第一九回(改稿)



 文政六年二月、西暦なら一八二三年三月中旬。その春、山青堂は絶好調だった。

 正月に出版された縁為亭未来の合巻「祓い屋三神極楽始末帳」は予想通り大ヒット。それを受けてすぐさま第二編が刊行され、これまた即完売の大当たり。今は第三編、第四編の出版準備を進めているところである。

 なお、萌え絵を元にしながらもかなりのデフォルメを効かせた「祓い屋三神」の絵柄はやがて「」と呼ばれるようになり、さらに先にそれは従来の草双紙とは一線を画した表現形式そのものを指すようになる。漫画とはもともと「気の向くままに、あてもなく描いた絵」という意味で、葛飾北斎の「北斎漫画」をその嚆矢とする。そこから転じ、この時期には「似顔絵、風刺画、デフォルメされた略画」という意味にも使われていたのだ。

 我が世の春を謳歌するお内だが、それで満足する彼女ではない。


「『祓い屋三神』は引き続き第五編、第六編を出していくとして、それだけじゃないんでしょう? 兄さん」


「判っています、妹さん」


 と頷く達郎にお内と左近は期待と信頼の目を向けた。


「前々から言っていたようにそろそろ読本に取りかかろうと思います。八犬伝よりも面白くて売れる本に」


「それは楽しみです」


 以前にも同じようなやり取りをしたが、そのときとは違って今のお内の反応は本音そのままである。


「実はもう書いてありますとか……」


「いや、さすがにそれは」


 左近の言葉に達郎は苦笑した。


「俺は絵はともかく字を書くのはあまり好きじゃないですし、大して上手くも速くもないです」


 せめて鉛筆が使えるならまだともかく、墨と筆で何万文字もの文章を書くなど想像もしたくない。


「だから口述筆記……俺が口でしゃべっていくお話を左近さんに書き取っていってもらえないかな、と」


「構いませんよ」


 と左近が一秒で了承し、お内も「それがいいですね」と頷く。未だに言葉遣いに怪しいところのある達郎にまともな文章が書けるとは思えず、また実際「祓い屋三神」の文章部分は随分と奇妙でそのままでは使えず、左近にリライトしてもらったのだ。


「実はもう、ここではほとんど全部完成しています」


 と達郎が自分の頭を指差すので早速口述筆記を開始することにする。左近の部屋に移動し、彼女は文机に着席。達郎は部屋の奥で胡坐をかいて座り込み、左近からは横向きのはす向かいとなった。墨と筆と紙を用意し、準備完了である。


「まずは書名からですね」


「はい――『鎮西武英闘七兵伝ちんぜいぶえいとうしちへいでん』。漢字は……」


 その書名に左近は微妙そうに小首を傾げた。


「言いたいことは何となく判るような気がしますけど……」


「えっとまあ、当て字なんで漢字よりも音の方に意味があるんです」


 と達郎は言い訳する。えへん、と咳ばらいを一つして仕切り直しをし、


「――応仁の乱より始まりし戦国の世は倦むことなく長く続いている。鎮西でもまた群雄が割拠し、弱肉強食の戦乱が続いていた。だがその中で平和と独立を保つ、駒原という小さな国があった」


 物語の世界の入り込んだ達郎が朗々と語り出した。左近の手は本人が意識するまでもなく、全く自動的に筆記を続けてその物語を紙の上に綴っている。


「小さいながらも防御を固め、他国につけ入る隙を与えず、民百姓は平和と仁政を謳歌する、極楽のような国――だがそれも過去のことだ。今、駒原はこの世の地獄と化している」



【後書き】

非常に極めて不評だった第19回から21回を全面改稿。書く側だけが楽しんでいた点を反省し、読む側も楽しめるように心がけたつもりです。三回分を一回にまとめて22,000文字を6,900文字に圧縮しました。

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