第二〇回
縁為亭未来こと達郎の「鎮西武英闘七兵伝」の執筆開始は文政六年(一八二三年)二月初め。達郎が口述する物語を左近が筆記し、同月内には肇輯(第一集)分の草稿は脱稿している。
本を出版するときは、まず草稿を綴じて本の形にする。これを種本、または稿本、または(非常に紛らわしいが)写本と呼ぶ。この種本を書き写して三部作成して本屋仲間の行事に提出、吟味を受けて裁可を得る。そこからさらに奉行所に提出し、添章をもらって初めて本を出版することができるのだが、本当に大変なのはその先だ。草稿は筆工の手により清書されて板下(版下)となり、それを板木に貼り付けて板木職人が手で掘っていく。ここが一番金と時間のかかる工程だった。
特に七兵伝は一輯が七冊(七巻)から成る大作である。一冊は四〇丁(八〇頁)で、一頁は一一行かける三〇文字程度の段組みで、つまりは一冊約二万六千文字、七冊で一八万文字以上。ただし挿絵をふんだんに入れ、また目次や広告等も入っているから実質的な文字数は一五万字に届かず、四百字詰原稿用紙なら四百枚程度になるだろう。それでも、パソコンの写植ではなく手で掘っていくことを考えれば気の遠くなるような分量であることには変わりなかった。
お内は肇輯七冊を同時刊行するために江戸中の板木職人を総動員し……とはかなりの誇張表現だが、複数の板木屋に声をかけて同時並行で作成を進めている。暦は七月に入り、ようやく出揃った校合刷が山青堂に届けられたところである。ここから校合(校正)が二回あるとして、板木の完成は一一月頃、発売はぎりぎり年内になる見通しだった。
七兵伝の脱稿からこの七月まで達郎が手持ち無沙汰で遊んでいたわけではもちろんなく、七兵伝の第二輯、及び「祓い屋三神極楽始末帳」を執筆している。「祓い屋三神」には七兵伝の広告を載せたのだが、
「何人もの貸本屋が『七兵伝を買いたい』って言ってきていますよ」
とお内。広告の内容は、この時点ではまだ限定的な情報だけだがそれだけで既に業界で評判となっている様子だった。
「その割に浮かない顔ですね、妹さん」
達郎がそう首を傾げ、お内は「ちょっと面倒なことがありまして」とため息をついた。
「馬琴翁がそのうちこの近所に引っ越してくる、という話は聞いているでしょう」
もちろん、と頷く達郎。馬琴の息子の滝沢宗伯が神田明神下に住むようになったのは文化一二年(一八一五年)。その隣家が売りに出され、馬琴がこれを購入したのは今年の春。現在その家は改修中で、そこに馬琴が引っ越してくるのは本来の歴史通りなら来年七月のはずだった。
この購入にあたっては先代の山崎屋平八が骨を折っている。お内や達郎は馬琴に嫌われ、絶縁されているが先代に関してはその限りではなく、それなりの付き合いが続いていた。
「父が言うには、『自分の昔の読本が勝手に再版された』と馬琴翁が大変お怒りと」
とお内が取り出したのは馬琴の「勧進常世物語」という読本である。
「あれ? えーっと確かこの時期……」
と達郎がその本を手にしたそのとき「お邪魔しますよ」と一人の男が来店、お内が嫌そうな顔となった。
年齢はおそらく三十代の前半。この時代としては普通程度の身長で、やや太った体格。目は細く眼鏡をかけ、媚びるような笑いをずっと浮かべている。が、その目は必ずしも笑っていなかった。
「どうも。お久しぶりですね」
塩対応のお内に対し、その男は「つれないですなぁ」と笑う。
「久々に顔を見せた許嫁なのに」
許嫁、と驚きに息を呑む達郎。お内は「ずっと昔に立ち消えになった話です」と強く否定した。
「いえね、あたしもご隠居と同じく貸本屋から身を起こして書肆を立ち上げまして。そのご縁でいっときお内ちゃんとの縁談もあったんですが」
「うちも色々と立て込んでいたもので」
と言い訳するお内。抹消された二代目の表太郎が場末の遊女に入れ込んで山青堂が傾きかけ、それを必死に立て直そうとしていたのがお内だった……というのを口実として、気の進まない縁談を自然消滅するまで先延ばしにしたのだろう。
「そう言えばお会いするのは初めてですなぁ」
と達郎へと向き直ったその男は笑顔のまま、値踏みするような目を向けた。
「あたしは青林堂の越前屋長次郎と申します」
「た……!」
とだけ言って達郎は絶句し、長次郎は「た?」と首を傾げた。達郎は少しの時間を置いてその続きを口にする。
「た……為永なんとかさん」
長次郎は「ご存じでしたか」と相好を崩した。
「ええ。為永正輔でも金竜でもお好きなようにお呼びください。はたまた二世南仙笑楚満人でも」
では為永春水さん、と言いそうになって自制する。後世この男の名前として最も知られたそれは、この時点ではまだ名乗られてはいなかった。
それでどうして為永春水がここに、と問おうとした達郎だが、すぐにそれに思い当たる。
「もしかしてこれの件ですか」
と達郎が彼に示すのは「勧進常世物語」である。この時期、青林堂は火事で焼失して不揃いとなった馬琴の読本の板木を入手。文章や挿絵を勝手に補い、無断再版して馬琴の怒りを買っている。
「あたしは西村屋さん等に頼まれて焼けた板木を直しただけなんですけどねぇ。なんであたしだけ怒られるんだか」
と春水は肩をすくめた。「勧進常世物語」の再版本には西村屋をはじめとする六つの板元が名を連ねている。無断再版に関しては為永春水だけを責めるのは理不尽と言うべきだった。ただ、文章の好き勝手な改竄は物書きにとって最も許し難い行為の一つであり、言い訳がなかなか難しいだろう。
「それでご隠居を通じて、何とか馬琴翁に取りなしてもらえないかと思いまして。ええ」
媚びた笑顔でそう言う春水に対し、お内は白けた顔である。為永春水と山青堂がまさかこれほど近しい関係にあったとは、と達郎はタイムスリップして初めて知り得た新事実に驚いている。
「ご隠居には俺からもお願いしますけど、馬琴翁がそれで許すかどうかは保証の限りではないですよ?」
「いや、恩に着ます! 神様仏様縁為亭様!」
春水は大仰に感謝し、達郎を拝む素振りをする。が、それもオーバーな演技のように思われた。
無断再版の件はこれで一応区切りとなるが、
「それにしても山青堂さんは本当に景気が良くて、羨ましくてしょうがないですよ。あの曲亭馬琴の次はあの縁為亭未来なんですから」
太鼓持ちのように仰々しく達郎を持ち上げる春水に、お内は冷たく言い捨てるだけだ。
「青林堂だってあれだけ戯作者を抱えているんですから当たりの一つや二つ出せるでしょう」
「いやー、うちの連中は物書きの真似事をしているだけの半可通ばっかりで」
この時期、為永春水は二世南仙笑楚満人の名前で「明烏後正夢」を刊行し、戯作者としての地位を確立。その名声の下に集まってきた門人、または友人知人を動員して青林堂は人情本を次々と刊行しており、春水を中心としたこの集まりは「為永連」と呼ばれていた。
あっはっは、と自棄のように笑っていた春水だが、ふと真面目な顔になって深々とため息をついた。
「いえ、本当に。頭数が集まるばかりでまともな本を書ける奴なんて一人だっていやしない」
「青林堂にだって一人いるでしょう。山東京山や柳亭種彦と同じくらいにはその名前が後世に残る、人気戯作者が」
「はて、誰のことでしょうかね?」
と首を傾げる為永春水を、達郎は指で指し示した。
「本屋の経営なんか人に任せてしまって、一度本気を出して、全身全霊をかけて本を書いてみませんか? 何なら山青堂から出版しますから」
ちょっと兄さん、と文句を言おうとするお内を達郎が手で制する。少しの間唖然としていた春水だが、やがて大笑いした。
「あはははは! 本気で言っている?! 何をやっても半端でものにならない、このあたしに!」
「いろんなことに手を出せば知見が広がって後々には実になるでしょうけど、その間はどれも中途半端になってしまうでしょうね。別に今すぐとは言いませんが、何年か先には……気に留めておいてください」
本来の歴史において春水が青林堂を火事で失うのは文政一二年(一八二九年)。一念発起して全力で執筆した人情本「春色梅児誉美」が出版され、大当たりをするには天保三年(一八三二年)のことである。
達郎の本気を感じ取って春水は怪訝な顔となるが、再び笑顔の仮面をかぶった。
「あの縁為亭未来にそこまで見込まれるとは光栄の至り。そのときにはどうかよろしくお願いしますよ」
「ええ、こちらこそ」
「それにしてもなるほど、本屋の経営は人に任せて……」
と春水はお内と達郎を見比べるようにして、
「縁為亭未来が人気を得ているのも本の執筆に専念しているからだと?」
「兄さんにこの店を任せられるわけがないでしょう」
お内が言下に言い捨てて、達郎はちょっと傷付いたような顔となるが何も言わなかった。書肆の経営上達郎にできるのは未来知識を元にした先回りや助言くらいで、実務で担えるのは雑用くらいのものだった。
「あたしにも店を任せられる身内がいればねぇ。あたしが必死に切り盛りしなけりゃ青林堂もいつ潰れるか判ったもんじゃありませんから。山青堂さんがうちにも八犬伝の板株を分けてくれれば……知らぬ仲じゃなし、どうしてうちじゃなくて文溪堂なんだって、美濃屋さんも愚痴っていましたよ?」
達郎は気まずそうな顔となった。本来の歴史において、倒産した山青堂に代わって八犬伝を刊行したのは涌泉堂美濃屋甚三郎。おそらくは両者の間にはそれなりのつながりがあったのだろう。文溪堂がそれに関わるのは八犬伝のせいで涌泉堂の経営が傾いてからで、達郎が涌泉堂を除け者にしたのはその経営を救うためでもある。が、美濃屋甚三郎がそんなことを知るはずもなかった。
「今度山青堂さんで出す読本、七兵伝でしたか。うちと半株とするのは?」
「一昨日来やがってください」
お内が満面の笑みで拒絶するが、その程度で引き下がる春水ではない。
「それじゃ七兵伝でなくてもいいんでうちで何か本を! いい加減、うちでも八犬伝くらい売れる本がないと本当苦しんですよ!」
と春水が達郎にすがりつき、達郎は閉口した。お内は呆れて、
「自分で探せばいいでしょう」
「そんな簡単に見つかるものなら」
そのやり取りに達郎が「あ」と漏らし、二人の注目を集める。
「何かいい考えでも?」
と春水が迫ってきて達郎がその分後退。が、すぐにコーナーへと追い込まれる。「あー……」と言い辛そうにしていた達郎だがやがて観念して、
「新人賞をやってみては?」
とその思い付きを口にした。お内と春水が「新人賞?」と首を傾げる。
「賞金を出して小説を公募するんです。出来が良いものは出版する、として」
この時代、川柳などの公募はあっても小説のそれは存在せず、小説の懸賞が始まるのは明治になってからである。
「なるほどなるほど! たとえばどこかのお武家さんに柳亭種彦の二人目が隠れているかもしれないと! それは是非とも見つけ出して本を出してもらわないといけませんな!」
春水はその思い付きに蒙が啓かれたような顔となり、大いに乗り気となっている。が、お内の方は懐疑的だった。
「でもそんなのをやってお話が集まりますか?」
「ご存じない? 自分の本を出したいって奴は世の中に五万といるんですよ?」
単なる思い付きとしか考えていなかった達郎とあまり気の進まないお内を春水が強引に説き伏せ、半ば勝手にその企画を実行に移してしまう。
「じゃあこれを次に刊行する『祓い屋三神』に載せてください」
と後日春水が持ってきたのは新人賞の企画、その名も「小説懸賞」の案内である。「祓い屋三神」の広告枠を使ってこれを告知しようというのだ。
「うちと山青堂さんだけでなく涌泉堂さんも加わりますから! 吟味方には縁為亭未来に渓斎英泉、それに柳亭種彦!」
思ったより大掛かりな企画となっていることに驚く達郎。吟味方(審査員)に達郎の名が挙がるのは当然として、春水は柳亭種彦にも弟子入りしていたことがあり、渓斎英泉とは前年(一八二二年)に組んで天下の奇書「閨中紀聞 枕文庫」を刊行している。持てる人脈を総動員した格好である。
「さあ、大いに盛り上げますよ!」
唖然とするだけの達郎とお内を置き去りにして三書肆合同企画の「小説懸賞」が告知されたのは八月。何分前代未聞の企画であり、締め切りに関する記載は特になかった。後になってそれを指摘する達郎だが、
「どうせそんなに集まりやしませんよ」
とお内が言うので達郎も軽く考えていたのだ。だが事態は二人の予想を大幅に上回っていた。自筆の小説を携えた戯作者志望者が山青堂に列を成すのは九月に入ってからである。
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