第10話 追憶編・バブみクライシス
これは過去──【かいしんの一撃】を六花が喰らってから数日後。
最初は顔を合わす度に赤面していたもの……彼女の回復は意外に早く、もう普通に尚哉の顔を見ても大丈夫なようになった。
元々、六花は持ち前のネガティブさから、他人に対して心を開き難い。しかし、一度でも懐に入れてしまえば無条件でその相手を信頼するのだった。
ただ、今のところその相手は家族以外だと、尚哉くらいのものである。
さて、この日は先日とは打って変わって室内──六花の部屋で遊んでいた。
暗黙の了解とまでは言わないが、いつの間にやら、お互いのやりたい事に対して交互に合わせている状況だ。
本日は六花主体の提案による遊びをしようという話になった。
「で、りっちゃん。今日は何する?」
「うぅーん……女の子っぽい遊びでもいいの?」
「もちろんいいよ」
「じゃあ……おままごとなんて、ダメ?」
可愛らしく首を傾けながら尚哉へと問いかける。
「ままごとね。全然かまわないよ。配役とシチュエーションはどうするの?」
「えとえと。新婚ごっこにお医者さんごっこ……ううん、今日はちょっと変わった事やってみたいかも」
「変わったこと?」
六花のやる事は大体、変わっている。そう頭で思いはしても、口には出さない尚哉だった。
「うん。……そうだ、親子ごっこなんてどう?」
「親子か……いいよ。ということは俺が父親役で、りっちゃんが年頃の娘。反抗期に入ったりっちゃんから、俺はサブミッションを喰らえばいいのかな?」
「そんな殺伐とした親子いやだよ!?」
「えっ、殺伐としてる? 我が家だと笑顔でサブミッションが飛び
「それはナオくんの家庭が特殊なだけだよ……。普通の家庭は挨拶代わりに関節技なんてしないから。というか、笑顔で飛び交ってるんだ……」
相変わらず尚哉は変わっている。そう頭で思いはしても、口には出さない六花だった。
「じゃあ真剣な雰囲気で対峙してみる? 達人みたく」
「そういう問題じゃないよっ! とにかく、関節技は禁止で」
「そっか。それだと一気に選択肢が狭まっちゃうね」
「むしろナオくんの考えが少数派だと思うよ……? それより、配役は私が決めてもいい?」
「考えたらそっちの方が話が早いね。いいよいいよ、リクエストどうぞ」
「んーっと……そうだ、私、お母さんやってみたい」
「いいんじゃない? じゃあ俺はペットの役で」
「なんで!? それだと人間、私しかいないでしょ!?」
「日頃の家事と慣れないパートに疲れた、りっちゃんママ。それを癒やす、ペット枠の俺」
「そんな悲しい設定いやだよ! お母さんである必要すらないし!」
「それもそっか。これは──必要なピースが見えてきたぞ……!」
「ここ推理する必要ある……? それ、昨日あった探偵ドラマの影響?」
「ごめんね、ちょっとカッコ付けてみたくて。母と言えば必要なのは家族……しかし、りっちゃんは先ほど新婚ごっこを敬遠した。つまり、今は旦那を求めているわけじゃない。ここで俺が演じる役、つまり最適解は──子どもだ!」
「そうだけど……そんな回りくどく推理しなくても、私に聞けば一発じゃない? そもそも、最初に親子って言ったよね」
「だね。探偵の茶番、最後まで聞いてくれてアリガト。で、俺は子ども役ってことでいい?」
「うん。正確に言うと赤ちゃん役をやってほしいの」
「赤ちゃんか。これは、難易度が高いぞ……!」
「あ、そっか。男の子だし、赤ちゃんやれって言われても恥ずかしいよね?」
「いやそこは別に。単純に、配役になりきるのが難しいなって」
「抵抗がないどころか前向きなの!? じゃあ、大丈夫?」
「ベストを尽くす事を約束するよ。よし、さっそくスタートしてみようか。合図は出さないから、りっちゃんが返事した瞬間から始めるね」
「あっうん」
「ばぶうううううう!!」
「ナオくん……! 赤ちゃん役をこれだけ本気に演じる人、初めて見た!!」
尚哉、(本人的には)迫真の演技。彼はこういった内容もバカバカしいと斬り捨てず、真摯に対応する。
唐突だが、ここで彼と仲の良い友人のN氏との間に生じた、演技に関してのエピソードを紹介しよう。
◇
「おい尚哉。お前ってさ……ごっこ遊びの時、魔王でも姫騎士でもモンスターでも、なんでも真剣に役作りしようとするけど……羞恥心とか、ねぇの?」
「HAHA! HEY! NOBU! そんな野暮なもんはママのお腹においてきたぜ! こういうな、一見くだらない事に真剣になってこそ──人生はENJOYできるってもんさ! BOY?」
「お、おう。まあスタンスは理解した。それよりお前……たまに出てくる、その陽気なアメリカンみたいなキャラはなんなの? お前が母親のことをママなんて言うの、初めて聞くんだが!」
「えっ?」
「えっ?」
◇
六花との、おままごとに戻るとしよう。
「ちょっと、りっちゃん。いきなり素のコメントしないでよ。ちゃんと母として接してくれないと、困るな」
「ごめんね、ちょっと驚いちゃって。真剣にやってるナオくんに失礼だったね。次からはちゃんと対応するから!」
そこで六花は握りこぶしをグッと握った。そして、その
そして、目配せ──アイコンタクトから再び始まる母子ごっこ。
「ばぶうううううう!!」
「あらあらナオくん、お風呂に入れてほしいの?」
「ほぎゃあ」
「違うみたいね。おねむの時間かしら?」
そこですかさず、六花は尚哉を手元に引き寄せる。本物の赤ちゃんみたく、抱っこするには身体が大きい。
その代替行為か、尚哉の頭を発育の良い胸に招き入れ、包み込む。そのまま抱きしめながら背中をポンポン叩き始めた。まるで子守唄でも歌いそうな雰囲気だ。
「あ、あうあう」
果たしてこのセリフは尚哉の演技だろうか。それとも、素で戸惑っている声だろうか。それは本人にしか分からない。
「おねむでもないみたい。あ、お腹が空いたのね? そういえばこれ、ママのおっぱいが欲しい時の仕草だわ」
六花はスイッチが入ったことにより、完全に役に入り込む……というより、リミッターがぶっ壊れていた。
そして、服をまくり上げようと、おもむろに裾へと手をかけたところで────
「ちょっと待ったりっちゃん!!」
慌てて尚哉は六花の裾を抑える。
「……え、なに? まだ続いてる最中なんだけど……」
「あのさ、今……何しようとしてたの?」
「見ての通り、赤ちゃんのナオくんに、おっぱいを上げようとしてたんだよ」
「服を上げようとしてたって事は、哺乳瓶じゃなくて直にってこと? それも、フリじゃなく本気で」
「もちろんだよ?」
「りっちゃんそれアウトだから! 素肌は完全にアウト! 女の子のそういうのって、死ぬほど恥ずかしいんじゃないの!?」
「それはそうだけど……さっきも言った通り、妥協するだなんて、真剣に付き合ってくれてるナオくんに失礼だから。もちろん本当にお乳は出ないけど、それくらいは私もしないと……!」
「…………」
それを聞いた尚哉は頭を抱え……彼にしては珍しく、絶句のあまり咄嗟に言葉が出なかった。
「そんなわけだから──さぁ、ナオくん。ママの胸にいらっしゃい」
なおも続けようとする六花。
少年は、ここで人生の分水嶺を迎える。そう、将来の性癖が曲がるかどうかの……瀬戸際に追い詰められていたのだ!
その時である。
『六花~! 2人のオヤツの用意が出来たから、遊びを少し中断して取りにきてちょうだい!』
「ちょうど良いところだったのに……はーい! すぐ行くから~!!」
これも天の采配だろうか。
期せずして六花ママから助け船が入る。
「りっちゃん、俺も取りに行くの手伝おうか?」
「ううん、大丈夫。ナオくんはここで待ってて」
「そっか、ありがとね。ところで、親子ごっこなんだけど……ちょっと集中の糸が切れちゃったみたいでさ。しばらくは役に入り込めそうにないんだ。休憩を挟んだら、何をするかまた改めて話さない?」
「そうだね。私のテンションも元に戻ったし、さすがに同じ演技は恥ずかしくてできないかも。あ、でもナオくんが命令してくれるなら──」
「りっちゃん、お母さんを待たせちゃダメだよ。早く行ってあげないと」
「そうだった、それじゃあ行ってきます。すぐ戻るね~」
それだけ言って、六花は暢気に部屋から出て行った。
取り残された少年は────
「きょ、今日の【りっちゃんスイッチ】は
密かに身震いしていたという。
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