第4章 衝突 - 4

 スオウは警護局の前に急停止したペトロ七〇〇〇を、ほとんど捨てるような勢いで飛び降りる。そのスオウの形相はまるで襲撃者だったのだろう。入り口に立っていた守衛が通すまいと前に立ち塞がったが、スオウは腕の一薙ぎで彼らを弾き飛ばす。

 だだっ広い石造りのエントランスでは、スオウの到着を落ち着かない様子で待っていたオモトがすぐに見つかった。


「あのクソガキどもは無事か? やったのはどこのどいつだ?」


 スオウはオモトに詰め寄る。オモトは両手を挙げ、無抵抗を示しながらスオウを宥める。


「落ち着いて。ウルちゃんもネロちゃんも、擦り傷くらいはありますが無事です。命に別状はありませんし、後に引くような大怪我はありません。それと……やったのは彼女たちです」

「どういうことだ?」

「一応ですが、加害者はウルちゃんとネロちゃん。近所の公園で少年五人組と喧嘩。一人は腕の骨を折ったりしてまして、今、治療を」

「クソガキどもはどこにいる」


 スオウの怒気……もとい殺意を孕んだような声にオモトは気圧されつつ通路の奥を指し示す。


「……そのために呼んだんで案内はしますけど、くれぐれも落ち着いてください? こっちです」


 オモトに案内されて二階奥にある取調室へ。扉を開けると、ちょうどパイプ椅子に並んで腰かけるネロとウルと視線があった。


「あ、すおー――」

「お前ら、何考えてんだ?」


 膨れ上がる圧に空気が冷え込み、重力が増したような錯覚。オモトがスオウの視線に割り込んだが、一度目標を定めた猛獣の前に対峙するいかなる理性も無力だった。スオウはオモトを押しのけてネロたちに詰め寄る。ウルはスオウの怒りを敏感に感じ取り、怯えきって委縮している。一方のネロはスオウに睨まれながらも、怯えることはなく、真っ直ぐとスオウを見上げて、いち早く弁明の言葉を口にした。


「あのね、ちがうの。あのこたちが、いったの。ばけもののくせに、にんげんみたいないえにすむなって。ウルのこと、ばけものって。だから、おこったの」


 ネロはスオウとウルの間に立ち塞がる。拙い語彙から懸命に言葉を捻り出し、怒りに震えている鬼に立ち向かう。


「それでね、あたしが、もんくいったの。そしたらね、あのこたちがあたしのことぶったの。そしたらウルもおこっちゃって――」

「違くねえ。理由なんかどうでもいいんだよ。てめえがやったことは最悪だ。状況をまるで理解してねえ。まあてめえら馬鹿なクソガキどもには理解できねえのかもしれねえがな」

「あたしたちいけなくない。いけないのあのこたちだもん!」


 スオウに立ち向かおうとする緑色の瞳にほんの一瞬、かつての恋人の眼差しが脳裏をかすめる。それがさらにスオウの神経を逆撫でし、とうとうこめかみに浮かんだ青筋が音を立てて爆ぜた。


「てめえ……」


 スオウが凄み、さすがのネロも肩をびくりと震わせる。

 スオウのなかで激情が迸っていた。一体何に対して怒り、何に対して哀しんでいるのか、自分でも分からなかった。だが器に注ぎ続けた大量の水が溢れるのと同様に、スオウのなかの激情も出口を求めて吐き出される。


「お前が家を出て、よそ様のガキに突っ掛かったことで状況は最悪だ。今ごろ皆がこう思ってる。やっぱりバケモノだから暴力を振るってくるんだ、ってな!」

「ちがうもん!」

「違うかどうかは問題じゃねえ! てめえが安い正義感でやったことは、そうやってウルをより苦しめるだけなんだよ!」


 稲妻ごとき威力を持った言葉が容赦なくネロに降りかかる。最初は委縮していながらも、一方的に責められるネロの窮状に我慢ならなくなったウルがスオウへと飛びついた。


「やめやがれです!」

「てめえもてめえだっ!」


 脚にしがみついたウルを、スオウが払いのける。ウルは勢いよく尻もちを突き、スオウの怒気にあてられて大きな黒目に涙を溜めた。


「騒ぎを起こしやがって。いい迷惑なんだよ。それとも何だ? てめえは本当にバケモノか? 獣みたく相手に噛みつくことしか能がねえってんなら、今すぐギャレット荒野にでも捨てに行くぞ」

「ちょっと、先輩、さすがにそれは言い過ぎですって」

「関係ねえ奴は黙ってろ!」


 スオウの怒号が響き渡り、凍りついたように救護室の空気が硬直していった。重苦しい沈黙が満ち、それぞれのやり場のない感情が横溢した。

 やがて虚空に向けての大きな舌打ち。スオウは踵を返す。


「……帰るつもりならさっさと車に乗れ。そして二度と出しゃばるな。俺がいいというまで家からは出さねえ。それが嫌だってんなら金輪際、俺には関わるな。いいな?」


 取調室の扉が勢いよく閉められる。後には少女たちのすすり泣く声が弱々しく響いていた。



 スオウは取調室を飛び出したその足で隣接する治療施設へと向かった。警護士が常に危険と隣り合わせの職務だということ、また事件被害者などの安全性の観点などから言っても、こうした医療機関が警護局と並び立っている。

 やはり石造りになっているエントランス奥の待合スペースに着くや、鋭い金切り声。見れば神経質そうな女が腕を布で吊った子供を連れながら、職員に何かを喚いている。職員は困り果てた笑顔でなんとか宥めようとしているが、女に聞く耳はない。

 スオウと子供の目が合う。子供の年は一〇歳前後。スオウは真っ直ぐに親子へと近づく。子供が母親の服を引っ張り、母親もようやくスオウの接近に気づく。眼鏡の奥の瞳はスオウの風貌に気圧されながらも、無差別な怒りを滾らせていた。


「な、なんですか、アナタは?」

「ミカトレアさんだな?」


 母親の険しい無言が答えだった。スオウは続ける。


「この先生は無関係だろう? 解放してやってくれ。アンタの怒りは、俺にだけ向けられるべきもんのはずだ」


 スオウは言って、床に手と膝をつく。そして額を擦りつける勢いで深々と頭を下げた。


「お宅の息子さんをとっちめたクソガキのだ。本当に申し訳ないことをした。俺が迂闊に目を離したせいだ。深く詫びる」


 伏せているせいで母親の表情を伺うことはできなかったが、それでも煮え滾っていた怒りの矛先を見つけ、それが爆発するのが分かった。


「アナタねぇっ! そっちの子が何したか分かってるのっ? あたしの大事なケーちゃんのことこんなにして。綺麗なお顔にまで傷つけたのよ? 謝って済むと思ってるの?」

「申し訳ない」

「だから! 謝って済むわけないでしょっつてんのよっ!」


 スオウの後頭部に容赦のない叱責が降り注ぐ。叱責は間もなく罵詈雑言へと変わり、ネロとウルを激しく侮辱した。


「聞けば、異見子だっていうじゃない。バケモノを家で飼うなんて。バケモノと一緒に暮らしたりするから、もう一人の子も気性が荒くなるのよ。どんな教育方針なのかしらねえっ! 全く。近所にアンタたちみたいのが住んでるって思うだけで、こっちは夜も眠れないわ。存在が不愉快なのよ。さっさと消えてくれないと地域全体が困るの!」

「奴らはクソガキだが、バケモノじゃない。話せば言葉の通じる人間だ」

「何よ、それ。話をする前にそっちが襲い掛かってきたんでしょ! それとも、あたしのケーちゃんに襲われるような問題があったとでも言いたいのっ? ふざけんじゃないわよっ! 被害者はこっちなのよ!」


 逆上した母親がヒールでスオウの頭を踏みつける。


「そう言うつもりはない。だが異見子であることと、喧嘩したことは関係ない。確かなのは、全て俺の責任だということだ」


 スオウは何度も踏みつけにされる。しかし床についた額と手足を決して上げることなく、頑なに謝罪を続けた。あまりに一方的な叱責に、待合スペースは徐々に騒めき立っていく。


「ねえ、ママ……周り」

「なあに、ケーちゃん?」


 ようやく我に返った母親が周囲の状況に気づく。誰かが端末内蔵の転写機カメラでシャッターを押した。


「だ、誰よ今撮ったのはっ! 何のつもりなの、私たちたちは被害者で……く、ケーちゃんもう帰るわよっ!」


 母親は息子の手を引いて帰っていく。引っ張られてよろめいた息子を怒鳴る姿に、再びシャッター音が響く。

 親子の姿が見えなくなってから、スオウはようやく顔を上げた。背後で最初のシャッター音を押した青年に向けて、振り返ることなく声を掛ける。


「どういうつもりだ、オモト」

「どういうつもりも何も。憧れの先輩があんな奴に踏まれてるの見て、楽しい後輩はいませんよ」


 オモトは端末を操作して表示されていた写真を消去し、スオウにハンカチを差し出す。スオウは受け取ったそれで切れた額の血を拭った。


「ネロちゃんたち連れて車まで行ってみたら、先輩いないんで。たぶんここかな、と思って身に来たら、案の定、踏まれてたんで。援護射撃でした」

「礼は言わねえぞ」

「もちろん。僕が勝手にやったことなんで」


 オモトは端正な顔に悪戯を成功させた子供のような笑顔を浮かべて、親子が去っていった入り口を見ている。スオウは立ち上がり、戻るぞとオモトの肩を叩く。

 本来、子供同士の小競り合いなど公安部の人間であるオモトの与り知るところではない。だがオモトがアンテナを張り、ネロとウルが起こした騒ぎにいち早く反応して場を預かってくれたおかげで彼女たちは無事だったのだ。本来ならば感謝してもしきれない大きな借りだ。


「それにしても、先輩変わりましたね」


 しばらく歩いて、オモトが不意に溢す。


「あ? 何が」

「正直ヒヤヒヤしてたんですよ。先輩がキレて、あの母親ぶん殴らないかって。でもそうはならなかった。誰かのために頭を下げる先輩なんて、初めて見ましたよ」

「てめえは俺を何だと思ってやがる」

「もちろん、尊敬してますよ。圧倒的に強くて、どんな雑音もその力で黙らせる。僕が憧れたのは、そういうスオウ・アララギだったんで。でも、誰かのためにどんだけ蔑まれても必死に頭を下げる先輩も、めちゃめちゃカッコよかったです」


 真正面から向けられた思わぬ褒め言葉に、スオウは何と返すべきか分からず吐き捨てる。


「ったく、うるせえよ」

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