第34話 追憶編・ルナティックピエロ

「ナオくうぅううん!!」


 例によって転校前の過去。


 ある日、六花が半泣きになりながら尚哉の元へと駆け込んできた。


「りっちゃんどうしたの!? その剣幕……イジメの時ですらここまでなかったのに……」


 六花の尋常でない様子に取り乱す尚哉。


「こ、ここ、こんな紙が私の机の上に置いてあって」


 と、六花は一枚の紙を差し出した。


『六花へ


 今日も元気そうでなにより。

 ところで、今日は尚哉さんは来ないのか。

 是非ともルナティックピエロを見せたいのだが。


 草薙ルナティックピエロより』


「なにこれ怖ッッッ!」


「………………」


 恐怖からか、言葉がでない六花。


「りっちゃん、大丈夫、大丈夫だから」


 意味の分からない怖さがあったが、とりあえず背中をさすりながら少女を落ち着けようとする尚哉。


「……ほんと?」


「ほんとほんと。相手に関節があるのなら──神が相手でもめてみせる」


 少年はまさに年頃で、とある病を発症していた。


 とはいっても、単にブーム的なもので、それも1週間ほどで飽きてやめてしまうが。

 それでも、父にも勝てない分際ぶんざいで神とは大したビッグマウスである。


「かっこいい……つまりナオくんが神……?」


「それとはちょっと違うような」


 だがその尚哉も所詮はニワカ。

 六花の発言によりすぐ素に戻る。


 しかし少女の胸には響いてしまった。

 すでにキラキラとした瞳を尚哉へと向けている。

 致命的ともいえる二人の相性の良さと出会いの経緯。

 それらが絶妙な具合に噛み合ってしまっているのだった。


「でも、なんか安心する……。うん、お陰様で落ち着いてきたよ。ナオくん、ううん、神様って呼んだほうがいい?」


「ごめんりっちゃん神はやめて。ところで、あの、言いにくいんだけど」


「なぁに?」


「その、ほら。手紙には草薙って書いてるじゃん? もしかして、りっちゃんの身内の人かなーって。例えば……李人リヒトさんとか」


「お父さんが!? お父さんってあのお父さん!?」


「テンパるのは分かるけど落ち着こう。自分でいったセリフに対して意味が分からない感じになってるから。そう、りっちゃんパパのリヒトさん」


「なんで!?」


「いや……俺のことを『尚哉さん』って呼ぶ草薙家の人間ってリヒトさんしかいないっていう単純な理由と、あともう一つあるにはあるんだけど……何か心当たりは?」


「ない……あのお父さんだし。でも、ナオくんの言うことだし、そうなのかも」


 異常なまでの尚哉への信頼感。

 ちなみにこの時、六花の目からはハイライトが失われていた。

 むろん、ヤンデレ的な事情からではない。


「ともかく、りっちゃんの家に行ってみようか。どちらにせよ俺も用事があったし」


「あっ、家に来てくれる予定だったんだね。じゃあ、一緒に行ってくれる? その……怖いから、手、繋いでほしい」


「承知。ちょっと荷物持ってくるから待っててね」


 かくして、二人は手を繋いで草薙家へ向かった。


 そして草薙家のリビングで彼らが見たものは──


「リヒトさんこんにちは…………その、アーティスティックな格好ですね」


 飾り付けられた部屋と、まさに狂気を体現したかのようなピエロの格好をしたリヒトだった。


「尚哉さん。来てくれたのか。アーティスティック……やはり、尚哉さんは、これの良さが分かるか」


 常人では分からないレベルでガッツポーズをするリヒト。


「…………」


 そのやり取りの間、六花はプルプルと震えながら尚哉の背中に隠れていた。


 尚哉とて、別に手放しでリヒトを褒めたわけではない。


 単に、『リヒトをけなす→場が暗くなる→六花が落ち込む』という状況を案じてのゆえだった。そして、もう一つの理由もある。


 六花のピンチと思い、すでに少年の頭脳は覚醒している。


 その証拠に、この部屋を目の当たりにした瞬間、彼の脳内にはとある過去がフラッシュバックしていた。


 ◇


『尚哉よ』


『なんだいDaddyダディ


『ダ、ダディ!?』


『父さん、っていう外国の言葉だよ』


『そんなことは分かっとるわ! いきなりアメリカンな感じで父に接するんじゃない!』


『最近、父さんって騒がしいよね』


『誰のせいだ、全く。本当にだんだん母さんに似てきてるのか……? コホン、それはともかく』


『あ、そろそろりっちゃんのところに行こうかな』


『フリーダムか貴様ッ!? ちょうどいい、今回はサブミッションじゃない、草薙家のことだ。まあ聞け』


『俺を引き留める奥の手を使ってきたね。やり方がコスいな……』


『本当にそれが主題だったのだ。父を悪く言うな。それでな、草薙家の──李人リヒトのことだ』


『え、りっちゃんでもルカさんでもなく、リヒトさん?』


『うむ。あいつは六花ちゃんの父だけあってな……たまに突拍子もないことを真剣にやる』


『父さんこそ何気にりっちゃんのことディスってない?』


『……でだ、もしそんなシチュエーション出くわしたとしても、褒めろ。アイツはな、純粋なやつなんだ。そうするとすごく喜ぶのだ』


『明らかに誤魔化したね。でも心外なことを言うのって紳士的にどうなの?』


『うむ……そこが悩ましきところ。【誠実であれ、時には虎になれ、だが優しさを絶対に忘れるな】。確かに紳士的に、嘘はいかん。それでも──お前はTPOに応じて態度や言動を使い分けねばなるまい』


『それってただの都合のいい二枚舌じゃん』


『うぐっ!』


『あっ図星?』


『違うわ! 思いのほか鋭い球が飛んできたからデッドボールしただけだ! ……尚哉よ』


『なにごともなく仕切り直したね』


『紳士道は奥が深い……だが、お前は父さんの息子。いずれ、父の言っている真の意味を理解する日も来るだろう……』


『…………』


『急に黙りこくってどうした? あまりの父の含蓄の深さに言葉も出ないか? フッ……お前はまだ若い。今はまだ分からずともよいのだ。いずれ──分かる』


『いや、なんか父さん本当に中二病みたいだなって』


『貴様アアァァ!!』


 その直後、少年は問答無用で関節をめられた。


 ◇


「そのう、りっちゃんが怖がってるっぽいので、顔のメイクだけ落とせません?」


「……六花の感性は、独特だからな。仕方がない。尚哉さんがそこまで言うなら、そこだけ妥協するか」


 草薙家の人間は尚哉に対しての評価が異常に高く、そして尋常でなく甘かった。


「…………」


 リヒトが退室してから震えは収まったが、今度はほうけた顔をしている六花。


「あれ? りっちゃん? 恐怖が去ったのにまだ放心してる……?」


「…………わたし、きえたい……」


「なんで!?」


 発言の原因は羞恥心──もっと言うなら、乙女心からだった。


『リヒトが痴態をさらす→草薙家の印象が落ちる→尚哉から六花への好感度が下がる』


 こんなことで嫌われることは決してないのだが、ネガティブな少女はそんな方程式を導いていた。


「ナオくん、私のこと見損なったよね……?」


「?? 見損なうポイントってどこかあった? いつも通り、美少女にしか見えないけど」


「ナオくんっ……!」


 パアッっと顔を輝かせる六花。

 尚哉に対して単純な彼女は、瞬時に持ち直す。


 と、そのタイミングで戻ってくる六花の父、リヒト。


「ふう。改めて尚哉さん、よく来た」


「リヒトさん──いや、ここは抱腹絶倒ほうふくぜっとうのルナティックピエロ、とお呼びするべきかな……?」


「!! ──六花」


「な、なに?」


 彼女の中では未だ尾を引いている。

 絶賛戸惑い中なのであった。


「尚哉さんを、絶対に放すな。何としてでも、我が家に繋ぎ止めるのだ」


「??」


 何となく父が大喜びしているのは分かる。

 だが、なぜそこまで喜んでいるのか六花には理解不能だった。


「そういえばルカさんはいらっしゃらないんですか? ルナティックピエロ、喜んでもらえるといいですね」


「うむ……そろそろ帰ってくると、思うのだが」


「??」


 この家の娘を置き去りにして話は進んでいた。

 尚哉の頭脳は未だ覚醒しっぱなしで、リヒトの真意をすでに理解している。


「ただいま~。尚哉くんの靴があったけど、来てくれてるのかしら?」


 そういうしている内に、六花の母──琉果ルカが帰ってくる。


「おかえり。誕生日おめでとう、ルカ」


「ルカさんおめでとうございます!」


「……あれっ? あっ、お母さんお誕生日おめでとう」


 未だに状況に追いつけていない少女。まるで流されるかのように祝いの言葉を口にするが、母の誕生日を忘れていたわけでもないし、キチンと誕生日プレゼントも用意している。


 ただ、ルナティックピエロの一件で一時的とはいえ、完全に頭の中から飛んでいた。


「まあ! みんなありがとう! あら、アナタ──その格好、私を喜ばせようと思ってわざわざしてくれたの? ふふ、嬉しいわ。大変じゃなかった?」


「それほどでも、ない」


「!?」


 リヒトの照れくさそうなセリフを聞いて、初めて六花は理解する。

 これは不器用な父が、誕生日の母を喜ばせようと用意したのだと。

 状況は理解できても価値観は全く理解できなかったが。


「まあ、座ってくつろいでくれ。場も用意してるし、プレゼントもある」


「あ、俺もプレゼント持って来てますよ」


 尚哉が『持ってくる荷物』というのはルカへの誕生日プレゼントだった。


「あの、お父さん」


「……? なにか?」


「えっと、なんで私に声をかけないで、書き置きみたいなことしたの……?」


「ああ。どうせなら、六花と尚哉さん、一度に見せたかった」


「………………」


 その言葉を聞いて六花は頭を抱えて座り込んだ。

 父の不器用な善意と自分が味わった恐怖。


 それらを天秤にかけるまでもなく──


『文句の言えない理不尽なジレンマに耐えるしかない』


 そう悟ったからだった。

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