義父と義娘と義娘のボンド

やらずの

序章Ⅰ

 市庁舎の前は集まった報道陣の醸す奇妙な緊張に満ちている。その少し後ろには口汚い言葉の入り混じったプラカードを掲げる小さな人だかり。行き交う人々はまだらで、すぐ横で漂う緊張感には無関係だと言いたげな顔で通り過ぎていく。

 静かな喧騒。あるいは騒がしい沈黙。だが青年はこの空気を説明するのにてきとうな言葉を持ち合わせてはいない。あるいは自分が張り詰めているからこそ、そんな気分が周りの景色に映し出されているのかもしれない、と青年はそう思った。

 失敗は許されない。

 チャンスはたったの一度きり。

 もし失敗すれば待ち受けるのは執拗な拷問。生まれたことを百回後悔しても生温いような地獄を警護局によって体験させられることだろう。

 だが成功すれば青年は英雄となる。この小さな辺境の街のみならず、大陸全土に流れる巨大な歴史の一幕にその名が刻まれるに違いない。

 もちろん青年は英雄になりたいわけではない。だがこれ以上虐げられ続けるのは我慢ならなかったし、甘い言葉に騙されるのも嫌だった。

 間違っているものは正されなければならない。そのためには自らの血肉を捧げた鉄槌が必要なのだ。

 青年は最後に確認するように、自らの身体をぐるりと見回す。もう何度も入念に確認を終えていたが、何度やっても足りないということはない。青年が今から試みるそれは、それほどの困難であり、だからこそ偉業なのだ。


「大丈夫ダ……俺なラ、やれル。きっト大丈夫だ」


 青年は地面に転がった瓶の破片に映り込む自分に、そう言い聞かせた。人間の顔に爬虫類じみた大きすぎる両の目。口は耳まで裂けて、仕舞うことのできない青い舌がぬらりと光る。

 この容姿のせいでずっと忌み嫌われてきた。物心つく前に親には捨てられ、路傍でも目が合えば、見知らぬ誰かに容赦なく石を投げつけられた。まともな働き口があるわけもなく、幾度となく盗みに手を染めた。

 振り返ればろくでもない人生だった。

 幸せだと思えたことなんて、四本しかない片手の指で数える意味すらない。

 だがそれもここで終わる。

 不遇なだけの人生に終止符が打たれ、同じ苦しみを味わっている仲間たちは救われる。そうすることで初めて、無意味で無価値だったこの人生に意味が生まれると確信している。

 あの日、あの場所で、あの方に声を掛けられたことはきっと人生最大の幸運だった。あの方の教えに導かれ、青年は今日ここで英雄となるのだから。

 これまでの不遇さえも、今日という日のために与えられた試練だったのかもしれない。今ではそう思えさえする。


「やレる。俺ハ、ヤれる。やれルんダ……」


 青年が繰り返し呟く自己暗示を掻き消すように、わっと報道陣が騒めきたった。全ての空気があの一点に集中していくような、あるいは張り詰めていた緊張が弾け飛んでいくような。

 青年はすぐさま気持ちを切り替え、路地の影から市庁舎を伺う。眩く瞬いている転写機カメラの先、警護士の群青色の制服に囲まれてターゲットが姿を現す。

 プルウィア市の現市長にして悪の根源――マルカス・ウェルス。

 奴を打ち果たすこと。それが青年の人生における宿願にして、あの方から授かった使命。


「市長! 異見子いみご権利法案について。世論調査では反対意見も根強いですがどうお考えですか?」

「州内ではかなり先進的な内容と見受けられますが、州評議会からはどんな反応が?」

「異見子に権利を与えるな! 奴らは凶暴な異常者!」

「必要なのは権利ではなく隔離! 必要なのは権利ではなく隔離なり!」

「市稟議会でも反対派多数との見方が強いですが、これからの秘策はあるんですか?」


 一斉に殺到する質疑と罵倒。ウェルス市長は屈強な微笑みを絶やすことなく、報道陣を一瞥して手を振る。


「市長――――」


 折り重なり、せめぎ合う声を切り裂いて、青年は路地から飛び出す。その場にいる人々の意識は今まさに放たれようとする市長の言葉に向けられていて、誰一人として青年が現れたことには気づかない。

 青年は着込んだ外套をはためかせてみるみるうちに加速し、そして人間離れした跳躍で報道陣の人垣を飛び越えた。

 腰を落としての着地。突然に躍り出た話題のである青年に、質疑も罵倒もぴたりと止んで場は一瞬だけ時間を失ったように静まり返る。ボディーガード代わりの警護士たちだけが、事態を理解したように青年と市長の間に割って入った。

 だが無駄だ。

 青年は背筋を反らし、外套の前を開け放つ。風に靡く外套の下。擦り切れた衣服の上から全身に撒きつけられた無数の爆弾が露わになる。


「悪ヲ倒スのダぁぁッ!」


 質疑と罵倒は一瞬にして悲鳴と怒号に塗り替えられる。報道陣もデモ隊も、一斉に踵を返して入り乱れながら市庁舎から離れようとする。

 青年は屈強な警護士が立ちはだかるのも関係なく、市長へ向けて突っ込む。当然取り押さえられたが構わなかった。ほんの僅かでも、数ミリメルトーでも、市長に近づけるならばそれでいい。

 不意を突いて目の前に躍り出ることができた時点で、使命は遂行されたも同然だった。


「――主に悦ビヨあレルーはス!」


 決して青年を救うことのなかった神に向けて痛烈なる皮肉を贈る。同時、青年の肉体に巻きつけられた爆弾がぼうと青い焔を噴く。遅れて大音声が吹き荒れる。

 青年の肉体を食い破るかのように広がった爆焔は四名の警護士と逃げ遅れた記者二名、そしてマルカス・ウェルス市長を呑み込んだ。

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