序章Ⅱ - 2

 スオウは乾いた大地を駆ける。巻き上がる砂塵を切り裂き、響く悲鳴を置き去りにして。振り返ることも顧みることもない。ただひたすら真っ直ぐに、罰を求めて走る。


 ギィィィィイイイイイオオオオオオオオオオオッ!


 スオウの接近に呼応するように巨大な金属同士を擦り合わせたような〈異貌〉の叫びが発せられる。その凄絶な響鳴は互いの視界を覆っていた砂塵を吹き飛ばし、半ば強引に両者を対峙させる。

 交錯する鬼と怪物の視線。露わになるその異形。

 地表から生え出たムカデのように長い体躯は目測で一五メルトー。未だ地中に埋まっている部分も考えればかなり巨大なその体躯は鋼を連想させる獣毛に覆われ、半ばで二又に分かれている。それぞれの先には頭があり、大きく四つに裂けた口からは喉の奥までびっしりと牙が覗く。頭の先には血走った目が一つ。

 双頭大百足オルトペンドラ。アルロルド階位に基づけば上等丙級に分類される〈異貌〉だ。

 スオウはさらに加速しながら溜息を一つ。相手として不足はないが、どうやらまだここは死地ではないらしい。厄災と称される一三匹の甲級〈異貌〉のうちの一匹――〝ギャレットの砂竜〟に比べれば、オルトペンドラなど恐れるに足らない小物だ。


 ギィィィオオオオオッ!


 商人たちが鉄砲の引き金を引く。銃弾はオルトペンドラの肉を穿って埋まり、そしてすぐに吐き出される。傷痕はまるで逆再生でも見ているかのように、瞬く間に治癒していく。

 人類にとって最大の脅威である〈異貌〉に通常兵器の類は意味を為さない。奴らの常軌を逸した治癒能力は、たとえ頭を吹き飛ばして心臓を貫こうと、瞬く間に回復させてしまう。

 だからいくら銃弾を浴びせようと、そのちくりと刺すような痛みではいたずらに〈異貌〉を刺激する以外の意味がない。


「下がっていろっ!」


 スオウは商人たちに向かって鋭く吼え、その前へと躍り出る。大百足の左頭が加速。スオウを呑み込もうとその大口を開けて迫る。およそ爆撃に程近い一撃に大地に大穴が穿たれる。


「だが遅い」


 自らの跳躍力と、さらにはオルトペンドラが生んだ衝撃さえも利用することで宙高くに回避したスオウがそう吐き捨てる。スオウの言葉に従って踵を返していた商人たちが歓声を上げる。しかしこれぞ好機とばかり。空中で身動きの取れぬ獲物へ向けて、大百足の右顔が空気を裂いて鋭い牙を剥く。

 ――ばくり。

 オルトペンドラの大口がスオウを容赦なく呑み込む。用心棒の登場に沸き立っていた商人連中の歓声は一瞬にして再び悲鳴へと変わる。

 大百足が逃げ惑う商人たちを見下ろす。四枚の口を花弁のように開いて威嚇しようとして、オルトペンドラの頭がびくんと痙攣した。

 次の刹那、大きな眼球から血が流れ出したと思いきや、大百足の右頭が粉々に弾け飛ぶ。肉塊と青白い血が降り注ぐなか、下顎の上に立つスオウの姿。その赤銅色の左腕は、陽炎を纏うように揺らめいていた。


「――そして甘い」


 スオウは残る左頭にそう告げ、下顎を蹴って跳び下りる。その間にも左腕が大きく波打ち、本来の腕としての体積を無視しながら、まるで水のようにその形状かたちを転じていく。

 通常兵器は通じず、まさに食物連鎖の覇者として君臨する〈異貌〉にも唯一の弱点が存在する。それがオラティコンと呼ばれる鉱石。その済み切った血のごとく赤い鉱石が発する磁場は〈異貌〉の治癒能力を阻害するにとどまらず、あらゆる生命活動を減衰させる効果を持つ。

 もっともそれはあくまで副次的な効果に過ぎない。オラティコンの持つ本来の特徴はその流性。堅固な鋼としての特性と同時に、流麗に蠢く液体としての特性を有するのだ。

 ゆえに人類は、オラティコンの形態変化加工を追求し、やがて〈異貌〉の脅威を退けるための唯一無二の武器を為した。

 攻性砂流鉄サルガネ

 人と〈異貌〉のせめぎ合いのなかで発展してきた技術の結晶を、人々はそう呼ぶ。


「――唸れ、〈アウストラリス〉。拾伍番じゅうごばん骨喰ほねぐい


 風を裂いて落ちながら、スオウは自らの左腕の号を呼ぶ。スオウの呼び声に応えるように、赤銅の左腕のオラティコン分子が激しく蠢き、スオウの着地と同時に一振りの巨大な刃を結ぶ。


 ギィィィィイイイイオオオオオオオオッ!


 オルトペンドラの左頭が咆哮。地面を豪速で這い、スオウに迫る。

 スオウも地面を蹴った。左腕を引き絞り、交錯の刹那に渾身の力を解き放つ。


「はぁあああああああああああああああっ!」


 一人と一体が真正面から衝突する。

 果たして死を踏み越え、勝利を掴んだのは――スオウ・アララギ。

 突っ込んだオルトペンドラの肉体が口から縦一文字に切り裂かれ、ギャレット荒野の乾いた大地へと沈む。やがて宙を掻いていた脚も動かなくなり、息の詰まるような静寂が荒野に広がる。

 策を弄することも、搦め手に頼ることもなく。ただ力のみ、脆弱な人の生身で巨大な〈異貌〉を捻じ伏せる。だがしかし、腕から転じ高々と天に突き上げられた刃は、まるで天を穿つ角のようで。

 爆発するように湧いた歓声と安堵のなかで、鬼と呼ばれた男はここではないどこかにある罰としての死地を望み、青い返り血に染まる視界を拭った。

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