第2章 不穏 - 2
「……ではショウダウン」
蝶ネクタイを締めたディーラーが緊張感漂わせながらそう言って、彼から時計回りに卓についた参加者が自分の手札を見せていく。
市営カジノ〈ファルグリン〉。スオウはプルウィアで最もポピュラーなギャンブルであるポケラの卓に座っている。
ポケラとは五二枚で一組のオルハと呼ばれるカードのデックから各人五枚ずつ配られる手札を任意で交換し、その役の強さを競うという単純かつ伝統的なカードゲームだ。
ディーラーのすぐ左隣に座り、口髭を蓄えてシルクハットを被った紳士然とした老人は無言で手札を広げる。僅かに竦められた肩には、やれやれという諦め。
「手札は
全く悪いわけではないが、いいとは言い難い手札である。
老人に続き、派手なドレスに身を包んだ貴婦人が手札を卓上に並べる。無駄に優雅な手つきは自信の現れ以外の何ものでもないのだろう。
「わたくしは、
いつの間にか周りに集まっていた野次馬がにわかに歓声を上げる。貴婦人はシルクの手袋をはめた手を口元に添えながら、何故かスオウに向けて勝ち誇った笑みを飛ばす。
次はスオウの隣り、サイズの合わない開襟シャツを着たキブリ人の青年の番だった。青年は溜息を吐いて手札を放る。そしてその場にいるスオウ以外の人間が息を呑むと同時に口角を吊り上げた。
「……
再び観客から大きなどよめき。青年は卓につくプレイヤーを見下すように、椅子に浅く座り直して背もたれに身体を預ける。
「では最後に――」
ディーラーの視線がスオウに向けられる。観客の注目は、スオウの目の前、溢れんばかりに積まれた大量のチップに注がれる。その額なんと、一〇万エソに相当する。高くてもせいぜい三万エソが相場と言われる市営カジノにあって、その掛け金は歴代でもトップクラスの破格だった。
「ほい」
スオウは特に溜めることもなく、即座に手札を広げた。全員の注目が、その五枚のカードに集まった。
「………………
ディーラーがなんとかそう呟き、それ以外は唖然としていた。
ハイカード。つまりは何の役もない、最弱の手札である。そんなものに一〇万エソもの大金を突っ込んだスオウに、観客もプレイヤーも言葉を失っていたのである。
スオウは大量のチップを勝者であるキブリ人の青年の前にごっそりと動かす。さっきまで不遜極まりない態度だった青年は姿勢を正し、スオウに小さく会釈をする。
「ふぉっふぉっふぉっ……その手にそれだけの大金を突っ込むとは、余程の資産家か、生粋のギャンブラーか。何はともあれ、あっぱれじゃ」
やがて老紳士がそんな台詞とともに拍手を鳴らす。釣られて野次馬たちも拍手を鳴らすが、スオウはそのどちらでもなかったし、彼らがどう思おうが心底どうでもいいことだった。
単にむしゃくしゃしたから意味もなく財産を吐き捨てた。それだけだった。
立ち上がったスオウは財布を逆さに振るい、未だ唖然としているディーラーに告げる。
「すっからかんだ。ゲームはこれで下りるぞ」
ディーラーは頷き、立ち去るスオウに深く一礼をしていた。
意味のない散財をして市営カジノを後にしたスオウは、通りでタクシーを拾う。
だが手を挙げてタクシーを止めてから、財布の中身が空であることを思い出す。せめて帰りのタクシー代くらいは取っておけばよかったと思ったが後の祭り。スオウには市の中心街から自宅がある外れのアストス区まで歩く以外の選択肢はなかった。
「……まあいいか。めんどくせえが」
スオウは陽光が頭上高くから降り注ぐ通りを歩き始める。道は繋がっているのだから、歩いていればそのうち帰れるだろうと雑な展望を抱いて靴底で地面を擦った。
最も賑わい、かつ治安維持の目なども行き届くセントラル地区から離れれば、街並みは一気にその民度を低下させる。
浮浪者に娼婦。粗悪な模造品や得体の知れない薬物を売り歩く売人。マフィアの下っ端連中とそれにすらなり切れない残念な不良たち。少し耳をすませば、怒号と悲鳴、時折銃声さえも聞こえてくることも珍しくはない。
もちろんごく普通と呼ぶにふさわしい市民も暮らしている。だが彼らもこの本来なら異様な光景に慣れ切ってしまっているので、自分に被害が降りかからない限り、特に気に留めることもない。
そんな物騒な街並みでも、些か珍しい……というか、多少気を引くものが一つある。
それは人の死体だ。
いくら治安に疑問符が突き付けられるこのプルウィア市であっても、警護局やマフィアなどと密に連携を取る〝清掃業者〟が多数存在しているので、白昼堂々、衆人環視のなかで起きる通り魔でもない限り、普通の市民が死体を目の当たりにすることはそう多くない。
ちょうどスオウがアストス区に差し掛かったとき、そんな珍しい光景に遭遇する。
野次馬がつくる人垣。集団から滲み出る穏やかではない空気感ですぐに、それが人の生死にかかわるものであるとすぐに理解した。
「また
ふと、野次馬の最後方で離す女二人組の言葉が耳に入る。
「見た? まだ小さい子供だって」
「でもさ、いかにもって感じだったよね。目がギョッとしてて」
「鼻も変だったよね? あと頭も」
スオウは立ち止まる。それ以上聞き耳を立てる気にはならなかった。ただ不安や焦りのような感情が膨れ上がり、突き動かされるままに野次馬を押しのけていた。
最前列までやって来て、紺青色の制服を着た警護士に止められた。
「退いてくれ」
「ここから先は立ち入り禁止です」
スオウは毅然とした態度で立ちはだかる若い警護士を睨み、その肩越しに路地を塞ぐように立てられたテントを見つける。
「退け」
「いえ、だから……」
スオウが凄み、若い警護士が気圧される。おそらくは真面目で善良な警護士なのだろう。猛獣のような威圧感を醸すスオウに恐怖を抱きながらも、職務を果たそうと懸命に立ち塞がっていた。
「先輩?」
やがて二人の間に割って入る、穏やかな声。スオウが声の方に視線を向ければ、奥のテントから紺青の制服を着込んだ金髪の青年が駆け寄ってくる。年齢はこの若い警護士とそう変わらないが、左胸に煌めく勲章が階級と所属の違いを告げている。特に茨の盾が示すのは警護局公安部――かつてスオウも所属していた部署であることを示すものだった。
オモト・オルニレイヤ。スタフティア共和国屈指の名家であるオルニレイヤ家の次男坊。かつて警護士だったスオウの後輩でもある。
オモトが若い警護士と何か言葉を交わすと、警護士は下がって別の持ち場へと移っていく。
「随分と出世したもんだな、オモト」
「二年も経ちますからね」
「殺しか?」
「ええ、まあ」
オモトが言葉を濁すのはいくら懇意にしていた先輩と言えど、現在は警護局を離れているスオウに対して守秘義務を履行しなければならないと分かっているからだろう。
「ホトケの顔が見たい」
「いや、それはちょっと流石に無理ですって」
「無理を承知で言っている。ホトケは身元不明の異見子。そんなありふれた事件に公安のお前が出てくるってことは、前市長絡みだな」
スオウに言われ、オモトの表情にほんの一瞬驚きが浮かぶ。勤勉と誠実を絵に描いたような青年は、だがスオウのように悪辣さを併せ持つ人間を相手取るには少し正直すぎた。
やがてオモトは諦めたようにやれやれと肩を竦めた。
「相変わらず鋭い推理です。警護局を二年離れた今も、全然衰えない」
「そいつはどうも。ホトケを知ってる可能性がある。拝ませてくれ」
「……分かりました。人払いをするので少し待っててください」
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