第一八回



 数日後、丁子屋平兵衛が山青堂を訪問した。


「この度は御足労をおかけしまして……」


「いえ、とんでもない」


 達郎のあいさつに平兵衛は恐縮する。奥へと通された平兵衛を山崎屋平八の初代とお内が迎え、これで「馬琴対策会議」フルメンバーが顔を揃えたこととなる。

 文溪堂丁子屋平兵衛はこの時点で三十前後のはずだが、実年齢より大分若く見える。生真面目で実直そうな好青年、という印象の人物だった。いかにも馬琴が気に入りそうである。理知的そうで身体も丈夫そうで、外見上は非の打ち所がない。馬琴からすれば「理想の息子像」のように思えたのかもしれなかった。馬琴の一人息子の滝沢興継(宗伯)は非常に病弱で癇癪持ちだったと伝えられている。


「やあ、久しぶり。文溪堂さんもいい感じで儲けているみたいだねぇ。うちのおかげかな?」


「はい、まさしく。ご隠居には足を向けて眠れません」


「そうだろうそうだろう、あはは」


 好々爺、というよりは軽薄な雰囲気の山崎屋平八(初代)。が、その平八を平兵衛は非常に慕い、尊敬している様子だった。意外に思う達郎だがちょっと考えてみればそれも当然かもしれない。平兵衛からすれば、山崎屋平八は自分と同じく貸本屋から身を立てて山青堂を興し、八犬伝で大当たりをした大先輩だ。一方この時点の文溪堂はようやく板元となったばかりのド新興書肆。その海の物とも山の物ともつかない彼を見込んで八犬伝の共同出版に誘ってくれたのがこの大先輩なのだ(実際には達郎なのだが)。単に今後の文溪堂に多大な利益をもたらすだけでなく、自分の才覚を認めてくれた山崎屋平八を、彼が敬慕しない理由がないだろう。


「さて、今日は『越後雪譜』のお話でしたか」


「はい。山青堂での出版を考えているんですが」


文溪堂うちも加わっての半株とするのはどうですか?」


 いきなり踏み込んだ話をする平兵衛に達郎は目を丸くした。平兵衛は真っ直ぐに達郎を見つめるが、その目は理と利に光っている。平兵衛なりの計算と直感で「儲かるに違いない」と判断したものと思われた。


「……山青堂だけではちょっと厳しいかもしれませんし、それもありですね」


 そもそも、本来の歴史で「北越雪譜」を出版したのは文溪堂丁子屋平兵衛だ。そこに割り込んだのは達郎の方であり、文溪堂と半株にした方がずっと筋の通る話だった。


「ただこの本を出せるとしても何年も先となりますが」


「もちろん。図会物がまた売れるようになるのもずっと先でしょうし、何より今すぐ出すと言われてもうちも余裕がありません」


 と平兵衛は苦笑する。今はド新興の零細書肆だが来年(一八二三年)には八犬伝の第五輯が発売となり、文溪堂が大いに躍進するのは間違いない。それ以降は本来の歴史よりもかなり早く成長・拡大することとなるだろう。


「ですが、馬琴翁がこの話を抱えたままではこの本をいつ出せるか、本当に出せるのか判ったものではありません」


 達郎が「『越後雪譜』の出版企画から馬琴を切り離すべき理由」を説明。平兵衛は何度も頷き、


「いや全くその通り」


 と完全に同意した。


「馬琴翁には第五輯だけでなく第六輯、第七輯と書き進んでもらわなければ」


 その言葉にその場の全員が深々と頷く。八犬伝はこの場の四人全員の、最大の飯の種なのである。


「そのために馬琴翁を説得して手を引いてもらわなきゃいけないわけですが……」


 と達郎が平兵衛を見つめ、彼はちょっとうつろな顔となる。説得の役目が彼に回ってくるのは自明であり、その無理難題さ加減に途方に暮れたようだった。


「まずは『八犬伝を抱えたままでこの本を書き進めるのは難しい』と、その点は外せないとして……」


「この本を書くのにあと何年かかるか、馬琴翁の見込みを訊いてみたらどうでしょう? それで『自分には向かない話だ』と判ってもらって……」


「鈴木屋さんの方から『他の人に書いてもらう』と言ってもらっては?」


「それもいいけど、話のもっていき方に注意しないと余計に面倒なことになるだろうな」


 侃々諤々の議論が続き、説得の材料は出揃い方針もほぼ決まった。その後になって、


「ですけど、馬琴翁に手を引いてもらって誰にこの本を書いてもらうんですか?」


 お内が改めてそれを問う。達郎はちょっと答えにくそうにした。


「ああ、うん。……山東京山にお願いできればって」


 お内や平兵衛達はそれぞれのやり方で驚きを表現した。


「馬琴翁ほどでなくても売れっ子じゃないですか。引き受けてくれますか?」


「馬琴翁と山東京山は」


「うん、非常に不仲だと聞いています。これはまだ『できればそうしたい』って考えているだけで、まず伝手を探すところから始めなきゃいけない話です」


 達郎はその上で、


「山東京山の名前は絶対に出さないでください! 間違いなくこじれます!」


 平兵衛に対して強く念押しをする。その程度のことは言われるまでもなく判っているが、彼は神妙な顔で頷いていた。






 丁子屋平兵衛が馬琴への説得工作を始める一方で、達郎もまた「越後雪譜」出版を目指して動き出している。文政五年の九月が下旬に入る頃、達郎はお内を伴い京橋銀座を訪れていた。


「ええっと、どの辺だろう」


「ほら、あっちです」


 江戸の地理に暗い達郎の手を引くようにしてお内が案内し、二人が到着したのは銀座の中央で間口三間を構える商店だ。二一世紀のように店先に商品が並んでいるわけではなく、手代が客の求めに応じて棚から持ってきた商品を見せている。何人もの客がいて彼女達が見ているのは煙草・化粧品・薬やその他小物入れだ。店の名前は「京屋」、かつて山東京伝が開き、今は山東京山が経営する小物店である。


「大きい上に繁盛していますね」


 とお内が感心し達郎もそれに同意した。全体的に小ぎれいで、品のある店舗という印象だ。


「いらっしゃい。お待ちしていましたよ」


 店の奥で、帳簿を開いている男が二人にそう言う。年齢は五〇過ぎの、温和そうな男性だ。その男が山東京山であることは言うまでもなく、


「京伝鼻じゃないんだ」


 お内がこっそりとそう呟いて達郎は笑いを呑み込んだ。なお「京伝鼻」とは上を向いた鼻のことで、二一世紀なら「豚鼻」と言うだろう。山東京伝の滑稽本の主人公がそういう鼻で描かれていたことからそう呼ばれるようになったという。山東京伝が広い影響力のある人気作者だったことの一例である。

 その後達郎達は奥へと招き入れられ、座敷で山東京山と向かい合った。

 山東京山は明和六年(一七六九年)生まれ、山東京伝の八歳下の弟である。山東京伝は戯作者として化政文化前半を代表する人物であり、京山もその影響を受けて戯作者となった。九〇歳で大往生するまで現役で創作活動を続けた、人気作者である。

 二一世紀では京伝の名前すら一般にはほとんど忘れ去られており、その弟の名前などなおさらだ。一般の人がその名を知っているとするなら、それは馬琴との関わりにおいてだろう。達郎は以前に京山のことを「二流」と呼んだ本を読んだことがあるが、それはビートルズと比較してクイーンやボン・ジョヴィを二流と呼ぶようなものである。京山が一流の人気作者であることは疑いのない事実だった。


「今日はお時間を作っていただきありがとうございます」


「いえ、構いませんよ」


 京山は笑顔で、如才ない商人として達郎達に接する。両者は時候の挨拶や世間話を長々と交わした。その長い前置きを経た上で、


「ところで、うちは馬琴翁から『越後雪譜』という図会物の相談を受けまして……」


 と本題に入る。ああ、と頷いた彼は、


「牧之翁とは私もよく文を交わしている」


 京屋の主人ではなく戯作者の山東京山となり、山青堂の山崎屋平八に対してそう告げた。


「そうですか、それなら話は早い」


 達郎は白々しい顔をして質問をする。「越後雪譜」は山青堂から出すつもりだ、鈴木牧之はその出版を山東京伝に打診した際に多数の資料を送っているはずだ、それがどこかに残っていないだろうか、と。


「おそらくはどこかにあっただろうが、一体どこにあったか……」


「何かの機会があれば探していただき、もし見つかったなら譲ってはいただけませんか。あるいは鈴木屋さんに返していただくか」


 その要請に京山は即答しなかった。しばしの沈黙を経て、


「しかし、兄に送られた図画を使ってあの男が本を……」


 と複雑そうな心情を垣間見せる。が、結局は、


「いや、牧之翁がそれを望むならあの男に譲るのが筋というものだろう」


 とわだかまりを振り切った。達郎は「ありがとうございます」と深々と頭を下げる。あるいは「馬琴なんぞに譲れるか」と言い出すかと冷や汗を流したが、さすがに京山は良識ある大人で常識的な対応をしてくれた。むしろ「返してくれないのでは」と疑うのは京山に対して失礼だったかもしれない。


「ところで、仮に図画が見つかったとしてもあの方に使ってもらうかどうかは判りません」


 怪訝そうな顔の京山に達郎が説明する。馬琴に任せていては何年経ってもきっと本は完成しないだろう、誰か他の方にこの企画をお願いしたいと考えている、と。


「うむ、危惧するところは判る」


「はい。あの方には納得の上でこの話から手を引いてもらって……ああいう方ですから簡単ではないでしょうけど」


 そうだな、と京山は口を歪めた。


「しかし、『越後雪譜』か……」


 と京山は遠い目をする。


「牧之翁は知らぬ仲ではないし、兄が果たせなかった仕事だ。何より山青堂がそこまで乗り気なら、あの男に代わって私がその本を書くことも考えないではないが」


 本当ですか、と素で驚く達郎。まさかこの時点で京山がそこまで言ってくれるとは予想外だ。が、京山はにやりと笑い、


「もちろん私も無償で動くわけではない」


 ですよねー、と達郎は頷いた。


「まあ、うちと鈴木屋さんとどちらがどれだけ負担するかはいずれ相談するとして……」


 馬琴や京山のような人気作者なら書肆の方が潤筆料を出して本を書いてもらうが、鈴木牧之は全く無名の田舎文士に過ぎない。その本が売れるとは思えず、出版費用の回収が難しく、書肆が二の足を踏むなら、それでもその本を出したいと願うなら、その費用は鈴木牧之が負担しなければならなかった。

 かつて山東京伝は「北越雪譜」の出版を打診してきた鈴木牧之に対して「ある書肆から五〇両も入銀があれば検討すると言われた」と伝え、それでこのときの企画は自然消滅したという。扱いとしては自費出版に近い形なのである。


「馬琴翁に手を引いてもらわないことには話が始まらないわけですが」


「鈴木屋さんに何か不埒な振る舞いをしてもらって、馬琴翁に愛想をつかさせる、とか」


「うーん。あまり危ない橋を渡るのは」


 達郎はその案に否定的だった。


「できる限り円満に、納得ずくで手を引いてもらいたいんだ。そうでないと『越後雪譜という名前を付けたのは自分だ』とか言いがかりをつけてきたり、『草稿には自分の朱書きがたくさん入っているからもう半分以上は自分の文章と言ってもいい』とか言って、鈴木屋さんが送った山ほどの資料を返さずに抱え込もうとするかもしれない」


 お内は「まさか」と笑うが、京山は「いや」と顔をしかめた。


「あの男ならそのくらいやりかねん。私はあれほどに不義理で人の情を知らぬ、傲岸不遜な者を他に知らない」


 そこからはもう、怒涛のような勢いの悪口雑言が吐き出されるばかりだった。


「そもそも最初、あの男は酒一樽を手土産に兄の下を訪ねて『弟子にしてくれ』と頭を下げたのだ。弟子にはしなかったが居候をさせて、何かと世話を焼き、仕事を回して人がましい姿になるまで助けてやったのだぞ。あの男が当代随一の戯作者として身を立てられたのは全て兄の手助けがあってのことだ。それを忘れてあの男は兄のことを『朋友』などと! しかもあの男はその『朋友』の葬式にも来なかったのだ!」


「三番サード」


 達郎の呟きに「何?」と京山が怪訝な目を向け、達郎は慌てて「いえ、何でも」とごまかす。が、京山も話の腰を折られて冷静になったようだった。

 ともかく、と京山は咳払いをして仕切り直しをし、


「あの男を警戒するにしくはない。私も牧之翁に手紙を送ってあの男から上手く離れるように伝えよう」


 ありがとうございます、と達郎は深々と頭を下げ、感謝の意志を示した。






 さて。当然ながら、達郎達にとって「越後雪譜」は全力を投じる仕事ではない。現時点でそれは雲を掴むような、企画以前の構想レベルの代物だった。達郎も、丁子屋平兵衛も、京山も、他のメインの仕事を抱えながらほんの片手間で少しずつそれを進めていく。

 それに、鈴木牧之は越後塩沢在住だ。牧之から京山に飛脚で手紙を送ったときの記録を確認すると、発送から到着までの平均日数は一七日。一往復すれば優に一月以上、意思の疎通も容易ではないのである。

 まさしく亀の歩みのようだが、進展が全くないわけではない。


「本当ですか?」


「ああ、兄の遺品の中から見つかった。『二季雪話』と題された冊子と地図、雪具の模型だ」


 山東京山からそう連絡があったのは文政五年の年末のことだった。


「土蔵の中を整理して虫干ししていた際に見つけたのだ。それらの入った風呂敷包みには兄が『火事のときには持ち出すように』と札を貼っていた。中身も見たが、兄がそれだけの価値を見出していたことも判る」


 京山はその上で、


「牧之翁さえよければ、『越後雪譜』は私が書いてもいい」


 前よりも踏み込んだ言葉に達郎は驚きをこめて「本当ですか?」とくり返した。だが、


「もちろんそれは、あの男が完全に手を引いた上でのことだ」


「ですよねー」


 その条件に達郎も深々と頷く。


「牧之翁にはその旨は連絡した。あの男に手を引かせるべきとも伝えている」


「ありがとうございます」


 企画が一歩前進したことに達郎は小さくガッツポーズを取った。二一世紀人からすれば気が遠くなりそうな進捗速度だが、この時代の時間感覚からすれば順調と言える進展である。


「あとは何とか、曲亭馬琴に円満に手を引いてさえもらえれば」


 「北越雪譜」は完成したも同然だった。もっとも本来の歴史では着手から完成まで七年かかっており、この時間軸でもやはり何年もの時間を必要とするだろう。だがそれは牧之と京山の仕事であり、細々した打ち合わせはあるとしても山青堂としては草稿が仕上がるまでただ待つだけである――だが、


「馬琴翁が手を引こうとしません」


 丁子屋平兵衛の報告に達郎は「あれ?」と首を傾げた。ときは文政六年(一八二三年)年初である。


「鈴木屋さんから教えてもらった越後の昔話を元に今、合巻を書こうとしていると。越後雪譜も遠からず上梓するからしばらく待ってほしいと、その中で宣伝すると」


 顔色の優れない平兵衛の言葉に達郎は、


「森山武の本にそんなことが書いてあったような気がする。あれはこの時期だったっけ……」


 と懸命に記憶を検索した。が、それが一八二四年刊行の「甲斐背峯越後三國梅桜対姉妹」であることまではさすがに思い出せはしなかった。


「でもどうして」


「山青堂さんが乗り気で出版の目途が立ったのでやる気が出たのかもしれません」


 その推測に達郎は頭を抱えた。この展開は完全に計算外である。


「でも……そんな暇があるなら八犬伝を書くべきでしょう、あの人は」


「それをそのまま言ったらどうなると思いますか」


 その答えは自明であり、口に出す必要もなかった。達郎の口から出るのは唸り声だけだ。

 戯作者として当代随一の名を成した馬琴だが、彼自身はそれを「金のためにやる、婦女子相手の卑しい仕事」とさげすんでいた。「士大夫を対象とした真っ当な本を出して名を残したい」と切望しており、「越後雪譜」はそれそのものにはならなくともその第一歩にはなる――そう考えているのかもしれなかった。

 そして「近いうちに書く」と馬琴が言っている以上、また自分から頼み込んだという経緯もあり、その上義理堅い性格なので、鈴木牧之は馬琴から離れられない。京山主導の「越後雪譜」はそれ以上先に進めなかった。

 達郎は京山宅を訪問して現状を説明。京山にとっては鈴木牧之からもらった手紙で知っている話だろうが、自分から説明するのが礼儀というものだった。


「せっかく京山人先生がこんなに早くから書くって言ってくれているのに……あの人に任せて話が進むわけないのに。これじゃ結局十年以上たなざらしだぞ」


 ほとんど独り言の達郎の愚痴には意味不明な箇所があり、京山は首を傾げた。


「あの男に任せていては、形になるのは十年先か」


「いえ。十年以上ほったらかしにして最後には『誰か他の人に任せればいい』って投げ出します」


 確信をこめた断言に京山が笑う。だがそれは本来の歴史そのままであり笑いごとではなかった。


「山東京山に任せればいい本が、売れる本ができるのに」


 悔しげなその言葉を京山は「追従だ」と思おうとする。だがそれには心底からの思いが込められており、彼も悪い気はしなかった。山青堂がここまで本気で、山東京山主導でこれを本にしたいと考えているなら――京山の中で男気が、そして馬琴への対抗心が頭をもたげてくる。


「山青堂がそこまで言うなら、牧之翁をこちら側に引き入れる一手がないわけではない」


 はい?と達郎が顔を上げる。


「本の著者を牧之翁とする。私は校合に回る」


 馬琴の「越後雪譜」では著者はあくまで馬琴であり、鈴木牧之は「校」、つまりは補佐扱い。これは山東京伝や他の面々での企画のときでも同様である。それに対して京山が補佐となり、鈴木牧之の名前で本を出そうというのだ。名声欲の強い牧之にとってはたまらない誘惑に違いなかった。


「ああ、いいですねそれは。そうしましょう」


 ごく軽く請け合う達郎に京山は肩透かしを受けたような気分となった。


「いいのか? それで。自分で言うのも何だが京山の名でなければ売れるかどうか」


「もちろん『山東京山』の名前は前面に出します」


 だが本来の歴史でも著者は「鈴木牧之」だったのだ。達郎からすれば「ようやくこの流れに乗ったか」というところだった。

 その後、京山からこの提案を記した手紙が牧之へと送られ――牧之の心は大いに揺れたに違いない。二人が交わす手紙を見せてもらったわけではないので推測するしかないがこれに関しては達郎はそう確信し、欠片も疑っていなかった。

 大いに動揺し、迷い、惑い、散々悩み――その結果の選択が必ず最善とは限らない。


「馬琴翁がお怒りです……今まで見たことがないくらいに」


 丁子屋平兵衛が山青堂を訪問、達郎は頭を抱えた彼と居間で向き合った。ときは文政六年の春である。


「何があったんですか?」


「全部バレました……馬琴翁には『越後雪譜』から手を引いてもらって、代わりに山東京山に書いてもらおうとしていることが」


 計算の失敗、再計算、後悔、焦燥……様々な思考が渦を巻き、達郎は「あー……」としか言えない。少しの時間を経て、


「でもどうして、どこから、一体誰が」


 一番強い「何故」という思いを口にした。その答えは「鈴木屋さんです」という結論から始まる。


「これまでの経緯を一通り説明して、いっそ馬琴翁と山東京山が手を組んで『越後雪譜』を作れないかと提案したそうで」


 阿呆か?!という罵声が途中で止まったまま、達郎の開いた口は塞がろうとしなかった。動揺のあげくに鈴木牧之が選んだのは最悪の選択肢で、しかもそれを本当に実行しやがった――としか達郎には思えなかった。

 だが鈴木牧之は馬琴に企画を放り出された後も彼と交流を保ち、馬琴と京山を説得してその関係修復に尽力し、一時はそれに成功した人物だ。この展開も予想してしかるべき……いや、さすがに予想できるわけがない。

 それで……と平兵衛は言いにくそうにする。


「この件について散々詰問されました。出版には文溪堂も加わるつもりだと話していましたから。馬琴翁から縁切りされるわけにはいかなかったので、山青堂さんを悪者にして」


「ああ。あくまでうちが主導して、曲亭馬琴を排除して山東京山に乗り換えさせようと画策していたと。丁子屋さんは誰に書かせるかまでは知らなかったと。ええ、それで構いませんよ。そうしてくれとこちらからお願いしていたところです」


 さばさばとした、というよりは自棄になったかのような達郎の態度に平兵衛は気の毒そうな顔となる。達郎は笑って手を振った。


「気にされることはないですよ。全部事実ですし、うちはとっくの昔にあの人から絶縁されていますから」


 八犬伝の共同出版から排除する、とでも言い出したならまた話は別だが、いくら馬琴でもそこまでは言わないだろうし、言える筋のことでもない。山青堂の経営には影響のない話だった。ただ、


「『越後雪譜』がどうなるかもう見当もつきませんけど」


 達郎はそう言って肩をすくめるばかりである。

 怒り狂った馬琴が企画を放り捨てるか、それとも京山への対抗心を燃やして企画を抱え込んでしまうか。もし後者なら、「北越雪譜」の出版は本来の歴史通り十何年も先となることだろう。だが達郎は、出版を少しでも早めるために何かしようとは、もう思わない。善意のつもりの行動が斜め上の反応を引き出し、今後の展開が全く読めなくなっているからだ。


「できればこの時間軸の二一世紀に行って、森下武の本を読みたいくらいだ」


 そこで鈴木牧之は、曲亭馬琴は、山東京山はこの先どう動いていくのだろう。そして山青堂の二代目山崎屋平八はどう評価されるのだろうか。馬琴から企画を奪おうとした策謀家か、それとも欲の皮のつっぱった商人か。

 その正体が「浅知恵の策に溺れたただの間抜け」であることは、達郎自身が一番判っていることだった。






参考文献

山田風太郎「八犬伝」朝日文庫

津田眞弓「江戸絵本の匠 山東京山(日本の作家33)」新典社

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る