第1章 掃き溜めの街の片隅で - 2

 そんなこんなでようやく辿り着いたのはアストス区中心部の繁華街。油断していると次はどこへ走り出すか分かったものではないので、スオウたちは一番手近な酒場〈キトゥン〉へと入った。

 給仕の青年に案内され、スオウは奥の席に腰を下ろす。きっちりと目が届くよう、二人のクソガキを向かいに並んで座らせる。

 スオウの家に出入りしているせいもあって身なりこそ小綺麗なものの、ネロもウルも本来は浮浪児である。正規の学校教育を受けていないので、書かれている字をまともに読むことはできない。

 にもかかわらず、渡されたメニュー表を眺めること数秒。ネロとウルは次々と注文を開始した。


「おい待て待てクソガキども。なんだか分かって頼んでんだろうな? ノリで頼むんじゃねえ。お兄さん、今の注文全部キャンセル。お子様セット二つとウーア牛のハンブーグ定食で」


 スオウは慌ててメニューを取り上げ、給仕の青年に返却する。彼が引き上げていくとすぐに冷水と手拭き用のタオルが三つずつ運ばれてくる。ネロとウルはそれを広げては頭の上に乗せるなどしてはけたけたと笑っている。


「……ったく何がそんなに楽しいんだか」


 スオウはぼそりと吐き捨て、散々叫んだせいで乾いた喉を冷水で一気に潤す。料理が運ばれてくるまではすることもないので、目の前の二人に注意を払いつつ店内を眺めた。

 昼食には遅すぎ、また夕食には早すぎる微妙な時間帯だというのに、店内は賑わいを見せている。

 昼間から酒も出しているらしく、カウンター席では髭を蓄えたアンガル人の老人が派手なワンピースを着た二人組の女にカクテルを作っている。

 フロアは中二階のあるつくりになっていて、階段をちょうどネロやウルと同い年くらいの男の子が駆け上っていく。長く尖った耳が特徴のウァージカ人の給仕が、両手に積み重ねたトレイを重ねたまま洗練された身のこなしでそれを躱す。

 あるいは一階の真ん中では、屈強な肉体のディアフ人といかにも姉御肌そうなシレンテ人の女が酒の飲み比べを始めていた。短剣を下げていたり、革の鎧を纏っていたりする身なりを見るに、どちらもスオウと同業らしい。周囲の客たちは睨み合いながら酒を胃に流し込む二人を囃し立てる。

 そうこうしているうちにスオウたちの卓にも料理が運ばれてくる。滴る肉汁の芳香が、空腹感を掻き立てた。


「うっわぁ~、すんごいよ、ウルぅ!」

「うまそうなかんじしてやがるです!」


 二人も大はしゃぎである。ネロたちはまず匂いを堪能し、トマトライスに刺さった旗に拍手で感激したのち、思い出したかのようにスオウに視線を向ける。スオウはと言えば、もう既にぞんざいに切り分けたハンブーグを口に放り込んでいたのだが、あまりに熱烈な眼差しが向けられたので手を止める。


「すおー、ありがとう!」

「うーもかんしゃしやがるです」

「…………うるせえ。いいから早く食え」


 スオウは舌打ちし、付け合わせのサラダを貪るように頬張った。

 この二人といるとどうにも調子が狂う。かと言って、相手が子供な手前、危険たっぷりのプルウィア市中に無碍に放りだすのもなんか違う気がする。スオウは決して善人ではなかったが、根っからの悪人というわけでもなかった。

 一口食べるたびに大げさに舌鼓を打っている二人を尻目に食事を続ける。やがて背後から大きな影と威圧するような声が覆い被さった。


「おいおい、何か臭うと思ったら、バケモンが紛れ込んでるじゃねえか。あ?」


 スオウはナイフとフォークを置いて振り返る。見れば先の飲み比べで勝利したらしいディアフ人の男が朱に染まった顔に明らかな侮蔑を浮かべてこちらを見下ろしていた。

 こういう手合いと関わってもろくなことはない。スオウは男を無視し、身体の向きを元に戻す。さっきまではしゃいでいたネロとウルは水を打ったように静かになっている。

 彼女たちは幼い。身寄りもないし、教育らしい教育を受けてもいない。だが馬鹿ではない。むしろ子供らしく感受性が鋭い分、向けられる敵意や害意には大人であるスオウよりもずっと敏感なのかもしれない。

 ディアフの男が口にしたバケモノ――それは他でもないウルチロのことだ。

 改めて言うまでもなく、ウルチロの外見は多種多様な人種が入り混じるプルウィア市にあっても殊更に異質で歪だ。

 そして残念なことに、あらゆる文化が横溢し、あらゆる人種が混在するプルウィアにあっても過剰な差別と侮蔑を投げつけられる存在がいる。

 彼らは人でありながら、人ではないとして虐げられる。だがそれは根も葉もない侮蔑ではなく、その身体に流れる血の半分は〈異貌〉のそれに他ならないことに由来する。

 生まれる原因は不明。母体が妊娠時に〈異貌〉から何らかの影響を受けたことによる突然変異だという説が通説となっているが、科学的に立証されている根拠はない。分かっているのは彼らが皆、人ではあり得ない異形を顕出させていること。それに伴う人外の能力を保持していること。そして、歪な存在ゆえに短命であること。

 そんな〈異貌〉の見た目をもつ彼らを、忌むべき姿で生まれた子という意味を込めて人々は呼ぶ。

 異見子いみごと。

 確かに虐げられ続けた異見子が犯罪に走ったり、マフィアなどの反社会組織に組み込まれていく例は珍しくない。だがただそう生まれてしまっただけの異見子に罪はない。頭ではそう分かっていても、歴史に等しく人類の脅威として存在し続ける〈異貌〉の似姿を、人々の感情はそう簡単に受け入れられないのだ。


「酒が不味くて敵わねえ。なあ、兄ちゃん。そのバケモンをさっさと摘まみ出せよ」


 スオウが言い返さないことに味を占めたのか。ディアフの男はスオウの肩に分厚い手を置いて揺さぶった。されるがままのスオウの手からナイフが落ち、床を転がって音を立てる。


「あーあ、砂がついちまった」


 スオウは尚もディアフの男を無視。ナイフを拾い上げ、自らのシャツでついた砂を拭う。

 次の瞬間、砲弾のような拳が突き下ろされ、机の天板を真っ二つに叩き折った。

 騒めき立っていた店内はぴしゃりと鎮まり、事態を察知した者から先に悲鳴を上げた。あるいは喧嘩だと囃し立て、自らは安全な距離を保ちながら人垣をつくる野次が集まる。


「なぁ、俺様を誰だと思ってんだ? 俺様はアルフ・ガイナス。〝鉄拳のアルフ〟。名前くらいはその呆けた耳でも聞いたことくらいあんだろう?」


 ディアフの男、アルフは鉄板よりも分厚い胸板をこれでもかと反らす。どうやらだいぶ酒を飲んだせいで気が大きくなっているらしい。もちろん鉄拳の何某という二つ名は知らない。彼我の実力も目算で測れないとは実に哀れだ。スオウはやれやれと深い溜息を吐く。


「勘弁してくれよ。俺は飯を食いにきただけだ。怪我したら明日からの仕事に響く」


 スオウの殊勲な態度に、気を宥めてくれたのか――いや、無抵抗な態度を嘲っているのだろう。アルフは小馬鹿にしたようにスオウを見下し、縮こまって身を寄せ合うネロとウルに向き直った。


「兄ちゃんの飯を台無しにするつもりはなかったんだ。だがよくよく考えてみろ。誰だって嫌だろ、醜い獣と一緒に食う飯なんてぇのはよ。だからこの俺様が直々に、店を綺麗にしてやろう」


 アルフはしゃがれた声で大笑いし、巨木のような腕をウルへと伸ばす。

 ここらが我慢の限界だった。

 スオウは全く無駄のない動きで立ち上がり、アルフの手がウルに届くより先にその手首を掴んだ。


「あ? 何しやがんだ、てめえっ?」

「言っただろ。は飯を食いにきただけだ。それにこれ以上は、本当に明日からの仕事に響くぞ? もちろんお前のな」

「てめっ――――っな?」


 アルコールではなく、激情に顔を赤くしたアルフが腕を振り解こうとする。しかしどれだけ力を込めようと、スオウに抑えられた腕はぴくりとも動かない。


「離せよ、狂った異形性愛者が!」


 アルフが逆の腕を振り被る。鉄拳が豪風を断ちながらスオウの顔面を捉えようと振り抜かれる。

 しかし膨れ上がった空気に水を差すように乾いた手拍子が鳴って、ぶつかり合う二人の時を寸前で引き留めた。


「はい、そこまで」


 中二階の柵から身を乗り出し、こちらを見下ろす女の姿があった。

 ヘレアック人特有の白を帯びた銀髪。肌もまるで降り積もる雪さながらに白く、左眼窩を覆うようにつけられた深紅の眼帯が銀世界に咲いた山茶花のように力強く美しい。纏う黒のストライプスーツも、ジャケットの中から見える総柄のシャツも一目で上等なものと分かる。

 女は剣呑な空気を纏い、冷酷だが穏やかな微笑みを口元に湛える。


「ねぇ、アルフさん、だっけ? どこのごろつきか知らないけどさぁ、ここが誰の店か分かって暴れてんのかしら? その机、いくらすると思う? あんたの安っい報酬じゃぁ、二〇年ローン組んだって払いきれないわよ? それとも……その自慢の身体をバラさせてくれるのかしら?」

「…………ぐ」


 アルフは返す言葉もなく口籠る。もし今ここで勢いと感情に任せてこのヘレアック人の女に盾突けば、明日の自分がどうなるのか、さすがによく分かっているらしかった。


「畜生っ!」


 声を荒げて、アルフは店の出口へと向かう。しかしディアフ人という民族的に恵まれた体格のアルフの前に、それに全く劣らない巨躯を誇る給仕が立ち塞がる。


「な、なんだよ……」

「お客様、そちらが本日のお代でございま~す」


 中二階から眼帯の女がひらひらと手を振る。巨漢の給仕が無言で伝票を突き出す。無論、破壊した机の値段まできっちりと含まれているだろう。


「くっそう!」


 アルフは泣き叫ぶように言って財布を床に叩きつける。脇目も振らず駆け出し、逃げるように店から出て行った。巨漢の給仕が財布を拾い中身を確認していたが、当然足りなかったようで首を横に振っていた。

 スオウは中二階の女へと視線を戻し、決して穏やかではない声を投げる。


「どういうつもりだ?」

「ひっどいわね。せっかく助けてあげたのに」


 ヘレアックの眼帯女は首を傾けて微笑むと、中二階の柵を飛び越える。音も立てず着地し、ほんの数歩の踏み込みでスオウの目の前まで間を詰めてくる。


「まぁそう警戒しないで」


 耳元で囁き、スオウの横を素通り。椅子の上で膝を抱えているネロとウルの目の前に膝まづく。


「初めまして。お嬢さんがた。あたしはこの店のオーナーを務めるインマオって言うの。せっかくのディナーを台無しにしてしまったお詫びに、ご馳走させてほしいんだけど、どうかしら? もちろん後ろで立ってる朴念仁も一緒に」


 眼帯女は言って、ネロとウルの手を取った。柔和な笑みで怯懦を解かし、二人の懐に入り込んだ女の申し出を突っぱねる術を、スオウは持ち得なかった。

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