第36話 終幕 彼と彼女以外にも過去の清算は要る

『本当に今さらなんだけど……あの時はごめんなさい!!』


 橋本さんのその言葉を聞いたとき、私は激昂しそうになっていた。


 イジメ、ナオくんとの確執を作った原因、ドロドロの大喧嘩、都合のいい謝罪……表情には出てないと思うけど、様々な想いが頭の中をうずまく。


 最後は文字通り醜い取っ組み合いの末、表面上の詫びの言葉こそ受けたが、そのまま和解せず別れた彼女。


 彼女の言う通り、本当に今さらな話なわけで。

 許すなんて考えは毛頭なかった。


 喫茶店で事情を聞くまでは。


 その時は色々と自分の中で考えることがあったので、ナオくんの『場の仕切り直し』の提案には、正直助かった。


 つい、『ナオくんがそういうのなら』なんて言っちゃったけど。


 帰ってからは過去のことを次々と思い返していた。


 イジメを受けた日々、ナオくんとの最悪の別れ、そして再会してからのこと。



 結論を出した私は、ナオくんが仕切り直しに指定した日──前回の喫茶店と同じ場所に集合し、同じ話題を再び始める。


 前回と違うのは、橋本さんの隣に橘くんが座っているということだ。


 どういうことだろう?


 橘くんはナオくんの方を見て申し訳なさそうにしていた。

 ナオくんはそんな視線を受けても平然としている。

 ナオくんかっこいい。


「それで、この前の話の続きなんだけど」


 いけない! さすがにこの場面でさっきの思考はお花畑すぎる!

 ナオくんの話の切り出しによって、私は正気に戻った。


「う、うん」


 橋本さんは緊張しながら返事をする。


「まず俺の結論から言うね。許すよ」


 まるで先日のことなんてなかったかのように、彼はあっけらかんと言い放った。


「──え?」


「や、この前は論外って言っちゃったけど、ノブから事情を聞いてね。今回はコイツに免じて許すって言ってんの。……そもそも俺、りっちゃんとのこと以外では実害がないし、橋本さんに対して許す資格があるのかどうか、って考えも自分の中にあるんだよね」


 やっぱり。ナオくんはそういう人だ。

 この前の論外って言葉。

 アレは私のために言ってくれただけで、本人自身は何とも思っていない。


「ッありがとう! 草薙くん、ありがとう!!」


 感極まった感じで橋本さんはナオくんにお礼を言う。


 あっ──! ちょっとなにドサクサに紛れてナオくんの手を取ってるの!? それが許されるのは奴隷候補の私だよ!? …………もう、意見くつがえしちゃおうかなあ。


「いや、俺にお礼はいいって。それより、本命のりっちゃんに聞きなよ。さすがに今日は喋ると思うよ。りっちゃん、いい?」


 ハッ! 危うくダークサイドに堕ちるところだった。ナオくんの声で正気に戻る。


 よし、気持ちを引き締めて真面目に応対しよう。


「私は……橋本さんのこと、まだ恨んでる」


「…………」


「ずっとずっと許せないと思ってた。この前の、『許されたい理由』を聞くまでは」


「え、でもそれは心からの謝罪にならないって──」


「それはナオくんの意見でしょ? 私は……その気持ち、分かる。分かってしまうから」


「……?」


「私がナオくんと再会した時、彼には絶対に許されないと思ってた。あんなことがあったとはいえ、裏切ったのは私自身だから。そこは他の人にを押し付けるつもりはないし、完全に私の責任」


「うん……」


「でも、ナオくんは許してくれた。私を罵倒することもなく、『悪いのは自分』とさえ言ってくれた。だから──罪を犯したあと許される喜びと救いの気持ちは……私自身、味わってるつもり。謝罪のセリフも、私がナオくんに言った内容に近いし……」


「…………」


「橋本さん、私も許すよ。あの時から続いてる負の感情は中々──もしかしたら一生消えないかもしれないけど、許すよ。裏切った私がナオくんから許してもらってるのに、私が橋本さんを許さなかったら……もうナオくんに顔向けできないから。感謝なら、私を許してくれたナオくんにしてね」


「!! 本当にごめんなさい!! それに二人ともありがとう!! ……うっうぅっ」


 そう言って、橋本さんは泣き始めた。

 本当に芯から反省していて、緊張の糸が切れたのだろう。




 その後はナオくん主導で場は解散した。

 高橋さんは橘くんに任せてその場に居残り。


 私たちは家路へと着く途中──彼と最初に出会った公園で休憩していた。


「俺たちが出会ったのって、ここなんだよねえ」


 先ほどの謝罪劇が尾を引いてるのだろうか?

 しんみりした雰囲気でナオくんが過去を語り始めた。


「うん、私がイジメられてるところをナオくんが助けてくれたんだよね」


 助けてくれて、私と出会ってくれて本当にありがとう。


「そうそう、あまりの美少女っぷりからイジメられてた、りっちゃんをね」


「もう! こんな時まで! いつもそう言ってくれるのは嬉しいけど、『化物は帰れ』みたいなこと言われてたでしょ?」


「…………もう、やめようか。橋本さんの件が終わってあいつらもケジメがつきそうな空気だし、俺もカタをつけないとなあ」


「!?」


 やめるってなに!?  橋本さんの件が終わって、カタをつける……。まさか実は私が許されてるのって表面上だけで……ケジメを取らされてこの場で私、断罪されてしまうの!? さっきの場ではあんな大見得おおみえを切ったというのに!? そ、そんな! これから──


「あっ、多分りっちゃんの考えてることとは違うからね。言い方が悪かったから恐らく見捨てられるとかネガってるんだろうけど、全然違うから」


「!?」


 見破られてる!? やっぱりナオくんエスパーだよ!! え、じゃあどういうこと?


「ええと、やめるっていうのは主語が一つじゃないんだけど……【紳士道】へは反抗期が終わっても戻らないとか、モラルを守るとか、そういうことね」


「? やめる必要があるの? ナオくんの信念みたいなものでしょ?」


「そうなんだけどね。そうでもしないと、今のところ、りっちゃんが心から幸せになれそうにないし。本当は、りっちゃんが過剰な罪悪感を払拭ふっしょくしてからがベストだって思ってたんだけど……もういいや」


「??」


「りっちゃん、お世辞でも冗談でもないから真剣に聞いてね? ずっと前から好きです。恋人でも奴隷でもいいので、俺と付き合ってください」


「!?」


 いま告白された!? ナオくんから!? え、あれ、これそういう流れ!?


「あっ、混乱してる」


「え、ぁ、う?」


「うーん……ここはかつを入れるか。りっちゃん! 返事ィ!!」


「ハイ! ふつつか者ですが私の方こそよろしくお願いします!! ナオくん大好きぃ!!」


 その言葉とともに、私は彼の胸へと飛び込んでいった。


 幸せ!




 そして。


 私たちはそのままベンチに座って語り合っていた。


「はー、りっちゃんってやっぱ、頑固だよねえ。結局、俺が根負けして折れる形に持って行かされたし」


「あの、そのことなんだけど……【今は紳士道から離れてる】みたいなこと言ってたけど、ナオくんの信念みたいなものじゃないの? モラルも結局はそれが元なんだろうし……」


「ああ、そのこと。さっき言った通りだよ。好きな子のためなら信念の一つや二つくらい曲げるってこと。程度にもよるけどね」


「好きな子ってまさか私!? 私のせいで信念を!? ぁ、一生をかけて償おうと思ってたのに、逆にナオくんに迷惑──」


「それはいいから。あと『まさか』とか、さっそくボケてくるのやめてくれる? それに、一生をかけて償うのも奉仕してくれるっていうのも、もうめないから安心していいよ。その分、俺がりっちゃんに優しくすればいいだけの話だし」


「────」


 この人は本当に、どれだけ私を好きにさせれば気が済むのだろう。


 ハッ! この場面、この雰囲気! もしや、あの伝説のキスというものが許されるシチュエーションなのでは!? でも私からねだるのもなぁ。厚かましい女って思われ──


「りっちゃん」


「むぐぅ!?」


 グダグダ考えたらナオくんからキスされました。


「いや……目をつぶってこっちに顔を向けてきてたし……違ったら申し訳ないんだけど、恋人なら許されるかなと」


「!?」


 無意識の内に行動に出てた!? 恥ずかしいいぃい!


「よし」


 そして決然とした顔で彼は──私の彼氏兼、ご主人様は言う。


「よしって、なにか決意したの?」


「うん。これからは加減なし、容赦無しでりっちゃんを口説いたりイチャイチャできるなって。すごく頑張るから期待しててね! ──りっちゃんが自分を超美少女って自覚できるまで【俺が分からせ続けるから】」


「私これからどうなっちゃうの!?」


 すでに骨抜きにされているというのに、これ以上……。

 私、ドロドロに溶かされちゃうのではないだろうか?


 これから待ち受ける期待と不安。

 それらが次々と頭の中をぎってゆく。


 ただ一つ言えること。

 それは、どちらにせよこれからの私は確実に幸せということだった。

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