第22話 六花の記憶喪失()

 りっちゃんが記憶喪失になった。


 人に突然こう話しても意味がわからないだろう。俺も意味が分からない。


 話の経緯を聞いてみると……。


 朝も早くから、りっちゃんの家は大掃除をしていたそうだ。


 で、家事も進んで手伝う良い子のりっちゃんも、もちろんお手伝い。


 事はその最中に起こった。


 高い位置から掃除をしていこうと、棚の上に置いてあった缶(よくお菓子なんかが入ってる四角い箱。比較的軽い)を取ろうとした時に、手が滑ったらしく──頭を直撃したらしい。幸い中身がほとんど入ってなかったからか、不謹慎ながら軽快な音が鳴ったそうだ。


 それを目撃したルカさんは大慌てで介抱。音のわりにはタンコブすらなかったそうだ。俺の幼馴染みは思いのほか石頭なのかもしれない。さすがに当たった場所が場所なので心配になり念のために病院に連れて行った。


 特に外傷もなく角が当たったわけでもない。が、念のためと精密検査。


 結果は──異常なし。そのまま家に帰って経過をみてください、とのことだった。


 帰ったルカさんは、りっちゃんを休ませつつ俺に連絡してくた。家族でない俺にこんなに早く連絡してくれるなんて、ありがたい話である。最初、病院で検査という言葉を聞いたときは肝を冷やしたが、大丈夫だというオチまで聞いて一安心。


 どちらにせよ、りっちゃんの家には行く予定だったのでお見舞いがてら早めに向かうことにした。


 そこまでは良かった。問題はそれからだ。


 りっちゃんの部屋に通され、ベッドの上で横になった彼女から俺に対する一言。




「……どちらさまですか?」




 まるで温度のないような目だった。


 一瞬、冗談かとも思ったが、りっちゃんはこういう冗談は言わない。慌ててりっちゃんのお母さん──ルカさんを呼びにいったら、家族のことは普通に覚えていた。


 どうやら、それ以外の人間関係について思い出せないだらしい。


 再び慌てたルカさんは病院の先生に連絡。前後不覚とかいうのだろうか? 先生からは『記憶が混乱しているのかもしれません。必要と判断したらいつでも連れてきてください』と言われたようだ。


 精密検査で異常なしとのことで、そのまま経過観察ということなのか……俺的には心配でしょうがない。


 現在、状況に流されるように俺はりっちゃんの部屋で記憶喪失(?)の彼女と相対していた。とはいえ、りっちゃんはベッドの上。別にテーブルを挟んで向き合っているわけでもないが。


「………………」


「………………」


 なんだろう……同じ空間にいてこんな感じの無言が続くことも珍しいので、所在ないというか……。


 よし、まあとりあえず話しかけてみるか。


「あの、りっちゃん」


「……りっちゃん?」


 !!


 俺のことを覚えてない彼女に向かって愛称で呼んでどうするんだ……! 知らない人から親しげにされても本人としては戸惑いしかないだろう。少し辛いけど、いきなり慣れ慣れしくしてはいけない。ここは意識を切り替えていこう。


「ごめんね。つい、いつもの感じで呼んじゃって。俺は八坂尚哉っていうんだけど、りっちゃ──草薙さんとは……ええと、友達なんだよ」


 関係性を説明する時に少し詰まってしまった。友達でいいよね? 贖罪だとか奴隷だなんて余計なオプション言わなくていいよね? しかし俺、りっちゃんのことを『草薙さん』なんて呼んだことあったかな。すんごい違和感あるんだけど。


「やさか、なおや……」


 りっちゃんは噛みしめるように俺の名前を呟く。


「そうそう、いわゆる幼馴染みでね。とはいえ、一度引っ越して戻ってきたんだけどね」


「ひっこして、もどってきた……」


 さっきからりっちゃん、俺のセリフの一部を復唱してるだけじゃない? 大丈夫? あ、もしかして頭の中で過去がよぎって、記憶が戻りつつあるのかも!?


「うん、引っ越しから戻って来た八坂だよ。もしかして思い出してきた?」


「いえ、まったく……。尚哉さんは私の幼馴染みなんですね」


 ………………ん?


「えっと、俺と草薙さんは──」


「あの」


「はい?」


「『草薙さん』って私を呼ぶの、やめていただけませんか?」


 !?


 まさか──そこまで塩対応されてしまうというのか!? 学校で言われてる……ええと何だっけ。かき氷だとか氷結だとか……忘れちゃったけど。そういう感じでくると!?


 これ、思ったより心にくるな。でも、名字にさん付け以上によそよそしい言い方……?


「そっか、不愉快にさせたならごめん。何て呼んだらいい?」


 正解が全然読めない俺は、素直に聞くことにした。


「六花で」


「え?」


「六花で」


 いや、聞こえなかったんじゃないんですけど。『え? それでいいの?』って意味で聞き返したんですけど。えっ、初対面に近いこの状況下で呼び捨て? マジで?


「えっと…………六花?」


「はい! 尚哉さん!」


 この子なんなの? 本当に記憶無いの? 急に目が輝いてきたんですけど。


「記憶無いんだよね? 名前呼び捨てなんて嫌じゃないの?」


「……? 私たち、結婚を前提に付き合ってるんですよね?」


「いやそんな話した!? 1ミリたりとも覚えがないんだけど!?」


 なにこれ!! というか、そう言うわりには敬語も崩してないし! 大体、『ナオくん』と『尚哉さん』ってどっちが近しいのさ!? この状況込みで全然わからん!!


「それにしても」


 しかも俺の話を流してきた!?


「う、うん」


「記憶喪失も捨てたものじゃないですね!!」


「どういうこと!?」


 マジでどういうこと!? 至急病院へ搬送したほうがいいんない!? これ!!


「だって、また一から──新鮮な気持ちで尚哉さんとの関係を始められるなんて……。例えるなら感動した映画を記憶リセット状態で再鑑賞できるようなものですよ! たぶん!」


 ポジティブすぎだろ!!


 えっ、もしかしてこれがりっちゃんの本来たどるべき性格だとでもいうのだろうか? てっきり芯がネガティブ寄りだと思ってたんだけど……まさか、幼少の時にいじめられなかったらこんな風に育ってたとか? いやいやそんなまさか……。もしくは頭を打ったことで性格が少しバグったとか。









 まあそれはいいか。同一人物だし。俺的には嫌われてさえなければどっちの性格のりっちゃんでもいいや。会話した限り、いつもとあんまり変わらない気もするし。主に天然具合とか。


 と、そこで果物を切りに行っていたルカさんが戻ってきた。さっき呼びに行った際には中断させてスイマセン、いつもお世話になってます。


「あら? この雰囲気……六花、もしかして記憶が戻ったの?」


「ううん。大事な主人のことを忘れる不甲斐ない娘でごめんね」


 大事な主人……。彼女の中では一体どういう速度で関係性が進行しているのだろうか。ところで、主人って旦那って意味だよね。決して奴隷的な意味じゃないよね?


「えっ、主人? これはまさか……」


「ルカさん?」


 まさかって、何か思い当たることでもあるのだろうか。俺が何かした、とかいぶかしんでいる風でもない。なぜか草薙家において俺は異常に信頼されていたりする。でも、含みのある言い方されても記憶喪失に対してだしなぁ。


「尚哉くん、申し訳ないんだけど六花の頭を撫でてみてくれない?」


「?? えっと、はい」


 唐突になされた提案。真意が読み取れないので言われるがままに行動する。


 あ、そういえばりっちゃんって他人から頭を撫でられるのが苦手──なハズなんだけどな。普通に撫でられた。というか、むしろ自分から頭を差し出してきた。いつもと変わらん。相変わらずサラッサラだわ。


「やっぱり!」


「どういうことですか?」


 その真意を問おうとするが、ルカさんは俺の疑問に答える前にりっちゃんに問いかけた。


「ねえ六花、家族以外の人から頭を撫でられるのってどう?」


「嫌」


 まさに一言でバッサリ。返事短すぎである。


「じゃあ尚哉くんは?」


「……? なんで主人から撫でられて嫌がる必要が?」


「ほら!!」


 ルカさんは俺の方へ向かって手を合わせて得意げに言う。

 ほらって。だから、何がでしょうか。ルカさんも相変わらずだなあ。


「すいません、ご説明をお願いします」


 この二人、こういう所は本当に親子だと思う。


「六花は記憶を失った状態でも尚哉くんへの想いは残ってるってことよ! ……これはもうあの紙の出番かしら?」


「えー…………」


 もちろん気持ち云々に対しての不満ではない。それ、普通に言葉で聞けばよくない? いま目の前で実演させる必要あった? そして、あの紙ってなんだか不穏な呟きは何なんですかね。



 でも、二人とも思ったよりは平常運転というか、平気そうだな。記憶喪失なんていうと普通、もっと深刻なイメージがあるんだけど。


 うーん……そうこうしている内に、自分の中の緊急意識もだいぶ薄まってきた。俺はいっぺんおいとましようかな。なんだかんだ、家族で今後の事を話し合う必要もあるだろう。


「俺、今日のところは帰りますね」


「尚哉さん……帰っちゃうんですか?」


 ものすごく寂しそうな目で見られた。りっちゃん分かってる? 君、一応まだ異常事態真っ最中なんだよ?


「また来るし、なんなら連絡してくれればいいから」


 なおも寂しそうだったが、ひとまずそれで納得してくれたらしい。


 そうして俺は帰途へついた……が、連絡を取るのに肝心な携帯電話を置き忘れてきてしまった。俺も大概だなあ。


 そうしてりっちゃんの家へと戻ると。




「あれ? もうナオくんが来る時間だっけ? 私ってばお掃除してたらいつのまにか寝ちゃってたみたいで」




 この僅かな間に普通に記憶が戻っていた。


 終始、例の首輪を付けてたことについては俺は絶対にツッコまないぞ。


 なんかもうコンチクショウ。

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