第1章 掃き溜めの街の片隅で - 4

 プルウィアは眠らない。

 昼のそれとはまた違う、夜独特のギラつきが少しずつ街に満ちていく。ネオンが煌めき、派手な装いの男女が街を我が物顔で練り歩き始める。どこかのオープンバーからはドスの効いた重低音のリズムが刻まれ、若者の黄色い声が重なった。

 スオウは人の波を掻き分けるように、繁華街を抜けていく。

 元からそれなりに背の高いスオウである。本人としては普通に歩いているとしても、その一歩は大きい。まして比較が子供となればなおさらだ。

 スオウはちらと背後を見やる。空腹が満たされて眠くなったのか、いくらか口数こそ少なくなったものの、まだ楽しそうに話をしながらネロとウルは後ろを小走りでついてきている。


「なんだ、てめえら、まさか今日も泊まるつもりか」


 とてつもなくうんざりしている内心を惜しげもなく露わにしてスオウはあからさまな溜息を吐く。

 だがそんなスオウの気持ちを知らず、あるいはあえての無視を決め込んでか、ネロは屈託のない無垢な笑顔で大きく頷く。隣りではウルが黒目をきらきらさせながら、眉を顰めたスオウの顔を見上げている。

 今日は久しぶりに家でのんびりできると思っていたのだが、悪意など欠片もなくまとわりついてくる二つの純真な眼差しに、スオウはとうとう根負けする。


「はぁ……勝手にしろ、クソったれ」


 家主の許可が出たと、少女たちが笑顔を見合わせる。もう一度深く吐き出された溜息は、その表情によっていとも容易く吹き飛ばされていく。

 スオウは再び歩き出す。来たときとは別ルートを選び、人気の多い大通りを進む。

 プルウィアは良く言えば坩堝、悪く言えば掃き溜めである。集まってくるものは人種や文化のみならず、他に行き場のない暴力や犯罪も同様だ。だからまず、プルウィアにやって来た新参者に対し、絶滅危惧種である親切な住民は昔からあることわざを教える。

 曰く、〝暗闇は即ち死である〟と。

 もちろんスオウ一人ならば、家までの最短経路である入り組んだ暗い路地を通ることに問題はない。だがネロとウルを抱えた状態で、さっきのような厄介事に巻き込まれるのはもう御免だった。

 やがて歩くスオウたちはアルドア交差路に差し掛かる。

 三車線の五叉路になっているアルドア交差路は、信号の変化とともに一斉に動き出す人や車が圧巻だと話題を呼び、今では立派な市の名所の一つだ。東のアヴァン大河を越えて遊びにやってきたフェルゼ八州連合の奴らなどは、人と車が行き交うだけの絵の何が面白いのか、この場所で転写機カメラを構えたりなんかして、観光を楽しんでいる。

 スオウは後ろの存在を確認しつつ、逸れぬように速度を落とす。信号が変わるのを待っている間にネロたちが追いつき、スオウの膝あたりに左右からぴったりとくっついてくる。


「暑い。邪魔だ」

「そうやっててれるんだからぁ。すおー、こぉいうの〝りょうてにはな〟っていうんだよ?」

「すおー、てれてやがるです?」

「はっ、冗談も大概にしとけ。雑草の間違いだろ?」


 ネロが頬を膨らめた。

 間もなく信号が青に変わり、一斉に人が動き出す。スオウは仕方なく少女二人を両脇に抱えた。


「わわ、すおーてばたかいよ。すごぉい!」

「すおー、おなかくすぐってぇですよ!」

「うるせえ! 黙って運ばれてろ」


 ウルが異見子だからか、あるいはどう見ても堅気ではないスオウが堂々たる人攫いにでも見えたのか。すれ違う人々がスオウを振り返る。刺さる視線と不快なざわめきに、スオウの眉尻がぴくりと動く。


『――異見子は決してバケモノなどではないのです』


 頭上から降り注いだ力強い声。視線は逃げるように逸らされ、ざわめきも興を削がれたように霧散していく。声を辿って見上げれば、アルドア交差路を見下ろす時計台の巨大映写板スクリーンに、短く切り揃えた銀髪に単眼鏡モノクルが印象的な美女が映っている。


『暴力に身を委ねているのは、何も異見子に限ったことはありません。私たち普通人のまた、同様に暴力に頼り、犯罪に身を染める。彼らは決して特別ではないのです』


 フラッシュが瞬く画面のなか、女は真っ直ぐに強い眼差しで決然と話している。画面の下には〝マリーン・マルマロス候補 異見子政策の是非を語る!〟というテロップが流れている。

 どうやら映写板スクリーンは市長選関連のニュースを流しているらしかった。


『抑圧は反感と離脱を生みます。つまり社会的に抑圧された異見子かれらは、このプルウィア市政に対して敵愾心を抱き、そして逸脱していくことになる。それでは駄目なのです。私たちは今だからこそ、偉大なるウェルス前市長の遺志を継ぎ、互いに手を取り合い、未来を歩むべきなのです』


 マリーンは決然と言い放つ。

 だがそれは机上の理想論。現実ではまともな議論にすらならないだろう。いくら頭ではそうすべきだと理解していても、感情がそれを許さない。大抵の人間は異見子の〈異貌〉を連想させる外見に恐怖と不安を抱くし、支持率の高かった前市長を異見子が爆殺した事実は絶対に消えない。


「ふざけんな! この世間知らずのクソ雌犬ビッチが!」


 冷めきったスオウの所感を証明するように、行き交う人波のなかでそんな声が上がった。画面に向かって投げつけられる、くしゃくしゃに丸められた新聞紙は、もちろん映写板スクリーンのマリーンに届くはずもなく、情けない放物線を描いて地面に落ちる。


「あいつらは〈異貌〉の落とし子だ! あれを認めちまったら、人類はあっという間に食い潰されて終わりだ! んな、ことも知らねえで、がたがた抜かすんじゃねえ!」


 映写板スクリーンに向かって叫ぶのは、浮浪者然とした小汚い老人だった。老人は酒瓶を呷り、回らない呂律でまた声を荒げる。千切れ飛んだ左脚の代わりに松葉杖をついているあたり、二三年前に終結した第八〈異貌〉戦役の従軍者なのだろう。つまり彼は、身をもって〈異貌〉が人類と相容れない存在だということを知る世代の人間ということになる。

 普段ならば酒に酔った浮浪者の言葉などに、誰も耳を傾けはしない。だがこの瞬間だけは、彼の叫びは間違いなく市民の声を代弁しているように思えた。

 スオウはアルドア交差路を渡り切り、家路を急ぐ。もう誰の目に留まるのも得策ではないように思えた。


「ねぇ、ウル? あのがめんのひと、すっごいきれぇだったねぇ」

でやがったです、あのおんな!」

「ふふふ、じゃないよ~、それをいうならだよ~」


 脇に抱えられたままの二人が呑気にそんなことを話し始める。スオウがお前らも見てたのか、と思いネロを見やると、ちょうどこちらを見ていたネロの視線とかち合う。


「すおーもそうおもうでしょ?」

「あ? 何が」

「あのおんなのひと、とってもきれい」

「ああ」


 雑な返事をしつつ、スオウはさっき見たばかりのマルマロス候補の顔を思い出してみる。

 スオウは元々、興味のないことには一片も記憶容量を使わない性質である。まして政治家や権力者は好悪で言えばそれだけで迷わず嫌悪の部類に入る。だから外見の美醜で政治家を見たことなどなく、ネロに言われてもピンとはこなかった。


「まぁ、ヘレアック人ってのはだいたいあんなもんだ。ほら、さっき飯屋であったあいつ、インマオとかな」


 一般的な人種特徴として、銀髪のヘレアック人は容姿が優れていると言われている。彼らは民族的に短命である故に、進化の過程で他人に好かれやすい容姿である必要があったのだと、大陸人類学では説明される。確かに、スオウの人生における経験則から言っても、負の方向で目に付く外見のヘレアック人というのには出会ったことがない。

 だがスオウの解答が不満だったのか、ネロは唇を尖らせる。


「そういうことじゃないのにぃー」

「マリーン個人の話なら、そりゃ当然だろ。元人気女優様だからな。何をとち狂ってこんな国の端っこで政治なんかに首突っ込もうと思ったのかは知らねえが」

「えぇ、じょゆーさんなのっ? てれびとかでるのっ?」

「さっきだって出てただろうが。んだよ、お前。そのブッサイクな小汚ねえなりで女優にでもなりてえとか言い出すつもりか?」

「わぁーっ、ウルいまのきいた? すおーさいてー。れでぇーにぶさいくっていったよ!」

「すおー、ひでえです。れでぇーに、しれいでやがるです!」

「はっ、笑わせんなよ。どこにレディがいやがるんだ?」

「ここ! ここにいるもん!」


 ネロが自分を指差して叫ぶ。


「おいおい、世の中はいつから芋みてえなガキをレディと呼ぶことにしたんだ?」

「うー、すおーもうしらないもんっ!」


 ネロがぷいと顔を背ける。そのまま黙って運ばれていろ、とスオウは大人げなくほくそ笑む。


のへあっくじん、みつけやがったです!」


 だが今度はウルが四肢をばたばたさせて騒ぐ。くそっ、いつになったら静かになるんだこいつらは。スオウは内心で天を仰ぐ。


「ああ、そうだな。綺麗だな」


 もうどうでもいいので、てきとうに肯定しておく。早く静かになってくれ。

 二人を抱えつつ、随分と足早に歩いていたおかげでもう家が見えていた。スオウの視線の先に、ウルの言う通りヘレアック人の女がタイミングよく立っている。


「まるまるす! まるまるす!」


 このガキどもは一体何なのだろうか。スオウの嫌がることを率先してやっているのだろうか。

 ウルは口を噤むどころか、人差し指で前を指しながら声を上げる。


「馬鹿、知らねえ人に絡むな。てか指差すな。折るぞ。……すいませんね、このクソガキどもが失礼して……」


 スオウは家の前に立っているヘレアック人の女に会釈して前を通り過ぎようとする。そしてようやく認識した女の顔に、思わず足を止めた。女が口を開くまでもなく、スオウの背筋に猛烈な寒気が走った。、ってのはそういうことか。


「折るぞ、とは穏やかではありませんね。たとえ冗談でも、教育上不適切です」


 単眼鏡モノクル越し、淡い紫の瞳がスオウに向けられる。スオウはネロとウルを下ろし、追いつかない状況理解に頭を掻く。


「…………マリーン・マルマロス候補、だよな。なんであんたがこんなとこにいる」


 スオウの敵意と疑念剥き出しの問いにも、女――マリーンは穏やかに答える。


「スオウ・アララギ。貴方に会うために、ここへ来ました」


 聞きたくなかった最悪の想定が現実として語られ、スオウは深く溜息を吐く。しかしどれだけ吐き出そうと、胸の奥の騒めきが収まることは決してなかった。

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