していた工業地帯の一角に拉致監禁されていた異見子複数名による聴取によって明らかになった事実だ。
〝砂竜〟の降臨はこの証人たちの尽力によって阻止されて失敗に終わっている。彼らの氏名については公表されていないものの、人知れずプルウィア市の危機を知り、巨悪に立ち向かった英雄に多大なる賛辞を贈りたい。
またカニング氏が市長選に立候補していた理由は彼の死によって闇に葬られようとしているが、結局のところ、この目的を円滑に遂行するための手段として市長選を利用したのではないかと警護局は結論づけている。
以上のように、捜査によって連日新たな事実が発表されていく激動の日々なか、市長選は概ね予定通りに執り行われた。
混迷極まる市勢のなか、当然のように新たな立候補者はなく、投票はマリーン・マルマロス候補の信任投票となった。有効投票率、当選ラインともにぎりぎりの水準に達したマルマロス候補は新たなプルウィア市長へと当選した。
とは言え、彼女としては素直に喜ぶことができないのが実情だろう。
カニング氏が引き起こした事件の収拾はもちろん、その余波である市民の暴徒化や異見子排除の熱は未だ冷めていない。異見子排除の旗印であったカニング氏がこのような顛末を迎えたために、表立った迫害に及ぶ者こそ少なくなったが、今回の事件を通して普通人と異見子――両者の間に走った亀裂は決定的なものになっている。
ウェルス前市長から引き続き、マルマロス新市長が掲げていた異見子擁護政策の実現は現状では不可能に近い困難であると言えた。
加えて、マルマロス新市長はカニング氏の陰謀に利用された親友であり秘書であったネブリナ・トゥマーン氏を喪っている。経緯は何であれ公開討論会を混乱に陥れた彼女について、マルマロス新市長が公的なコメントを残すことはなかった。だが女優時代から共に歩んできた親友の裏切りと喪失が、彼女にとって深い心の傷となっていることは容易に推し量ることができる。
多くの喪失や犠牲を経て、市長の椅子に座ったマルマロス新市長が、混迷極まるプルウィア市勢を今後どのように舵取りしていくのか、今はまだ見守る他にない。
◇◇◇
マリーンはそこで新聞を閉じた。プルウィア市のローカル紙ではあるが、丁寧な取材とニュートラルな切り口で概ね真実を記している。
概ね、というのはただ一点だけ、徹底的な情報管制によって伏せた事実があるためだ。
カニングの目的であった〝ギャレットの砂竜〟は、その邪悪な思惑通り召喚されていた。それどころか〝砂竜〟はプルウィアの街の寸前にまで迫っていた。警護局と軍によるオラティコン兵器の配備は間に合わず、一時は市内全域に緊急避難勧告が発令された。
だがその寸前で反応は消失。
二人の英雄の命と引き換えに、プルウィア市は救われたのである。
そのうちの一人の名はリュウゲン・ギンザ。三大マフィアの一角であるシルバーハウスの前家長、故ゴズ・フィーダの側近であり、スタフティア共和国最強とも呼ばれた用心棒である。
彼はルディス・フィーダとともにカニングの陰謀に加担していた疑いがあったため、その名前の公表は行われなかった。だがルディスと同じ幹部であったインマオは、警護局に対してリュウゲンを最期の最期まで忠義の男だったと語っていたそうだ。
そしてもう一人。
彼の名はスオウ・アララギ。護衛としてマリーンの戦いを陰ながら支えた男でもあった。
警護局は当初、プルウィアを救った英雄として、スオウの名を公表すべきだと強い意志を示していた。だがマリーンはそれを拒み、ほぼ独断専行するかたちでスオウの名を公にしないことを決定した。
プルウィア市の情勢は混迷を極めている。カニングが市民の心に刻み付けた差別意識は、間違いなく未来に対して大きな影を落とすだろう。そんな今だからこそ、スオウが成し遂げたことのような分かりやすい英雄譚が必要なのかもしれない。
しかし当の本人はそんなことを望まないだろう。付き合いは短かったが、スオウが望むのはきっと、死後に墓の周辺を掘り起こされることではなく、彼が命を賭してまで助けた二人の少女の未来を豊かに耕す努力をすることだと、マリーンは思っている。そしてそれだけが、プルウィア市を守って散った英雄たちへの唯一の手向けになると信じている。
マリーンは深く息を吐き、
市長となって早二週間。やることは列挙するのも憚られるほどに山積みだった。
執務机の上に置いてあったマリーンの端末が振動する。手を伸ばして画面表示を見れば非通知の着信。普段ならば取り合うことのない着信だが、なぜかこの瞬間だけは胸騒ぎがして通信に応じた。
「はい」
『随分疲れているな。市長の椅子の座り心地は微妙か?』
「――――っ?」
マリーンは思わず椅子から転げ落ちそうになった。疲労と混乱とで絡まった思考で辛うじて言葉を紡ぐ。
「あなた、どうして……?」
『まあ、悪運だな』
マリーンの驚愕はいとも簡単に、たった一言で片づけられた。一体どれほど心配し、どれほど哀しんだと思っているのだろう。だがこれはこれで、らしいと言えばそうなのかもしれない。そう思ったら、不思議と笑みがこぼれた。
『礼を言おうと思ってな。あんたには俺が寝込んでいる間も世話になった。あのあとも色々と取り計らってくれたみてえだしな。あいつらにもまだ、家貸したままにしてくれてるんだろ?』
「ええ。児童施設や養子縁組も考えたのですが、彼女らの意志を尊重するかたちを取りました」
『恩に着るよ』
「いいえ。感謝を述べるのは私のほうです。この程度はささやかな恩返しにもなりません」
沈黙が流れた。あまり電波が良くないのか、時折ノイズが走る。
『一つだけ、ずっと気になってたことがあったんだ』
やがて相手のほうが口を開く。マリーンは続く言葉を無言で待つ。
『どうしてあんたがあんなにも異見子の擁護や権利保証に固執したのか、不思議に思ってた。そんで、ふと気づいた。よく見てみれば、まあ似てなくもない。眼帯のせいで隠れちゃいるが、目の色も同じだしな』
「何の、ことでしょうか?」
マリーンには白を切る他にない。端末の向こう側で相手が口にしているそれは、マリーンがかつて犯した罪であり、棺桶に至るまで絶対に秘さなければならない過去だった。
『別に強請ったりしねえから安心しろ。ただ、俺が言いたいのはよ。いいのか? 会わなくて。奴はプルウィアを出るつもりらしいぞ』
「……そうですか」
マリーンはそう答えることしかできなかった。
『俺は家族がどうだと語るつもりはねえし、そんな資格があるとも思っちゃいねえ。けどよ、遠回しに異見子の権利なんか保障する前に、してやれることもあるんじゃねえかと思っただけだ』
「……ありませんよ。私はかつて身勝手な理由であの子を捨てた。捨てられたあの子はたった独りであそこまで駆け上ってきたんです。今更になって思い出したかのように彼女の人生に立ち寄って、掛けるどんな贖罪の言葉もきっと安いものになってしまいます」
『そうか』
通話の相手は短くそう言った。それから小さく息を吐き、自嘲するように笑う。
『親ってのは面倒なもんだな。だけど悪くない』
「そうですね。血のつながりだけが家族だとは思いませんが、あの子は私がお腹を痛めて生んだことに変わりはありませんから」
『確か、市長の任期は四年だったよな。まあ、そのうちに考えときゃいいさ。旅に出るとは聞いたが、結局この街に居着いた奴には他に行き場なんてねえ。ふらっと帰ってくるだろうよ』
「ええ、そうかもしれませんね。何と言っても、彼女は猫ですから」
『違いねえ。あいつは確かに猫だ』
通信が切れた。
マリーンは端末を置き、背もたれに身体を預ける。
やるべきことは多かった。だがいくらか気持ちは晴れている。
いつかあの子が帰ってきたときに、このプルウィアがほんの少しでも居心地のいい場所になっているように。市長として、あるいは一人の母として、できる全てをやっていくだけだ。
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