第3章 言葉の刃と鉄の礫 - 1

 プルウィアのセントラル地区に位置する、ローカル放映会社としては最大手のハーゼス放映社。スオウは後部座席にネロとウルを乗せた愛車のペトロ七〇〇〇を走らせて、その要塞じみた巨大な建物へと向かった。

 受付で事情を説明すること十数分。ようやく確認が取れたらしく、関係者証が三人分渡される。この身なりで、しかも子連れとあれば怪しさしか感じられないのだろう。おまけに全員まとめて煤だらけで焦げ臭い。ディアフ人の受付嬢は最後までスオウに怪訝な眼差しを向けていた。

 そのままエントランスホールで待つことさらに数分。奥のゲートを潜ってスーツ姿のネブリナが姿を現す。ネブリナはスオウたちを見つけるや、隠すこともせずに顔をしかめた。


「思っていたよりもお早い心変わりでしたね」

「変わったのは心じゃねえ。状況だ」


 ネブリナの棘のある言葉に、スオウは言い返す。ネブリナは不機嫌そうに眉を顰めながら、スオウの傍らでじっとしているネロとウルを順に見やる。


「ええ、事情は聞きましたよ。ですがまさか子連れで来るとはね」

「うるせえな。他にどうしろってんだよ。好きで連れてるわけじゃねえんだ。そもそも俺だって、付き纏われて困っているくらいだ」

「そうですか。てっきり逃げた嫁に浮気相手と作った子供でも押し付けられたのかと思いました」

「随分と豊かな想像力だな。実の子じゃねえってとこ以外、何一つあってねえよ」

「それくらいは見れば分かりますよ。驚くほど似てませんから」

「大した観察眼だよ、まったく」


 スオウの軽口をとうとう無視して、ネブリナが歩き出す。スオウはネロとウルに目線を送り、三人そろってネブリナの後へと続く。


「それで、実際のところどうして俺なんだ? 言い値と言われりゃ俺は吹っ掛けるぞ。まあ何から守りゃいいかくらい教えてくれんなら、国一個くらいにまけてやってもいいが」


 スオウはネブリナの後頭部へ挑発的に毒を吐きかける。

 護衛の仕事を受けると決めた以上、はっきりさせておかなければならないことがあった。

 そもそもこの依頼は、不可解な点ばかりなのだ。

 まず依頼の経緯からいっておかしい。市長候補者という重要人物が、街の隅で漫然と過ごしている賞金稼ぎに護衛を依頼するなど、普通に考えればあり得ない。警護局に申請すれば警護士の三人や四人、すぐに派遣してくれるだろうし、多少アングラだがプルウィアには守護屋という護衛専門の武闘派職業もある。

 数ある選択肢のなかから、最もあり得ないスオウを選んだ理由は、想像できる限りろくでもないものでしかない。一つは〝鬼〟と称されるほどの戦闘力を誇るスオウでなければならない事情を抱えている可能性。もう一つは内密にスオウを護衛に雇い、これから起きると予想される厄介事を内密に処理したい事情を抱えている可能性だ。

 そしてどっちの理由にしても、単なる護衛の枠からはみ出した厄介な事案に変わりはない。

 スオウは足元をうろちょろしている二人に注意を払いながら、襲撃者について推測を巡らせてみる。

 たとえばマフィア。市長選は今後の利権の行方を左右する重要局面と言っていい。候補者の誰につき、誰をどう蹴落とすか、というのはこの街のマフィアにとって重大な関心事だ。

 あるいは異見子いみご。異見子の擁護派だった前市長が爆殺されている点を鑑みても、マリーンが安全に選挙活動を行えるとは思えない。つまり擁護論者を多少強引にでも排除しようとする思惑が、このプルウィアで錯綜している。そして往々にして常人の身体能力や常識を超える異見子いみごに対処するには、並みの護衛では難しいだろう。

 そしてもちろん〈次元の開け〉という説や女優時代からの偏執的で熱狂的なファンの脅迫という可能性もある。想像していた以上に、マリーン・マルマロスという女の命を狙う敵は多いのかもしれないことに気づき、スオウは辟易とした。

 何にせよ、マリーンが一体何者に狙われた結果、スオウを頼る羽目になったのか――そこだけははっきりさせておかなくてはならなかった。


「一体誰がマルマロスを狙う? 異見子の権利を保証しようなんて優しい考えの持ち主が命を狙われる理由が思いつかねえな。まあもちろん、その権利保証で拡大した福祉や生活補助金が大して裕福でもない普通人の懐を押し潰すわけだが、まあ顔も見えねえ市民からはいくらでも搾取すりゃあいいよな」


 さらなる挑発に、とうとうネブリナが振り返る。スオウを睨む視線にはほとんど殺意のような感情さえ込められている。


「随分とよく喋る盾ですね。それと、世捨て人同然に暮らしていると社会のことに疎くなるようなので警告しておきますが、今はそういう風評に非情に敏感な時期です。これ以上、根も葉もない噂を流して攪乱するなら、こちらにも考えがあります」

「おいおい、こっちは命が懸ってるんだ。知る権利があるだろうが」

「貴方の命なんて、私たちの与り知るところではありませんから。貴方は所詮、盾。マリー……こほん、マルマロスさんを守るために動けばいいんです」

「てめえ……」


 スオウが今にも殴りかかりそうな形相でネブリナを睨む。ネブリナもまた、虫けらを踏み躙るような高慢な視線で立ち向かう。

 だが張り詰めた空気が爆ぜるよりも先に、スオウたちとネブリナは目的地に到着した。


 マリーンが出演中だという情報番組のスタジオはビルの四階。白と青を基調とする清廉なセットの真ん中で、大学教授や政治評論家、異学研究士に混ざって座るマリーンの姿があった。


「いやぁね、マルマロス候補の言い分は分かるんですよ。でもね、綺麗事だけじゃ政治は務まらないんですよ」

「異見子である、ということに罪がないのは確かです。しかし現に異見子は犯罪に走る。統計データではプルウィア市で起きる凶悪犯罪の六二パーセントが異見子によるものなんです」


 丸眼鏡の大学教授と若く精悍な雰囲気の政治評論家が言う。マリーンはそれらに対し、毅然とした態度を崩さずに反論する。


「つまり三八パーセントは普通人による凶悪犯罪、ということですよね? 加えて、普通人よりも身体能力に長けている場合が多い異見子の犯罪は凶悪と見做されやすい。たとえば私たち普通人が人を殴ってもせいぜい骨を折る程度ですが、筋力が発達した異見子が拳を振るえば、人の頭蓋骨は簡単に砕け散ります」

「それこそ、異見子が危険な存在たる所以じゃないかね。それに、異見子を擁護していくということは国が取り組んでいるスクラマト信徒の取り締まりに逆行している。このプルウィア市が、スクラマト信徒のセーフティーネットとして機能してしまっては、さらなる治安悪化が想定されるでしょう。ただでさえ最近は、降臨祭だかの影響で市内に流入している信徒が多いと聞く」


 髭を蓄えた白髪の異学研究士が眉を顰める。

 スクラマト信徒というセンシティブな単語に、スタジオ全体が緊張を走らせる。

 そしてこれはマリーンにとっても痛い指摘に違いない。異見子を認めるということは、スクラマト過激派の主張に一定の理解を示してしまうと同時、彼らの破壊活動の根拠として利用されることが懸念される。

 どうやらこの場はマリーンをやり込めるために整えられた壇上らしい。マリーンは孤立無援で各方面の専門家たちと渡り合わなければならないようだった。

 だがマリーンは平然と応答する。


「ええ。ですが私は密教スクラマト自体の問題視はしていません。むしろ共和国憲章に基づけば、信仰や思想は自由の名の元に保証されるべきでさえあります。彼らの問題もまた、異見子を取り巻く状況と同じです。つまり、一部の人間の愚かな行為によって、全体が虐げられようとしている、という状況です」


 うまくすり替えたな、とスオウは思う。マリーンはスクラマト信徒を使った反論には取り合わずに、自らの土俵に引き摺り返した。それはただ問題を先送りにしたに過ぎないが、限られた時間のなかで自らの主張を余すことなく伝える必要があるこの場では最善の判断と言えるだろう。


「異見子でもスクラマト信徒でも、彼彼女らが逸脱行為に走らざるを得ない根本原因の一つは、社会的に仕組まれた抑圧にあると思うのです」


 マリーンは用意していたフリップを取り出す。異見子の現状を改善しようとする、マリーンの本気が伺えた。


「心理学では幼少期に抑圧された子供は衝動的な傾向が高まることが認められています。異見子は親に愛されないのみならず、様々な抑圧に晒され続けるのですから、衝動的な暴力に傾倒しがちになるというのはある意味、理にかなっているんです」

「ですが、全ての異見子が抑圧の結果として暴力を振るうわけじゃないですよね?」

「ええ、もちろんです。今言ったことは異見子に限る傾向ではありません。こうした抑圧の解消の一つの手段として、教育が役目を果たす場合もあります。もちろんこれは学歴やその後の社会的地位の話ではなく、得た知識や知恵が暴力以外の選択肢を見つける視野を養う、ということです。ですが多くの場合、異見子は教育の機会さえままならないのが現状です」


 マリーンはフリップを効果的に使いながら、異見子が凶悪犯罪に至る複雑な経緯を簡潔に説明していく。どうやらマリーンの意識は既に、席を同じにする論敵だけでなく、電波の向こうで番組を見ているであろう世論に向けられているらしい。


「社会的抑圧の一つの表れとして、異見子は学校でのいじめに遭います。あるいは一部の保護者の要請や学校の方針で締め出されてしまう。本来受けられるはずの教育の機会は、こうして彼らから奪われるのです」


 実に論理的だ。決して同情や憐れみという感情論に頼るのではなく、データや統計をもとに異見子による犯罪増加の責任の一端が社会そのものにあることを証明しようとしていく。

 それからも議論は続く。やがて放送時間が終盤に差し掛かり、マリーンは映写機カメラに――プルウィア市、あるいはスタフティア共和国全体に向かって力強く語りかける。


「私は危惧しているんです。市政という大きな力が、異見子に限らず、差別と排除いう悪徳にお墨付きを与えてしまうという前例を作ることを。もし自分たちと違うものを排除することに慣れてしまったら、私たちはもう後戻りできなくなってしまうんです」

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