第一五回



 ときは文政五年七月初め、西暦で言えば八月中旬。

 山青堂の前の火除地では神主が地鎮祭をしており、それに参加するのは羽織袴の地主達。彼等は幕府に税金を納めるの町人である。ただの借家人で、偽物の町人である達郎やお内、長屋の住民は、地鎮祭の様子を遠巻きに眺め、時折手を合わせて拝んだりしている。


「ようやく秋葉様が来てくださったか」


「これで一安心ね」


 というご近所さんの声。達郎の思い付きから始まった秋葉権現の勧請は、今こうして形となっている。その中で勧請錦絵を刊行して資金集めをした山青堂と達郎の役割は小さくなかった。

 達郎がふとおかしそうに笑い、


「どうかしましたか? 兄さん」


「いえ、何でも。ただ、この場所はそのうち……」


 この火除地はいずれ、秋葉権現に因んでこう呼ばれるようになるだろう――と。

 なお、山青堂での土蔵の建設は一足先に終わっている。


「これで火事が来ようと槍が降ろうともう大丈夫、どんと来いですよ!」


 とお内は大威張りだった。


「中身は空っぽですけどね」


 達郎のまぜっかえしにお内は嫌な顔をする。なお、空っぽは言い過ぎだが中身がかなり寂しいのは事実だった。建設費用が予定よりもかさんだために結局ほとんどの板木を売る必要があったのだ。残っているのは八犬伝くらいのものだった。


「錦絵の方はいくら売っても大して儲からないし……」


 とため息をつくお内。最初に刊行したおたきの錦絵は色数も経費も最小限だったため利幅が大きかったが、それ以降は豪華な多色刷りだ。このため手間賃がかかって少ない利幅がさらに減り、そもそも錦絵の値段は高くとも一枚二〇文。錦絵が売れに売れた、と言ったところでたかが知れているのである。


「ここらで真っ当な書肆らしく、ちゃんとした本で一山当てたいところなんですが。兄さん」


「判っています。妹さん」


 一山当てる、という発想が真っ当な書肆らしいかどうかはともかく、売れる本を出したいという考えに異議はない。一方左近は口を挟まずそんな二人を――特にお内の方を微笑ましげに眺めている。おたきの錦絵刊行により示された達郎の力を、お内はごく自然に頼っているのだ。お内が達郎を認めたことを、左近は我がごとのように喜んでいた。


「いずれは八犬伝みたいな読本を書くつもりだけど、まずは合巻から出していこうと思います」


 お内も「それがいいですね」と頷いた。

 ――まず、「読本」とは江戸後期に流行した出版物である。「三国志演義」や「水滸伝」といった中国の白話小説に影響されたのが始まりであり、このため内容は伝奇物が多い。文章中心の読み物なので「読本」と呼ばれるが、逆に言えば挿絵も多く、また重要だ。現代で言うならライトノベルの存在に近いかもしれない。「南総里見八犬伝」がその代表格であることは言うまでもないだろう。

 一方、挿絵中心で文章が添え物扱いなのが「草双紙」。「絵草紙」「絵本」とも呼ばれ、子供向けの童話の出版から始まった、と言えばどういうものか想像できるだろう。赤本・黒本・青本・黄表紙と変遷を重ね、最終的に至ったのが「合巻」という形態だ。当初は子供向けだった内容が次第に大人向けとなり、長編化する。このため従来別々に刊行されていた「巻」を合わせて五巻一冊として出版するようになり、それを「合巻」と呼んだのである。内容は敵討ちから伝奇物、猟奇物まで多岐にわたり、江戸の大衆本の中心となったあたりも、現代で言えば漫画の存在に近い。柳亭種彦の「偐紫田舎源氏」も合巻として出版された本である。


「今から用意すれば新年には充分間に合いますか」


 草双紙には「縁起物」という側面があり、年末から新年にかけて一斉に販売されるのが通例だったという(時代が下がればその限りではないが)。


「実はもう、書き進めています」


 と達郎は紙の束を取り出し、お内は軽く目を見張った。「さすがですね」と言いたいところだがそれはちょっと我慢する。

 紙の大きさは中本型(縦約一八センチメートル、横約一三センチメートル)。現代のB6判漫画とほぼ同じだ――B判は美濃紙を元に定められた日本の独自規格なので一致するのも当然だが。


「それでは拝見しましょうか」


 とお内と左近は横に並び、その草稿を読み始めた。達郎としては鬼編集長に持ち込み原稿を読んでもらっている新人漫画家のような気分だ。その題名は、


「『祓い屋三神極楽始末帳』……」


「妖怪退治のお話ですか」


 妖術使いや妖怪が出てくる伝奇物や妖怪物は草双紙の中でも一大ジャンルを形成しており、また達郎にとっても慣れ親しんだ分野だ。そして現代から江戸時代に翻案するのに選んだのは椎名高志の「GS美神 極楽大作戦!!」(少年サンデーコミックス)。連載は一九九一年から一九九九年まで、達郎が生まれる前に完結している漫画である。

 達郎が進学した先の京都府下には叔父が住んでおり、その叔父はオタクライフを満喫する優雅な独身貴族だ(精一杯の前向きな表現)。達郎がオタクとなったのも進学先に京都を選んだのも彼の影響が大きい。叔父には昔から可愛がってもらい、大学に進学して以降も彼の家に入り浸ってゲームや漫画をよく借りていた。達郎のオタクとしての趣味がややレトロなのもこのためだ。

 もちろん、レトロな趣味だけでこの漫画を選んだわけではない。理由はいくつかあるが、最大の要因は「この漫画が非常に面白いから」である。

 主人公の三神令みかみ・れいは陰陽師。江戸の人間にとって「陰陽師」とは、占いやら加持祈祷やらをする漂泊の民、被差別民の一つである。また教養のある人間なら「陰陽寮に属して宮廷に仕える官僚の一つで、陰陽道によって卜占や暦の制定をする者」と考えるだろう。それらの現実とは違い、この合巻の中での陰陽師は「帝の宸襟を安んじるため世の裏で怪異に対処する、妖怪退治の専門家」となっている。その京都の名門陰陽師・土御門家の分家、三神家の娘が三神令である。

 元ネタでは神だが「さすがにそれはどうか」と自制して神とした。三神と言えば伊邪那岐が産み落とした三貴子(天照・須佐之男・月読)、宗像三女神、あるいはインド神話の三神一体など、様々な含蓄が考えられる。キラキラネームっぽいが実在の苗字だし、不自然ではない範囲だろう。

 三神令は陰陽師としては並ぶ者のいない腕利きだが性格に大いに問題があり、「見識を広めるように」と修行の体で陰陽寮を追い出されてしまった。が、堅苦しい陰陽寮は自由奔放な令には最初から肌に合わず、彼女は市井での生活を満喫する。


『さあ、金を稼ぐわよ!』


 贅沢とお金が何よりも大好きな令はその有り余る才能を使い、祓い屋(妖怪退治)で荒稼ぎをしていた。その彼女が丁稚として雇ったのが横島忠兵衛よこしま・ただべえ、とある武家の末っ子だ。のぞきをしたり未亡人に言い寄ったりと武士にあるまじき不埒な振る舞いをくり返し、詰め腹を切らされそうになって実家を出奔。行き倒れ寸前となったあげくに令に拾われたのである。


『なんでやー! 好色本じゃこれでうまくやっていたのに!』


『好色本と現実を一緒にするな! 第一、光源氏は絶世の美形だし世之介は家が銀山を持っている大金持ちでしょうが!』


『ちくしょー! ちくしょー! やっぱり顔と金か?! 男は顔と金で決まるって言うのか?!』


『顔と金に決まってるでしょうが! 特に金!』


 忠兵衛が女好きのあまりに暴走し、令にぶん殴られる。漫才そのもののそのやりとりにお内は吹き出し、左近は笑い転げた。


「……でも、これって室町の頃のお話でしょう? その頃に好色本はなかったんじゃ」


「絶対にありませんでしたね」


 井原西鶴の「好色一代男」の刊行は天和二年(一六八二年)から。江戸時代は幕府により厳しい出版統制があり、「天正以降の武士の名を出してはならない」という御触れが出されてもいる。この規制を回避するため読み物の舞台は室町以前とするのが当たり前であり、左近が疑問に思うのも無理はなかった。ただ、


「そんなこと誰も気にしやしませんよ」


 とお内も言う通り、室町時代を舞台としながらそこに仮託して江戸以降の風俗を描くこともまた当たり前だった。その辺は作者と読者の「暗黙の了承」というやつだ。

 忠兵衛はどうしようもない女好きな上に臆病で、幽霊や妖怪に脅されると悲鳴を上げて無様に泣きわめき、また命乞いをしたりもする。


『もうあかーん! 助けておかーちゃーん!』


『それでも武士の子か!』


『あー! こんなことなら一生に一度でいいから全裸美女でいっぱいの銭湯でもみくちゃにされながら「かまやせぬ」を唸ってみたかったー!』


『脳の病か?!』


 左近は笑いすぎてお腹を抱えて突っ伏し、痙攣みたいに震えた。左近はかなりの笑い上戸でちょっとしたことでよく笑い、おそらく実家では「武家の娘らしくない」と白眼視されていただろう。でもそれも町人にとっては美点だ。ここまで受けると達郎も嬉しくなる。

 一九八〇年代以降の日本の漫画はキャラクター至上主義に染め上げられ、「GS美神」もまたその中で生み出された作品だ。江戸時代ではまずあり得ない、とがったキャラクターがボケと突っ込みとなってハイテンションのどつき漫才を展開するのだ。それが面白くないわけがない。面白くないとしたならそれはその時代や文化を前提としたギャグを上手く翻案できていないだけのことである。

 初期の草双紙は五丁(一〇ページ)で一冊、それを何冊もつなぎ合わせて一冊としたのが合巻だ。それでも長くとも五〇ページかける二冊、計一〇〇ページ。さらには一ページにつき絵は一枚。情報量がかなり限られ、長く複雑な話を展開するのはちょっと厳しい。その点「GS美神」は一話完結の話が多かったので、それも翻案に選んだ理由だった。

 限られた紙面でできるだけ多くの情報を伝えたい場合、この時代の合巻作者がどうしているかと言えば「余白という余白に文章をみっちり書き込む」ということをやっている。文章と絵を同時に読んで楽しむのが草双紙の読み方なのだが、慣れない達郎からすれば、


「文章は読みにくいし絵はごちゃごちゃして見にくくなるし、いいことなんかないだろう」


 と思ってしまうのだ。だから草双紙の約束事などもう見向きもせず、文章は読みやすく、絵は見栄えがして、情報量もなるべく多く入れられるようにと様々な工夫を凝らした。例えば絵と文章を上下二段に分ける絵日記形式。例えば四コマ漫画のようなコマ割り。例えば人の顔のデフォルメ。

 元々の紙面が小さい上にさらにコマ割りをすればそこに描き込む人物の顔は非常に小さくなる。その上それを木版画で印刷することを考えれば細い線での緻密な描写にも限度が、かなり手前にあると言える。ならばどうするか? 線や描写を可能な限り簡略化するしかない。草生ル萌の「元祖萌え絵」は人物の写実的な描写が売りだったが、この草双紙では「伝わればよし」として写実性リアルにはこだわらなかった。結果としてその人物描写は二〇世紀以降の漫画表現にかなり近くなっている。


「お話自体はともかくとして……この絵ですが」


「やっぱり受け入れられませんか」


「これはこれで面白くて良い絵柄だと思いますけど」


 と左近は肯定的だがお内は「うーん」と難しい顔をした。


「これまでの錦絵と比べても癖が強くなっています。あの錦絵でも『目が大きすぎて気持ち悪い』という声がないわけじゃありませんでした。その声はもっと強くなるでしょうね」


 内容の面白さには絶対の自信がある。一般的な草双紙よりも読みやすくなるよう工夫もしたし、絵柄も可能な限りデフォルメを抑えたつもりだ。それでも、江戸の人間にとってこの絵柄は優に百数十年早い――そう否定されても無理はない、仕方ないと達郎も思っている。


「それじゃ絵柄は描き直して……」


「いえ、このままいきましょう」


 お内の決然とした断言に達郎は驚いた顔を上げた。


「いや……そうしてもらえると色々助かりますけど、でも大丈夫なんですか?」


「この絵柄を受け入れられず、『気持ち悪い』と言う人は必ず出てきます。でも、みんなじゃありません。『この絵いい』という人がいて、それが少しずつ増えていって、そのうち『この絵いい』という人の方が多くなる――」


「いずれきっとそうなります」


 左近がそう言い、お内もまた強く頷く。それは経営者としては博打のような判断だった。安全を考えるなら旧来の浮世絵に近い絵柄に書き直して出版した方がよほどいい。だがお内はそうしなかった。


「妹さんがそれでいいのなら」


 「萌え絵」が浮世絵の新境地を開いたように、この「極楽始末帳」もまた合巻の未来を切り拓く――お内がそう信じて山青堂の未来をこの本に賭けたのなら、達郎はそれを勝たせるために全力を尽くすだけである。


「ところでこの本の作者の名前ですけど、『草生ル萌』とは違うものを使うつもりです」


「構いませんけど、何と名乗るつもりですか?」


 「草生ル萌」も結果として悪くはなかったがあまりに適当な思いつきだった点を反省し、今回は前々からちゃんと考えて「これでいこう」と決めてきたのだ。


縁為亭未来えんためてい・みくると」


 それは「未来の娯楽エンタメ」を意味する名前だが、この時代の人間には判りはしないだろう。それでも、そう名乗らなければならなかった。これから発表していく作品群は達郎が創り出したわけではなく、ただ紹介しただけに過ぎないのだから。それが他人のふんどしで相撲を取る上での、最低限の節度というものだった。

 ちょっと自信なさげな達郎は二人の反応をうかがうが、


「えんため亭ですか、すごくすごく良い名前ですね」


 とお内が予想外の好反応で、達郎は思わず「そうですか?」と首を傾げてしまった。


「だって『円』ってこれでしょう?」


 と親指と人差し指で輪を作って、


「『えんを貯める』ってとっても素敵じゃないですか」


 うっとりとしたお内の顔はまるで夢見る乙女のようだ。達郎は乾いた笑いを浮かべるしかなかったが。


「ええっと漢字はこう書くつもりなんですけど、まあ裏ではそっちの意味も持たせるってことで……」


 鬼編集長のご機嫌を損ねないようやんわりと勘違いを訂正。


「『縁を為す』ですか、良い名前ですね」


 と左近が屈託なく褒め、お内はちょっと赤面してそっぽを向いた。


「草稿はこれだけですか?」


「今描き上がっているのは」


 ごまかすようにお内が実務的な話を再開し、達郎もそれに乗る。その量は一話二〇ページが三話分、計六〇ページだった。


「三話六丁……とりあえずはそれで一冊出しましょうか」


 達郎が「判りました」と頷く。


「この話は何十話だって続けていける自信があります」


「何十話だって描いてください。売れれば、の話ですけど」


 そっけない態度のお内だが、その内心では大ヒットの手応えを感じている。


「売れればすぐに続編を出しますから草稿は今からでも描いておいてください」


 もうそんなことを言っているのが何よりの証拠であり、左近は微笑ましげな顔をした。


「――ところで兄さん」


「何でしょうか、妹さん」


 お内が草稿の何枚かを達郎へと示す。それはたちの悪い病魔に取り憑かれてしまった三神令が手違いで高額の薬を服用してしまったシーンであり、







『ちょっと三神さん! 一体何を』


『放せ! 今すぐに吐き出せば二〇両だって!』


『いやいやいや』







「このやりとりにどこか見覚えが」

「気のせいじゃないですかね」






参考文献

神保五弥「新潮古典文学アルバム24 江戸戯作」新潮社

内田啓一「江戸の出版事情(大江戸カルチャーブックス)」青幻舎

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